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思わずそう零したのはジルだ。
そのジルの横には、コゼットとよく似た面立ちの少年の姿があった。
「何から何まで気に食わないわ。でも、詰めが甘くて助かったわ、おかげでこんなに早くあなたを助け出せたから」
「本当に、ありがとうございます」
コゼットの弟、アルトが深く頭を下げた。
アリアには軽く説明しただけだが、きっと彼女が想像する以上に、精霊から借りることのできる力は多様だ。
ジルは直接的に植物を操ることができるが、そうではなく、動植物を伝言役にしたり、その記憶を辿ったりできる者もいる。
ジルの力はそうしたものではないが、送り手か受け手になるだけなら誰でもできるので、手紙などを介さずに情報をやり取りすることができた。たとえノナーキーにいようとも、城であれば充分、精霊の力の及ぶ範囲だ。もっと海に近かったら危うかったかもしれなかったから、助かった。
コゼットの弟がトーリア城に留められておらず、姉に対する牽制か、他のことに利用しようとしてなのか、戦場近くに連れてこられていたことを知り得たのも、その情報をやり取りしたのも、仲間の特殊な能力によるものだ。
精霊による力が、悪用しようと思えばいくらでもできるということも、しかし現れ方に個人差が大きすぎて不安定だということも、精霊の力をふるう者たちが権力に再び近づかないようにしている大きな理由だ。
世俗化した王家から力が離れていったのは必然でもあるが、立場の難しい王女に強い力が宿ったのは不幸な偶然だった。
(……いえ、偶然ではないかもしれないし、不幸でもないかもしれない。それを私が判じるのはおこがましいわ)
ジルは小さく首を振った。
アリアにとっては酷な話だと思ったから説明はしなかったが、彼女の不幸な境遇は彼女の力を大いに高めたはずだ。ジルは修行をすることで力の引き出し方や操り方を身につけたが、アリアは誰にも教わらず、有無を言わさないやり方で、修行に似たものを課されたのだ。
アリアの母親は稀有な歌い手だったと聞くが、アリアはそれ以上だ。能力の自覚なしにトーリア城を夢の城と呼ばしめるほどに緑を美しくし、ノナーキー国王の不眠をたちまちに解消し……
「あの……」
戦場を遠目に見ながら思考するジルに、アルトは遠慮がちに声をかけた。
「トーリアの国に、いったい何が起こっていんでしょう……? 城は日に日にさびれていくし、王は無謀な戦争に乗り出していくし、王族たちも求心力を失っていくし……」
「……精霊様への感謝を忘れ、力を持つ者に気づきもせずに虐げた結果でしょうね。……そればかりではなく、彼ら彼女らの傲慢さのせいもあるでしょうけれど」
アリアが住んでいた頃、トーリアの城には花々が咲き乱れて精霊の力に満ちていた。アリアが虐げられずに真っ当に力を見出されて修行を積んでいれば、今ほど力が先鋭化はしなくとも穏当に意図的に力を行使し、城をいっそう美しく栄えさせただろうに。
精霊の力を借りられる王女がいるということは、本来なら、権勢を失ったトーリア王国にとって挽回の絶好の機会だったのだ。国内への求心力を高めるにも、国外と有用な関係を結ぶにも。
敗戦の献上品のような扱いではなく、アリアは対等な――むしろ歴史のあるトーリアの王女として、優位な――関係をもってノナーキーに嫁ぐ可能性すらあったはずだ。
そうすればトーリア王族は栄え、国も影響力を強め、ノナーキーの国力を借りた技術促進や人材交流もできただろう。……今となっては、夢物語に等しいが。
「あなたがトーリア王族を見限ったのは賢明だと思うわよ。一緒に沈む義理なんてないでしょうし」
「義理なんて!」
憤然とアルトは拳を握った。
「貧しい境遇から救われたことに最初こそ感謝しましたが、国外に出る機会があったときに知ったのです。ノナーキーにも貧富の差はあれ、トーリアほどひどくはない。トーリアの貧民街の悲惨さは、トーリア王族の搾取の皺寄せによるものなのだと……!」
しかもアルトとコゼットは、互いを人質に取られる形でトーリア王族の手駒として使われていた。その状況がどれほど不本意なものであったか、ジルには推し量ることもできないが、アルトの震える拳がすべてを物語っている。
「……お妃様のことも」
アルトはぽつりと言った。
「どうせ王族なんてみんな同じなんだろうと思っていました。姉が手を汚すのは嫌でしたが、王族なら自業自得だ、いい気味だとさえ思っていました。何も知らずに……!」
ジルは目を伏せた。そのアリアは、アルトの存在を知った瞬間に、助けると決めていた。打算も何もなく、当然のこととして。
(……そうしたご気性が、精霊様の御力がなじんだ理由かもしれないわね……)
精霊の力を借りられる者の皆が皆、人格者であるとは限らない。ジルとて自分のことを人格者とは思っていない。精霊の価値観――そういうものがあればの話だが――は、人間のそれとは根本から異なる。
だが、アリアに関しては、力をふるう者として選ばれた理由が分かるような、そんな気がした。




