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アリアの周りで王族側や賢者側の思惑が混ざり合っていたらしいのは分かったが、いつまでもコゼットをこのままにしておくわけにもいかない。
トーリアに突き返すのもノナーキーの法で裁くのも気が重いが、とにかく事情と状況を確かめないことには話が進まない。
コゼットは諦めたのか体力の限界を迎えたのか、すっかり大人しくなっている。彼女の口元の蔦を緩め、油断なくジルが目を光らせる中で、コゼットは重い口を開いた。
「……いまさら言い訳なんてしようとは思いません。私はお妃様のお命を奪おうとしました。……仕える方よりも、弟の命を選んだのです……」
聞きながら、アリアは胸元で両手をぎゅっと握り合わせた。
心が痛い。それは責められるべき行動ではない。責められるべきは、そんな選択を強いて手を汚させようとした者たちの側だ。
「……トーリアの国王陛下のご意志ね……?」
アリアは口を開いた。お父様、ではなく、国王陛下。一線を引いた呼び方に気づいたのか、コゼットが目を伏せて頷いた。
「……おそらく。私は間接的に命令を受けただけですが、陛下のご意志があったと理解しています」
「………………」
自分の父親が、どんどんと遠い存在になっていく。もちろんコゼットの言葉をそのまま確かめもせずに信じるわけにはいかないが、状況はどんどん黒に近づいていっている。
ふつふつと自分の中から湧き上がってきたのは、怒りだ。いくらひどい扱いを受けてもぼんやりとしていた心が、人間らしく扱われる中でふたたび形作られてきた心が、まるで初めてであるかのように、新鮮な怒りを感じている。
(人質として、生贄として、敵国に差し出しておきながら……用済みになったら殺す!? ひどすぎるでしょう!?)
これが自分ではなく、たとえばエセルバートに起きたことだったら。アリアはきっと、どうしようもないくらいに激怒しただろう。黒幕のところへ乗り込んで、這いつくばらせて頭を下げさせても気が済まないだろう。
(……ああ、だから、エセルバート様は……)
彼は、怒ってくれていた。アリアの身の上に。経験してきたことに。
優しいしありがたいと思ったが、ぴんときてはいなかった。彼の怒りを理解していなかった。……今、ようやく分かった。
(自分は、なんて……)
なんて、鈍かったのだろう。あんなに真剣に自分のことを思ってくれていたというのに。
エセルバートと生きたい。改めて強くそう思うと、自分を殺そうとしてくるトーリア王族への気持ちが、かすかに残っていたそれが、完全に霧散した。アリアの家族は彼だけだ。
「……コゼット」
アリアの雰囲気が変わったことに気づいたのだろう。コゼットが姿勢を正すように身じろぎした。
「私の信頼を得て近くにいられるようにしておいて、殺す機会を窺っていた、ということでいいのね?」
改めて口に出すとひどい内容だ。コゼットもそう思ったらしく、顔をこわばらせて言葉を失った。そして、おおむね認めた。
「……だいたいはその通りです。ですが、機会を窺っていたのはここ十日ほどだけです」
隙ができたらすぐに行動に移す、というつもりではなかったというのだ。確かに、隙など最初からいくらでもあっただろう。
でも、いずれは殺すことを想定して、コゼットはアリアにつけられていた。
十日くらい、という期間もヒントになった。アリアは考えあわせて呟いた。
「保険……というところかしら」
「!」
「どういうことですか?」
尋ねたのはジルだった。彼女に答えながら、アリアは自分の考えをまとめていく。
「十日くらいというのは、トーリアが停戦協定を反故にして攻めてくることがノナーキー側に伝わった頃だわ。きっとトーリア国王は、私がノナーキーで殺されることを予想して、期待していたのだと思うわ。でも、万が一そういうふうに話がうまく運ばなかった場合……その時はコゼットを使って殺す。強制的に同じ状況になるようにする。……そういうことなのでしょう?」
答え合わせを求めてコゼットを見たアリアは、自分の推測が当たっていたことを察した。コゼットは何かをこらえるような表情で沈黙していた。
「……ふふ」
そんな場合ではないというのに、思わず笑いがこぼれてしまう。
本当に、自分はどれだけ死を願われてきたのだか。それを唯々諾々と受け容れようとしていた自分も自分だが、相手も相手だ。憎まれていたのは知っていたが、これほどまでとは。
王族の一人、姉のジュリアは確か言っていた。殺されるときに泣き叫んでもらわなければならないのだからなどというようなことを。
彼ら彼女らは、アリアに苦しんで泣き叫んで、目立つように死んでほしかったのだ。弔い合戦の名目が信憑性と求心力とを増すことができるくらい、悲惨で悲劇的な死に方で。
姉や兄たちの声が聞こえるようだ。
――みすぼらしいお前には万が一のこともないと思うが、万が一ノナーキー王に取り入って庇われるようなことがあっても……敵は近くに潜ませておいた、と。
そして実際、ジルがいなければアリアは死んでいた。エセルバートはアリアを守ってくれるが、さすがに女性の部屋に踏み込んで一日中いっしょにいられるわけもない。
「……あの、お妃様。こんなことを申し上げるのは筋違いだと分かってはいるのですが……弟は、弟だけは、なにとぞ……」
切羽詰まった声でコゼットが訴える。自分はどうなってでも、弟は、と。
「私が生きていることがトーリア側に伝わったら……きっと弟さんはひどい目に遭ってしまう。最悪の場合は殺されるし、楽観的に考えても軟禁でしょう。そしてまた駒として悪事に駆り出される……」
表情を暗くするコゼットに、アリアは言った。
「私は殺されたことにしましょう」




