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王と歌姫  作者: さざれ
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4

 ――次の転機は、ちょうど十年後。アリアが十七歳になった年に起きた。


「この、のろま! 本当に何もできないのね。カーテンを取り換えて全部洗っておきなさいと言っておいたでしょう!」

 洗うところまで手が回らず、床に積まれたままのカーテンにアリアを蹴とばして姉姫ジュリアが憎々しげに吐き捨てた。

 発育不良でとても十七歳には見えないアリアは、ろくな抵抗もできずカーテンに頭から突っ込んだ。その様子を見てジュリアが嗤う。

「お洋服もカーテンとお揃いなのね? いっそ一緒に洗っておけば? 洗ってもきれいにはならないでしょうけれど!」

 お洋服、などとわざとらしく言っているが、アリアが着ているものは控えめに言ってもぼろ切れだった。ずだ袋に穴を開けただけというような、灰色とも茶色ともつかないごわごわとした布でできた、服のような何か。針や糸などという上等なものがないので、縫い合わせる代わりに穴を開けて紐で留めるだけ、その紐も布地を切って作っただけ、そんな粗末にもほどがある衣を纏って、かつて大事にされた王女は床にはいつくばっていた。

 その様子を見て、満足したようにジュリアは嘲笑う。

 誰もまともに使う者のいない離宮での模様替えなど、無意味以外の何物でもない。だがジュリアはその無意味を嬉々として言いつけ、できていないと嘲ってはアリアを蹴とばしていた。

 蹴とばされて苦鳴を上げ、うずくまるアリアの背中にばらりと銀の髪がかかる。美しかった銀髪はくすんで灰色に近くなり、邪魔になるからと――姉姫や妃たちの手で――不揃いに切られていた。

 対照的にジュリアの格好は華やかだ。アリアを蹴とばした靴は艶がある踵の高いもの、繻子のドレスはそのまま夜会に出られそうな華美なもの。それに加えて髪飾りや首飾りなども高価で貴重なものをふんだんにつけているが、その中にはアリアから取り上げたものもあった。

 アリアには何も、本当に何も残されていない。このからっぽの離宮とて、もはやアリアのものではない。

 うつろな顔を上げたアリアに、ジュリアは嗜虐的な笑みを浮かべた。

 アリアよりも八歳年上の彼女は、すでに結婚している。相手は国内でも有数の高位貴族で、降嫁した形だ。

 相手が相手なので、ともに登城する機会も多く、ジュリアは結婚前とあまり変わらないくらいの時間を城で過ごしている。

(結婚したら、離れてくれると思ったのに……そんなにうまくはいかないか。………この姉が離れてくれても、違う誰かが同じことをするだけだろうし……)

 アリアはぼんやりと考え、絶望を再認識した。

 王族の中にアリアの味方は皆無だ。ジュリアは正妃の子だが、その正妃も、即妃も、即妃の子も、みながそれぞれにアリアをいじめた。本当に唯一の救いは、あまりにも痩せてみすぼらしい見た目のせいか、性的な対象にはならずに済んでいるということだけだ。だからと言って、そのことに感謝したりする道理もない。

 栄養が足りていないために体はあまり成長せず、ふらつき、頭もあまりはたらかない。感覚も鈍くなっている気がするが、そのくせ痛みだけは鋭敏に感じてしまうのが本当につらい。鈍麻した頭でさえつらいと感じる。

 ひとしきりアリアを蹴り転がして満足したのか、ジュリアは鼻歌混じりに出て行った。

「もう少しで旦那様をお迎えする時間だから、庭を散歩するわ。その間はわたくしの視界に入らないでね。不愉快だから」

 そう言い残したジュリアに逆らう気などない。彼女の気分を悪くしないようにという配慮ではなく、気分を悪くした彼女に暴力を振るわれるのを避けるためだ。虐げられ始めた当初はもっと反発したのだが、身体的にも精神的にも痛めつけられていく中で否応なく学習してしまった。逆らってはいけない、と。

 憎んでいる、のだと思う。お互いに。だがアリアからのそれは、もはや澱のように沈殿して、なかなか浮かび上がってこない状態になっている。憎しみだけが生きるよすがだというのなら別だが、アリアにはもっと、すがるべきものがある。

(他の人が来る気配はなさそう……。少なくとも、しばらくの間は……)

 離宮は緑に囲まれた場所で、人が近づくとアリアにはなんとなく気配で分かる。

 ジュリアは機嫌よく散歩しているようだが、なぜかこの城では花々がよく咲く。草花も木々も病気や害虫にやられたりすることが少なく、美しい緑で目を楽しませてくれる。

 緑にあふれ、花々が盛りを長く保って咲き乱れる、楽園のような場所。トーリアの王城はいつからか、「夢の城」と呼ばれていた。

 離宮の周りは、とりわけ美しい。

 普通ならすでに花期が終わっているはずなのにたわわに花をつける植栽によって、城に住まう者も、城を訪れる者も、等しく感嘆させられる。常春の楽園のような夢幻郷、妖精さえさまよい出てきそうな雰囲気に、詩人や楽人はこぞって美を歌い上げた。

 そんないっとう美しい場所だから、王は寵妃に与えたのだろう、とジュリアたちは言う。そして、それを不服として、さらにアリアを痛めつけるのだ。

 体も心も壊れかけているアリアだが、最後の最後で踏みとどまっていられるのは……

(……ここなら。庭のこちら側なら、誰もいないはず……)

 気配は感じないが、いちおうきょろきょろと周りを見回して、アリアはかさついた唇を開いた。

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