38
アリアは思い悩み、顎に手を当てて目を伏せた。
はっきり分かっているのだが、自分を切り捨てればこの事態はすぐにでも終わる。ノナーキーは問題なく戦争に勝てる。
そうすんなりと行かないのは、ひとえにアリアの存在のせいだ。
自分を救うためにエセルバートが奔走してくれていたのは知っている。分厚い法律書を紐解いたり識者を招いて意見を求めたり、なんとか道を探ろうとしてくれていた。
だが、間に合わなかった。戦争は、再燃してしまう。
(私が、ノナーキーの……エセルバート様の、足枷になってしまう……)
それはアリアにとって耐えがたいことだった。長く抑圧された自分に、生きることがどんなことであるかを教え直してくれたエセルバート……彼の、彼の国の、重い軛になってしまう。
だからと言って、自死を選ぶわけにもいかない。それはさらにエセルバートを追い詰めてしまうことになると、自惚れでなく分かっている。それにアリアは彼から教わったのだ。自分を大切にするということを。
(何も知らず、何も持たず、この国に来たばかりの私であれば……死を簡単に選べたでしょうに……)
そもそもそのつもりで、その覚悟で嫁いできたのだ。命を失おうとどうでもよかったから、それは覚悟とすら呼べないものかもしれないが。
でも、今のアリアには、覚悟がある。生きるのだという意志と覚悟が。
だが、それは命を惜しむことと等しくはない。そうであれば戦場になどついて来なかった。
「……私も、兵の一人として戦うというのはどうかしら」
呟いた言葉に、ぎょっとしたのはコゼットだった。ジルはとくだん反応を見せなかったが、こちらを注視している気配がする。
コゼットは慌てたように言った。
「何を仰るのです!? お妃様、戦いの心得なんてないでしょう!?」
「ないわ。剣も弓も持ったことすらないもの。でも、物資を運んだり、簡単な手当てをしたり……囮になったりすることくらいはできないかしら。攻撃がこちらに集中すればやりやすくなることもあるでしょうし……」
人手はいくらあってもいいはずだ。だが、それさえ邪魔になってしまうだろうか。敵国出身の者は信用できないだろうか。ノナーキーの兵として戦う姿を見てもらえればと願うのは迷惑なだけだろうか。
ぼつぽつと考えを話すアリアに、コゼットはさらに目を剥いた。
「お妃様がそこまでなさらなくても! 無謀すぎます! そこまで悲観なさることなんてないのでは……」
「やっぱり、命を捨てるように見えるわよね」
アリアは苦笑した。
だが、それでもいいかとも思ったのだ。生きたいとは思っているが、それは命をきちんと燃やしたいからだ。命だけを保てればいいというものではない。命の使いどころがここであるならば、惜しむつもりはない。そういう覚悟はある。
「実際の戦場を知らない者の世迷い事かもしれないけれど……これでも私は、痛みや飢えや絶望なら少しは知っているつもりよ」
戦場を知らないアリアにも分かる。戦いの気配はすぐそこまで近づいてきている。トーリアは兵を終結させつつあり、ノナーキーも牽制のための兵を各所に配置している。エセルバートが待ち構える正面にはまとまった数の兵が、こちらも続々と到着しつつある。……いつ再戦の火蓋が切られてもおかしくない。
「…………!」
コゼットはぐっと拳を握りしめ、歯を食いしばった。何かをこらえるようにきつく眉を寄せる。
そんなコゼットと、ジルの方も振り返り、アリアは言った。
「二人のことはエセルバート様にお願いするつもりだけれど、トーリアに戻る手もあると思うわ。たとえトーリアがまた負けても、エセルバート様なら人々を悪いようにはなさらないだろうし……むしろそちらの方が、敵国人に囲まれた環境よりも安全かもしれないわ。私の身分を出せば交渉の場くらいは作れると思うし、連れ帰ってほしいと言えば断られはしないはず。戦場に出るにしても、まず二人のことをなんとかしてから……」
「…………ます」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉を聞き逃し、アリアは首を傾げた。二人をトーリア側へ逃がすという、ずっと温めていた考えを話すことに気を取られていた。
「優しすぎます、と言ったんです! 何ですかそれは!? ご自身は助かろうともしないで、私たちだけを逃がそうとする!? 普通は逆でしょう!? 下々の者にすべてを押し付けて自分たちは安全圏にいる、それが王族ってものでしょう!?」
「……ええと……」
アリアは曖昧に言葉を濁した。もしかしなくてもそれは、トーリアの王族のことを指しているのだろう。一緒にしないでほしいと咄嗟に思ってしまったが、そういえばアリアはトーリア王族だった。血縁だなどと普段まったく意識しないので、すこんと抜けてしまっていた。
コゼットはなぜか泣きそうな表情でアリアを見つめている。慰めなければ、何かを言わなければと言葉を探し、アリアは言った。
「あなたに何も押し付けたりなんてしないから、安心して。私を信用できないかもしれないけれど……」
「違います!」
コゼットは激しく首を振った。
「お妃様は優しすぎます! それに、私を信用しすぎです! なんでそうなんですか!? お姫様とは思えないような暮らしをしてきて、人質として敵国に差し出されて……育ちの悪い私よりも悲惨な経験をされてきたのに……!」
それは一瞬のことだった。ほとんど泣きながら、コゼットはアリアにしがみつくようにした。
とっさに支えようとしたアリアの目が、コゼットの手に短剣が握られているのを捉えた。
(…………!?)




