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(どうすればいい、どうすればアリアを救えるんだ!?)
エセルバートはうろうろと無意味に歩き回りながら必死に考えるが、そんなに都合よく閃きが降ってきてくれるわけもない。
トーリアの侵攻を許した時点で、彼女の命運はほぼ尽きてしまう。
言い方は悪いが献上品として――これでも人質よりはましな言い方であるところがなんとも不愉快だが――差し出された王女は、戦いが再燃した時点で「和解の象徴」から「敵国の象徴」になってしまう。守る大義名分など何もない、むしろ攻撃すべき――見せしめに殺すべき――対象になってしまう。
たとえエセルバート一人が必死になって反対したとしても、アリアを守り切れる保証がない。彼女を排除しようとする動きはどこからでも出てくるだろうし、エセルバートはそれを止める力がない。周囲の動きすべてに目を配ることは不可能だし、それを命じた臣下が裏切ることも考えうる。むしろ、王を惑わせたとして排除の動きが加速してしまうだろう。
エセルバートは、ノナーキーの王なのだ。ノナーキーの国を守り、国民を富ませ、国益のために動くべき存在だ。
この状況でアリアを選ぶことは、そのすべてに背くことに他ならない。ノナーキーに不利益でしかない選択をする王は、どこかで王位から降ろされるだろう。
(……いっそ、それでもいいか……? 彼女を守れるのならば……)
そう考えてはみるものの、一度は王位に就いた自分がそのままアリアと静かに暮らしていける未来は見えない。再び担ぎ出されて内乱が起こる可能性を排除するために新王はエセルバートをどうにかするはずだ。適当な名目で自由を束縛するなり、罪状でもでっちあげるなり。
当然のことながらエセルバートに子はいないが、ノナーキー王家の血を継いで王位継承権を持つ者はそれなりにいる。自分が不適格と判断されたら退位を迫られるだけだ。国内に混乱はあるだろうがエセルバートを王位に据え続けるよりもましと思われればそれまでだ。代わりがいないから王位についたままということにはならないし、第一それではノナーキーにとってもアリアにとっても何の益にもならない。彼女の身は脅かされたままだ。
(一応、いろいろと考えてはいたのだが……やはり時間が足りなかった……)
根回しをするにもアリアの身分を変えるなり何なりするにも時間が圧倒的に足りない。最初から分かっていたことだが、やはりトーリアは早々の再戦を望んでいるのだ。王女を差し出したことなど何の意味もなかったという顔で。彼女を……捨て駒として。
本当に、腹が立つ。いったい彼女のことを何と思っているのか。
(アリアも……人間だ。日に日に人間離れして美しくなるが、心は日に日に人間らしくなっていく……)
まるで、しおれかけた花に水をやっているような気分だ。劣悪な環境で心身ともにすり減らしながら生きてきた彼女は、ノナーキーで衣食住をきちんと用意されて――とは言っても敵国の貴人として人質扱いされていたのに、それでさえ元の環境とは天地の差だったのだから憤りを禁じ得ない――、生き生きとした美しさを開花させた。自分の手で咲かせた花のようなものだ。眺めるたびに嬉しいし、愛しい。
その心も、歌だけを支えとして細々と保っていた心も、今はずいぶんと自由になったと思う。
そんな彼女を、これからも見ていたい。身も心も損なわせることなく、ともに歩いていきたい。
それは、もう譲れない。王としてではなく、エセルバートとしての意志だ。
だから最後まで足掻く。彼女を救うために、可能な限りのことをする。
そんなふうに決意を新たにするエセルバートのもとへ、側近が信じがたい知らせを伝えてきた。
複雑な情報ではなかったが、驚きのあまりエセルバートは目を瞠り、鸚鵡返しに繰り返した。
「トーリアの王が……戦場に向かっているというのは本当か!? いや、さすがに前線には出ないだろうが……後方にいるとしても、トーリア王がじきじきに指揮を執るなど今まで聞いたことがないぞ!?」
側近も困惑した様子だ。エセルバートの言葉に頷いている。
「剣をお執りになるとも聞きませんし、戦術に明るいとも聞いたことがありません。ですが……トーリアは得体のしれない国です。我々が探り切れなかった何かを隠し玉として持っていてもおかしくはないのです」
少し躊躇い、側近は続けた。
「……罠、かもしれません。陛下……本当にお出ましになるのですか……?」
エセルバートは顔を険しくし、考え込んだ。
エセルバート自身は戦場に出るが、むしろそれは珍しいことだ。それこそ国が成立する前、部族単位でのまとまりしかなかった大昔であればいざ知らず、ふつうは国の指導者が戦場に出たりはしないものだ。
たしかにトーリアには得体のしれないところがある。信仰する精霊の力で国の危機を救ったなどという話もあるが、眉唾物だ。どこの国であっても権力者は超越的な存在の威光を借りて自らを権威づけようとするものだし、それ自体は警戒すべきことではない。
ただ、それを真に受けた国民が狂信的になったりすると話は違うのだが……敗戦から時間が経っていないトーリアではそんなことも起こるまい。トーリア兵も、かき集められた他国の兵もそうした熱狂とは距離を置くだろう。
だが……もしかして、アリアが殺されたら。祭祀王の娘たる彼女がノナーキーに殺されたとなると、話は違うのかもしれない。
(うまく使えば……彼女を救う方向に持っていけるか……?)
彼女を殺すことはトーリアを利する可能性があるから、生かしておくべきだと。その主張を浸透させれば……浸透させる時間があれば、まだ話は違ったかもしれない。
(だが……今となっては、遅すぎる……)
停戦協定を踏みにじられる形になるノナーキー側は、アリアを生かしておけない。
(トーリア王……この流れを用意していたのか……? いったい何のつもりで、何が狙いなんだ……!?)
エセルバートは唇を噛んだ。




