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この場にはジルと、コゼットもいる。エセルバートは人払いをしなかったのだ。説明が二度手間になることを避けたのと、どうせ遠からず知れ渡ることだから、いま情報を隠す理由などないと。
アリアは意外な思いでジルを見つめ返した。
ジルは口数が少なく、アリアをよく思っていなさそうな雰囲気を感じることが多々ある。とはいえ侍女として優秀だし、部外者と接触するなどの疑わしい動きもないし、態度だけでは辞めさせる理由にならないと判断して置いていたのだが、まさかこんなふうに案じる言葉をかけられることがあるとは。正直に言って、かなり予想外だ。
だが、その意外さについて突き詰めている場合ではない。アリアは思考を追いやって頷いた。
「ええ。行くつもり。邪魔になってしまうかもしれないけれど……待っているだけなんて嫌だもの。いつ自分が死ぬことになるのか、もたらされる凶報を待って閉じこもって過ごすなんてごめんだわ」
自分だけでなくエセルバートも死ぬかもしれないのに、遠くで知らせを待つだけだなんて耐えられない。自分ひとりのことであれば歌って気がまぎれるかもしれないが、エセルバートのこともあるのだから、もう無理だ。アリアは心を取り戻した。歌で心をごまかすことなんて、今の自分にはできない。
歌は自分から切り離されたものではなく、自分の感情を乗せるもの……当たり前の在り方がようやく戻ってきて、アリアの歌はそれからいっそう美しく響くようになり、エセルバートの安眠に一役も二役も買っているのだが、本人は自覚していない。
「お妃様が行かれるなら、私も行きます!」
コゼットが勢い込んで言った。
「止めないでくださいね。……そうだ、こういうのはどうでしょう。仕えるお妃様がいない中で、敵国トーリア人の侍女だけが残されても、危険分子で邪魔なだけですものね?」
コゼットはアリアの性格をよく分かっている。アリアがいなくなったらコゼットやジルの身が保証されず、危ないのは確かだ。それを意識してしまえば、アリアは当然、二人を連れていくしかない。置いていくことなんてできない。……でも、
「……言うまでもないけれど、危険よ?」
「その危険の中に飛び込もうとしていらっしゃるお妃様が、何を仰います!」
当然、とばかりにコゼットが言い返す。
アリアは息をつき、ジルに視線を向けた。
「こういう状況だけど、あなたはどうする? 残っても、私の力では身の安全を保証してあげられないけれど……。……もしかして、トーリアとの伝手があったりする? そちらを頼れたりする……?」
アリアの機嫌を損ねてお役御免になってもいいようなそぶりをジルがたびたび見せるので、アリアは前々から思っていた。もしかしてジルはトーリア王家の誰かと強く繋がっていて、アリアの動向を知らせる役を担っているのではないだろうかと。
外部の者との接触がなさそうだとは言っても、彼女の一挙手一投足を監視していられるわけではない。手紙のやり取りくらいはなんとでもなるだろう。
だからこのように言ってみたのだが、ジルは首を横に振った。
「いいえ。私もご一緒させてください」
「危険は……もちろん承知の上よね」
「はい」
「それなら、二人とも一緒に来てちょうだい。どうなるかは分からないけれど……二人がいてくれたら心強いわ」
アリアはそう言いつつ、心の中では裏腹の算段を立てる。
(何かあっても、この二人は何の罪もないトーリア人なのだし。いざとなったら、そのまま国境を越えさせてトーリアに帰らせることもできるかもしれないわ)
ちょっとした保険だが、そうした可能性があるから罪悪感も少なく連れていける。自分に何かあっても、二人は無事に逃がしてあげたい。
そんなふうにこっそりと考えていたものだから、エセルバートの低い声にアリアは思わず肩を跳ねさせた。
「……私を置いて、話がずいぶんと進んでいるようだが……」
「! すみません!」
反射的に謝る。状況が衝撃的すぎて、なんとか飲み込もうと必死だった。必死に考え、必死に話を進めていた。……勝手に。
エセルバートは溜息をついて認めた。
「まあいい。咎めるつもりはない。そなたにとってこの二人が支えになるなら、連れていくがいい。ただし安全に気を配れる保証はできない」
「分かっています!」
「…………」
コゼットが強気に答え、ジルは無言で頷く。
「……そもそも、アリアを連れていくかどうかという話さえまだだったのだが……仕方あるまい。それに、私の目の届くところにいてくれた方が私も安心だ」
「お妃様のご安全には気を配ってくださいよ?」
「当然だ」
コゼットが言い、エセルバートが頷く。
(当然だ、ではないのですが……!)
コゼットとジルの身の安全にも気を配ってほしい。だが二人を連れて行くと決めたアリアがエセルバートにそこまでを求めるのはおこがましいし、余裕のない中でこの二人を特別扱いにすることなどできないだろう。
……だが、アリア自身はどうなのだという話だ。エセルバートがあまりにも自然に当然にアリアを優先し、気遣う。
いつの間にかこんなにも、溺愛されていた。
形ばかりの王妃、敵国の王女だというのに。
そしてアリアも、彼を慕うようになっていた。自分を認めて、必要として、愛してくれる人を。
(生きたい。この人の傍で、生きていたい。……でも)
少しだけ目を伏せて、思う。
(たとえ私が死ぬ結果になっても。……私はきっと、幸せだわ)




