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失踪、いや出奔だろうか。ライラはアリアが七歳の時、彼女の意思で城から姿を消した。
書き置きがあったから誘拐騒ぎにはならなかったが、当然、大騒ぎになった。
それが伝えることによると、城には自由がない、自分はひとところに留まり続けると息が詰まる、アリアも成長して手がかからないようになってきたことだし、ここを出ていく、とのことだった。
城は豪華な鳥籠のようなもの……何不自由ない生活を与えられても自由だけがない、私はそれに耐えきれない、私を探さないでほしい、と。
愛する妃がある日忽然といなくなった、置いて行かれた王の心は引き裂かれた。汲めども尽きぬ愛情は行き場をなくし、引き換えにやってくるのは途方もない喪失感。なぜだ、なぜ私のもとを去ってしまった、なぜ私を置いていったのか……。
王は嘆き悲しみつつ、しかし気持ちを奮い立たせて、彼女の行方を探そうとした。
しかし見つからない。まず間違いなく国外に出てしまったのだろう、できることにも限界があった。
そして大臣以下の者たちも王に一から十まで従ってくれるわけでもなかった。
探さないでほしいと書き置きを残されたのでしょう、その通りにしなければ、などと口々に王を諫めた。いなくなった愛妃のことで頭がいっぱい、政務などそっちのけで彼女を探そうとする王に辟易していたのだ。
王みずからやみくもに探し回るわけにもいかず、人をやって探させても報告は芳しくなく、王の機嫌も臣下との関係もどんどん悪化していった――ところを取り持った――あるいは、利用した――のが、他の妃たちだった。
王の愛情はすべてライラに向けられていたが、そのライラが不在である以上、付け入る隙はあった。そもそもライラが来る前は王も複数の妃それぞれを訪れ、王子や王女をもうけていたのだ。
ライラに向けられた燃えるような愛情ではなくても、そこには確かに情が通っていた。アリア以外の子のことをおざなりにしていたとはいえ、憎んでいたわけではない。
徐々に、王の周りはライラが来る前の状態に戻っていった。
――アリアの周りを除いて。
ライラがいなくなった今、アリアは城の異物だった。
あれほどアリアを溺愛した王だったが、ライラがいなくなった後、彼女を思い起こさせる銀の髪を持つ王女を、視界に入れるのさえ厭うようになった。実の娘に強い憎しみさえ向けた。
こいつが育ったからライラは出て行ってしまったんだ、ライラを思い起こさせる銀の髪の娘、どうしてこんな存在がいるのだ……。
……しかしアリアは殺されも追い出されもせずに王女のまま、離宮に留められ続けた。
王は彼女を殺したくなるくらいに憎んでいたが、最愛の妃を思わせる娘を手にかけることはしなかった。
殺したらライラとの絆が断たれてしまうと思ったのかもしれない、憎悪に転じた愛情がわずかながら残っていたのかもしれない、殺したらライラがいよいよ戻ってきてくれなくなると思ったのかもしれない。国王本人にさえ分からない理由で、アリアは殺されず、しかしまともに生きているとも言い難い状態で、生かされ続けた。
王がアリアに憎しみを向けたことが呼び水となり、妃たちも次々とアリアを大っぴらに虐げ始めた。
もともと長年ライラとアリアに強い嫉妬を抱えていた者たちだ。王の許しが出たような状況で、嬉々として今までの鬱憤をアリア一人にぶつけ始めたのだ。
もちろん王子と王女たちも同様だ。七歳のアリアよりも年上の王子や王女たちが何人も、こぞってアリアを苛めた。
初めに、離宮から物という物がなくなった。
ライラとアリアのために最高級のものが揃えられていたが、調度品から小物に至るまで、まるで蝗が通り過ぎたあとの畑のように、根こそぎ持ち去られた。
代わりにアリアに宛がわれたのは、粗末で織りの粗い、平民でさえ嫌がるような布地や、家畜用の藁、そういったものだった。それを衣類や寝具の代わりにしろと、妃たちは嘲笑いながら投げ与えたのだ。
用意しようと思えばもっとひどいものはいくらでも用意できたはずだが、彼女たちは最低限、アリアを生かしておける程度のものを選んでいた。死なれてしまうと鬱憤晴らしができないからだ。
最低限の衛生、最低限の保温性、最低限以下の人間らしさ。水浴びは許されたが湯を使うことは許されず、熱を出せば効き目だけは強いひどい味の薬を無理やり飲まされ、苦しむ姿を見られては笑われる。水が欲しいと手を伸ばせば指が届く寸前に水差しが取り上げられ、うとうとすれば叩き起こされる。
そうやって貶めるだけでは飽き足らず、皆はアリアを下働きとして扱き使った。
離宮の使用人は早々に全員が異動させられた。代わりにアリアは一人で広い離宮を維持することを求められた。
何の心得もない七歳の少女に、その要求は過酷すぎた。もちろん不可能で、行き届かないところなど数えきれないほど出てくる。
妃や王子王女たちはそれをいちいちあげつらい、やれ絨毯に染みが残っていただの、窓枠に埃が積もっていただの、数え上げてはアリアを責め立てた。
そこまでさせておきながら、離宮を磨きたてる必要はまるで無かった。妃たちは城に自室を持っているし、忌まわしいライラが使っていた場所に移り住もうなどとは思わなかった。
離宮の住人は、今となってはアリアだけ。しかも、寝起きが許されるのは物置の片隅だけ。かつて使っていた寝室は家具もなくがらんとして、しかしアリアには使用が許されない。
そんな環境にあって、アリアの身と心はどんどん削られていった。