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「……どうした? 今日はやけに距離が遠いが……」
(ひええええ……!)
寝台の端の方に寄っていたアリアは心の中で悲鳴を上げた。
(夫婦って……そんなことをするの!? 子供って口付けでできるのではないの!? ちょっと待って、まだ心の整理がついていない……!)
今日、洗濯係の使用人がアリアの月の巡りが初めてであったことに気づき、上の立場の侍女に相談し、ことがようやく発覚したというわけだ。アリアがこの城に来てから二か月ほどが経つが、普通であれば一か月に一度、そうした時期が訪れるものらしい。
コゼットたちとの会話がそちらの方面に流れそうになり、事情があらわになってはまずいと口を挟んでくれたという。
エセルバートがアリアにつけてくれたノナーキー人の侍女たちはそれぞれに優秀で気が利き、柔軟性も持ち合わせている。アリアの境遇についてアリア自身から話したことはないが、エセルバートから何か聞かされているか、それとも自分たちで察したか、ともかくも気を利かせてくれた。
そして必要なことを教えられ、情報を消化しきれないまま今に至る、といったわけだ。
(どうしよう…………!)
どうしていいか、何を言っていいか、何も分からずにうろたえているアリアに、エセルバートがいたずらっぽく視線を向けた。
「……昼間のことか?」
「…………!? 陛下!? いったい何をご存じで……!?」
焦るアリアをなだめるように片手をあげ、エセルバートは言った。
「そなたにつけた侍女から聞かされた。女性の話に立ち入って悪いが、彼女を責めないでやってくれ。これは捨て置けないことだから」
少し声の調子を落とし、続ける。
「なにせトーリアは、花嫁として、まだ花嫁になれないはずの子供を寄越したことになるのだからな。これは立派な協定違反、裏切り行為だ」
「あ…………!」
確かに、その通りだ。自分のことでいっぱいいっぱいで、そこまで考えが及んでいなかった。
とはいえ、とエセルバートは腕を組む。
「大っぴらにこの点を糾弾するわけにはいくまい。そなたの名誉にも関わってくるし、私はそなたのそういったことを他の者に知らせるのは嫌だからな」
「それは……ありがとう、ございます……」
だが……できれば、エセルバートにもあまり知ってほしくなかった。ひたすら気まずい。いたたまれないことこの上ない。
アリアは知識面だけではなく身体的にも、子供だったのだ。栄養や休息が足りていなかったせいで成長が遅く、ノナーキーでそれらを与えられてようやく、年齢に体が追いつこうとしているのだ。
エセルバートは薄く笑った。
「大っぴらにはしないが、トーリア王家を許さない理由が増えた。そなたへのひどい扱いに、また余罪が加わったのだからな」
(ひえええ……)
トーリア王族を家族として庇う気などないが、思わず同情してしまいそうになるくらい、エセルバートの言葉には怒気が籠っていた。表情だけ笑っているのがなおさら怖い。
だがこれも、アリアのためを思って怒ってくれているのだ。心がまた少し、温かさを覚えなおしていく。
「しかし……よかった」
エセルバートが不意に力を抜き、どさりと枕に上半身をもたせかけた。
「そんな子供に、うっかり手を出してしまっていたら……自己嫌悪では済まない」
(手を出すって、手を出すって……!?)
口をぱくぱくさせるアリアに、エセルバートはにやりと意味深な笑みを浮かべてみせた。
「私だって男だ。まだ若く、健康に問題はない。無防備に眠る美しい妻を見下ろしながら私がどれだけ自制したか、知ってはいないだろう」
「…………!?!?」
「そなたは日に日に美しくなるし、体も成長しているのだったな?」
「あ、れは! 背が高くなっているという意味で……!」
「それだけではあるまい」
「…………っ!」
意味ありげな視線を向けられ、とっさに体をかき抱く。焦った仕草がおかしかったのか、エセルバートの笑みが深くなった。アリアは赤くなった顔を逸らした。
(ようやく……分かってきた気がする……ほんの少しだけど……)
閨の……男女間のことが。
無警戒に眠っていた自分は本当に、子供だったのだ。エセルバートはさぞかし困惑しただろう。
過去の自分の行いに青くなったり、寝姿を見ながら彼が何を考えていたかを伝えられて赤くなったり。そんなアリアをひとしきり眺めて気が済んだのか、エセルバートは体を起こした。
「それで、だ」
アリアはとっさに後ずさろうとしたが、これ以上そうすると寝台から落ちてしまう。かといって立って逃げだすのも、それはそれで違う気がする。
そんなアリアの様子にエセルバートは吹き出した。
「男女の何たるかを今日ようやく知ったばかりの娘に、無体なことなどしない。きちんと我慢するから安心しろ、ほら」
軽く隣を叩き、ここに来いと促される。
「………………」
言われた通りにするのはなんとなく不服だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。アリアは警戒しつつも移動し、彼の隣に少し距離を開けて潜り込んだ。
彼も横になるのを確認し、そして、歌う。
最近はこうやって、自分も横になりながら歌うようになってきた。
最初は座って歌っていたのだが、こちらの方がしっくりくるので自然とそうなったのだ。歌い終えたら、アリアもそのまま眠ってしまうので。
「……夫婦っぽいな」
エセルバートも同じようなことを考えていたらしい。歌の合間にそんなことを言った。アリアが身じろぎしたのに苦笑し、付け加える。
「大丈夫だ、私はそなたに恩がある。その恩人を同意もなしで無理やり手籠めにはしないから、そう警戒するな」
「……大丈夫、です」
恩があろうがなかろうが、人の嫌がることを無理やりする人ではない。それはもう分かっている。信頼している。
警戒しているというより……気恥ずかしいのだ。
だが、そのことを口にしたとたん彼が何かをこらえるような声を出したので、アリアは慌てて取り消し、歌を歌い始めた。




