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「『夢の城』についてですか?」
アリアは首を傾げた。エセルバートは頷いた。
「ああ。トーリアの王城がそのように呼ばれていることは知っているだろうか? 花々が長く美しく咲き誇り、緑はゆたかで小鳥が歌う、常春の夢の楽園のような場所であると……」
「ええと……そう呼ばれていることは、知っていますが……」
離宮の周りは特に緑が美しいなどと言われていたようだが、正直なところ、アリアにはぴんと来ていない。ほとんど離宮の周りしか知らないし、城以外の場所もろくに知らないから、比較のしようもない。船や馬車での移動中に自然豊かな場所も目にしたが、目新しさが勝ってきちんと観察できていたわけではない。
アリアの困惑に、エセルバートは息をついた。
「そうだな。そなたはトーリア城とノナーキー城以外、ほとんど外の世界を知らないのだものな。だったらここと比較して、どうだ?」
「……正直に申し上げて、違いが分かりません……。植生もぜんぜん違いますし……」
アリアは首を横に振り、夜の帳が下りた窓の外を見た。木々の影がざわめくノナーキーの城も、緑は豊かなのではないかと思う。
アリアはトーリア人王妃として、あまり重要な場には出してもらえない。情報を統制されているわけではないが、敵国出身の王妃を交えて作戦会議をする道理もない。昼間は食事の時を除いてエセルバートと一緒になる機会が少なく、食事もあまり長時間ではないので、夜にこうして語らうことが習慣のようになっている。
昼間に庭を歩いた時のことを思い出すが、こちらの緑も美しいと思う。薔薇など一部の花卉はどこであっても好まれるのでトーリアでもノナーキーでも見たが、違いなど分からない。こちらの花々は全体的に濃い色合いのものが多い印象があるが、美しさに差があるかどうかなど主観なのではないだろうか。
そう言うと、エセルバートも同意するように頷いた。
「正直なところ、私もそう思っている。だが私は、自慢ではないがそういったことに疎い。直接トーリア城を訪れたこともない。訪れた経験のある者がこぞって同じことを言うとなると、何かあるのだろうとは思うのだが……。しかし、そうか。住んでいたそなたにも分からないか……」
「お役に立てず、申し訳ありません……」
「いや、聞いてみただけだ。気にするな」
アリアは少し視線を伏せた。
「それにしても、気になりますね。花々が色褪せて、散ってしまう……?」
「ああ。草木の病気かと疑われたが、そうした現象もほぼ城だけのものらしく、外に広がっていく様子がないらしい。だから土壌の問題なのかとか、肥料に何か混ざっているのかとか、原因を突き止めようとしても難航しているらしい」
それと、とエセルバートは声を潜めた。
「もしかすると今後の戦の行方を暗示しているのではないかとか、精霊の怒りを受けたのではないのかとか……」
トーリアは精霊崇拝の国だ。精霊の祀り手たる王にとって、そうした噂が流れるのは痛手だろう。しかもこの、ノナーキーと再び戦争を始めようとしている時期に。
「賢者様は、どう仰っているのでしょう……あ、いえ、何でもありません」
深く考えずに言葉にしてしまい、アリアは慌てて打ち消した。
古くは王の助言役であったらしい賢者だが、政治から外されて久しく、最近では最低限の儀礼でしか姿を見ないらしい。その原因がおそらく、アリアに名前を与えたことだ。
現在の王族の中で、賢者から二つ目の名前を授かったのはアリアひとり。そのことは特に何の力になるわけでもないが――ましてアリアは政治に関わる王子ではないので――、アリアが特別扱いされたことを不服としてだろう、賢者は必要最低限の役目以外をさせてもらえない状況であるらしい。離宮に住んでいたときに漏れ聞いたことだが。
こうした異常事態に知恵を仰ぐべき賢者だが、アリアのせいで冷遇されている。今回も王族に助言をする役目を果たせていないだろう。それを思うと申し訳なくて、でもどうしようもない。
(……いえ、今の私は仮にもノナーキーの王妃なのだし……)
考え、アリアは顔を上げた。
「エセルバート様、トーリアとのことに片が付いたら、賢者様をどうなさるおつもりでしょうか?」
「賢者か……そのことは少し考えていた。もちろん命を取るようなことはしない。トーリア人の精霊信仰の支えの一つだからな。だが、政治介入をどこまで許すことになるかは分からない。賢者が今回の戦争に関与していなかった保証もないのだしな」
「そうですよね……。でも、理由なく処罰したりはなさらないのなら、安心いたしました」
アリアはほっと胸を撫で下ろした。それだけ確かめられれば充分だ。アリアも賢者とは幼い頃に会ったきり、記憶すら曖昧だ。賢者がどんな人なのか、戦争に関与したかも分からない。だから下手なことを言えないのだが、この分だと公正に扱われそうでよかった。
「……ところで……最近この城の……」
エセルバートが何やらもの言いたげにアリアを見た。首を傾げて続きを待つが、何やら言いあぐねている。
結局エセルバートは続きを言わず、アリアに今夜の歌を所望した。




