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王と歌姫  作者: さざれ
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「え、お顔をお上げください、陛下!?」

 アリアが慌てている声がする。しかしエセルバートは、項垂れた頭をもたげる気になれなかった。

(何という愚か者だ、私は……)

 アリアが眠らせてくれるおかげで、ずっと薄靄がかかっていたようだった頭がすっきりしてきた。それと同時に、今まで見逃してきた数々の違和感に気づく。

 アリアの、人形じみた意思の希薄さ。生贄になることが決まっている人質などという、普通なら到底受け入れられない己の境遇を知りながら、怒ることも嘆くことも自棄になることも足掻くことすらせず、ただ静かに受け入れていた、その異様さ。諦めなどと表現するにも生ぬるい、最初から失われていた……生に対する執着心。

 それをエセルバートは、都合がいい、などと思うだけで片付けていたのだ。面倒がないから助かる、その程度の認識で。

(いったいどんな絶望を見れば……こんなふうになるんだ……?)

 エセルバートは武人でもあるから、戦場での地獄は多少見知ってきている。大の男が泣き叫ぶところを何度見たか分からない。

 だがこんなのは、知らない。少女の域を出ていない娘が、病気もしておらず生活に困らない立場もあるはずの王女が、生きることすら諦めて久しいだなどと。

 子供が健やかに成長していくはずの時期に、外部から長年にわたる強い圧力がかからなければこうはなるまい。

(最初に自分で思ったではないか。この娘は、悪意に慣れすぎていると……)

 トーリアで特殊な教育を受けて慣らされたためかと思ったが、そうではなかった。もっと単純な理由だった。

 悪意を――向けられ続けてきたのだ。おそらくは全方向から。おそらくは――ずっと。

(どんな地獄だ、それは……)

 精神的な責め苦のつらさは、外から見ただけでは分からない。ましてそれが、精神的にも肉体的にも成長していく時期の出来事であるならば、なおさら。

(肉体的にも……虐待というにも生ぬるい……)

 日に日に美しくなっていく彼女は、本来ならば最初からそうやって成長していたはずだ。家畜の餌でさえ上等に思えるような、そんな食べ物ともいえない食べ物で細々と命を繋ぐ状況でなければ。

(それを私は……トーリア王族だから……贅沢に慣れすぎているのだろう、などと……)

 とんでもない勘違いだ。偏見から抜け出せなかった。

「……いつからだ?」

「…………え?」

「……いつから、そうなったのかと聞いているのだ。……いや、ここで答えなくていい。場所を移そう」

「あの、陛下!?」

 戸惑うアリアの腕をそっと掴む。

 そして、そのあまりの細さに愕然とした。これでもましになったというのか。

 ひどい自己嫌悪をこらえながら、静かにアリアの手を引き、エセルバートは食堂を後にした。


(どうしよう……いろいろと、知られてしまった……)

 アリアはうろたえながらエセルバートの半歩後を進む。

 エセルバートはこちらを見ようとしない。手を引きながらゆっくりと、しかし断固とした調子で歩いている。

 こちらを気遣って歩く速度を調整してくれているのが分かる。それと同時に、絶対に逃がさないという意志も感じる。

(どうしよう……)

 途方に暮れている間にエセルバートは目的の部屋につき、アリアを中に通した。

 小ぢんまりした部屋だった。調度は趣味がよく、最低限だけ置かれているため、あまり広さがないが手狭な感じがしない。誰を招いても失礼にはならないだろうといった印象だ。

 少し不思議なのが、窓のつくりだ。

 採光と通気のためなのだろう、窓が設けられているが、隧道のようになっている。

「……外から話を聞かれないためだ」

 アリアが首をかしげてそちらを見ていたからだろう、エセルバートが説明してくれた。

「ここは内密の話をするための部屋だ。壁は厚く、扉も二重、窓も特殊なつくりをしている」

「……なるほど、そうなのですね」

 アリアは納得して頷いた。確かにこの窓の作りなら、外に張り付いて話を盗み聞きすることは不可能だし、通った扉も頑丈な特別性だった。防音がしっかりしている。

 同時に、こうも思った。

(……逃げられなさそう……)

 まずいことを知られてしまった自覚はある。今更トーリアに突き返されるとは思わないが、アリアが妃として不適格な育ちをしてきたことを彼はどのように受け止めるのだろうか。

(びっくりしすぎてよく分からなかったけれど、謝罪、されたのよね……?)

 謝罪すべきは騙していたこちらだと思うのだが、立場があべこべだ。

 アリアがトーリアでどんな立場にあったかをエセルバートに知られて困るのは、第一にトーリア王家だ。だが、別にそれは構わない。アリアは彼ら彼女らを家族だなどと思っていないし、恩義も感じていない。

 小さい頃、父には可愛がってもらったから恩がないわけでもないのだが、その後のこともあるし、こうやって生贄として敵国に差し出されているのだから、それは帳消しだと思っている。

 父が愛していたのは、母だけだ。アリアは、その添え物だった。父が母との絆を確認するためだけの存在。一個人として見られていたわけではなく……

(……いえ、考えても仕方ないわ)

そのことは今さら変えようもない。

 次に困るだろうと思うのは、コゼットとジルだ。はりぼての王女を担いでいたトーリア人をエセルバートがどのように扱うのか、怖いものがある。

 この状況を招いたのがコゼットだと言えないこともないのだが、彼女はアリアを庇ってくれたのだ。それならアリアも応えるべきだろう。コゼットと、不機嫌そうにしながらも仕事はしっかりこなしてくれるジルだけは、無事にトーリアへ帰さなければ。

 アリアは視線を上げた。

 こちらを真っ直ぐに――個人として見ようとする、エセルバートの目と目が合った。

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