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アリアは、トーリアでは名ばかりの王女だったが、ノナーキーでも名ばかりの王妃だ。人質としておとなしくしていることと、やがて生贄になること以外は何も期待されていない。
普通の王妃であれば、王を助けたり、世継ぎを生み育てたりといった役割があるのだろう。だがアリアには何もない。
今までは身体的にも時間的にも自由がなかったのだが、少なくとも時間に関しては自由ができたというわけだ。アリアは前向きに捉え、そんな自分が少しおかしくなった。
(……遠からず死ぬ身だけれど、だからこそ満喫しないとね。海も見られたことだし)
そればかりではない。相変わらず朝食は美味しいし、昼食も美味しいし、夕食も美味しい。エセルバートとも時々は同じ席に着かせてもらっている。アリアのマナーが拙いせいなのか不愉快そうな視線を感じることもあったが、なぜだか最近、それが不愉快そうなものではなく不可解そうなものへと変わってきた気がする。こちらにとっても不可解だ。
エセルバートは初夜以来、アリアの部屋を訪れることがなくなった。まったく寂しくはないしどうでもいいのだが――むしろ大きなふかふかな寝台を心置きなく独り占めできることが幸せですらある――、コゼットはアリアの代わりにとでもいうように憤慨してくれている。ジルは相変わらず冷めた目で見ているだけだ。
意外だったのが、エセルバートが初夜の会話を覚えていて、その通りにしてくれたことだ。部屋に美術品が運ばれてきたときはびっくりしたし、護衛をつければ城の中を歩き回っていいと許可もくれた。護衛というより見張り役なのだろうが、それでもまったく構わない。部屋から自由に出て歩けることがすごく嬉しい。
最初に行きたいと思ったのが、庭だった。離宮では緑に囲まれて心を癒されていたから、ノナーキーの城でもそうした心の休まる場所があれば嬉しいと思ったのだ。
護衛は嫌な顔をせず、あちこちの庭を案内してくれた。防衛のためか城は入り組んだ構造で、一か所だけの扉を通らないと行きつけない庭とか、ひとけのない小さな塔とか、洞窟を模した休憩所とか、ちょっとした冒険になる面白い場所がたくさんあった。
アリアにとって幸運だったのが、そうした奥まった場所で、思い切り歌える機会を得られたことだった。いきなり歌い出したアリアに護衛は最初こそ面食らった様子だったものの、たちまち歌に聞き惚れ、今では頼まずとも歌うのに適した場所に案内してくれる。
外ばかりではなく、城の中もいろいろと見せてもらった。
特に気に入ったのが図書室と音楽室と画廊で、最初はアリアにぎょっとしていた人々も、アリアが無害だと分かったからか、話をすることも増えてきた。
知識が足りないことを素直に打ち明けて教えを請うたり、演奏を聞かせてもらったり、幼い頃の審美眼をなんとか呼び覚まそうとしつつ意見を交わしたり、毎日がとにかく充実している。本当に、夢みたいな日々だ。
そんなある日、コゼットがぽつりと呟いた。
「王妃様……どんどんお美しくなられますね……」
「そうだとしたら、食事と睡眠と服装のおかげね」
アリアは少し首を傾げて応えた。
食事は何でもとにかく美味しいし、少しずつ食べられる量も増えてきた。睡眠は言わずもがな、寝心地のいい広い寝台でゆっくりと眠ることができる。服装も、なんだか身に着けるのが怖いほど上質なドレスがこれでもかと並ぶので、服に着られている気がしなくもないが、それまでよりもまともに見えている。そういうことなのだろう。
コゼットは不服そうにした。
「それだけではないと思うのですが……この際それはいいです。それより、王様は何をしてらっしゃるのです! こんなにお美しい王妃様を放って、我が国に攻め入る算段でもしていらっしゃるのでしょうか!? そもそも女性が美しくなるなら、そこには恋人なり配偶者なりの存在という理由があるものでしょうに!」
「……え、えと……」
アリアは反応に困った。こんなに美しい云々はお世辞としても、エセルバートがトーリアに攻め入る算段をしているのではと言われると胸を抉られるものがある。あの国に未練などないが、蹂躙されるところを見たいとも思わない。エセルバートの武人王としての側面と同時に、自分が生贄であるという事実も突きつけられてしまう。
「……コゼット」
ジルが言葉少なに窘めるが、コゼットはそんなジルにも噛みついた。
「なによ、王妃様に同情したらおかしい!? そもそもあなた、王妃様に対していつも失礼なのよ。何が不満なのか知らないけれど、もっとにこやかにしたらどうなの?」
「いえ、あの、大丈夫だからそのあたりで……」
アリアは慌てて割って入った。だが、はっきり聞いておかなければならないこともある。
「責めているわけではないけれど、ジル。あなた何が不満なの?」




