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王と歌姫  作者: さざれ
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 ぼんやりと、意識が浮上する。だが、感覚はまだふわふわしたままだ。

(ふかふか……やわらかい、やわらかすぎる……ちくちくする藁の寝床とはぜんぜん違う……)

 ぼんやりと思い、そういえば花嫁修業中は藁ではなく寝台で眠っていたのだったと思い出し、旅も挙式も終わってノナーキーの城に迎え入れられたのだと思い出し、そこでようやく意識がはっきりと覚醒した。

 紗を通った朝日がやわらかく寝台に落ちている。

(そういえば……横になるなり、眠ってしまったのだっけ……)

 眠っていいと言われたのを額面通り受け取り、そのまま熟睡してしまった。失礼になっていなければいいのだが、今更だ。

 そして結局、初夜の儀式とは何か分からないままだ。

「陛下……?」

 声をかけるが、返事はない。人の気配もない。エセルバートは出て行った後のようだ。

 紗を引き開けて立ち上がり、軽く体を動かしてみる。

 ゆっくりと休めたおかげで体調がいい。そしてどこも変わったところはなさそうだ。

(正直に言って……眠っている間に殺されることも、覚悟していたのだけど……)

 そうだとしても抵抗のしようがないし、そもそもふわふわふかふかな寝台の誘惑に抵抗できなかったし、眠る以外の選択肢はなかったのだが。

 そういえばエセルバートはきちんと眠ったのだろうか? 信用ならないトーリア花嫁の横で眠れたのだろうか。それともあのまま長椅子を使ったのだろうか。

 ベッドにはアリアが作った窪み以外に人が眠った形跡がないし、長椅子は多少体重をかけたところで跡は残らない。彼がいつまでこの部屋にいたか、さっぱり推測がつかない。

 まあいいか、とアリアは思考を追いやった。起きていたら挨拶しようと思ったが、いないなら必要ない、それだけのことだ。

 ここは敵地であるはずだが、アリアは人質であるはずだが、トーリアよりも待遇が格段にいい。

 長くは残されていないだろう生の時間を楽しむことにして、アリアは薄いカーテンを引き開けた。

「わあ……!」

 思わず声を出し、硝子戸も押し開ける。

 昨夜エセルバートは、面白いものはない、などと言った。でも全然、そんなことはなかった。眼前に広がるのはどこまでも美しい眺めだった。

 赤茶けた石造りの城の建物、城壁、その向こうに港町の街並みが見え、さらにその向こうに――海があった。朝日を浴びてきらめく、果てのない青い水面。ずっと見たかったと思っていた、海。

 風景に心を奪われ……唇が、勝手に開く。零れ出るように、音が、言葉が、紡ぎ出される。

 澄み渡った歌声が、かすかに潮の匂いを含む風と混ざり合い、広がっていく。日差しが喜ぶかのようにきらきらと煌めき、木々が枝を揺らし、つられたように小鳥たちが歌い出した。

 夢中になって歌い続け、ふと、風が背後に抜けていったのに気づいて振り返る。部屋のドアが開いていた。

「あの……申し訳ありません、お返事がなかったもので……」

 そこにいたのはコゼットとジルだった。ジルは相変わらず不機嫌そうにしているが、コゼットは顔を輝かせている。

「王妃様、すごい……! すっごく歌が上手いんですね!」

 きらきらとした笑顔で褒められて、アリアは反応に困った。

 とっさに頭によぎったのは、しまった、という思いだった。

 それこそ小さい頃を除いては、アリアは人前で歌ってこなかった。王族たちに聞かれると折檻が待っているし、最悪の場合は歌えなくなってしまう。だから注意深く避けていた。

 王族以外でも、離宮の近くを歩いている人がいるときは歌うのをやめていた。

 もっとも、自分の歌声は自分で思っていたよりも遠くまで届いてしまうらしいので、どこまで隠せていたか自信がなくなっているが、それでも人に聞かせるつもりはなかった。

 歌は、ひとりきりになったアリアの支えだったのだ。

 歌がなければとっくに心を壊していた。心が弱れば体も耐え切れなかっただろう。

 幼かった頃はよく歌っていた。父は喜んで聞いてくれて、母も褒めてくれたり一緒に歌ってくれたり歌い方や様々な歌を教えてくれたり、歌は幸福な日々を象徴するものだった。

 幸福が失われてからも、歌の中には自由があった。きらきらした世界があった。離宮に閉じ込められたアリアだが、歌声は空に届く。さまざまな世界が歌の中にある。

 自分への慰めとしてだけ歌ってきたものだから――そして、聞かれると決まって厄介なことになったから――誰にも聞かせるつもりなどなかった。

 だが、こんな風に喜んでもらえると――くすぐったいような……うれしい、ような……

「……王妃様、そろそろお支度をなさいませんと」

 ジルの冷めた声に、アリアははっとして頷いた。起きた時間はそこまで遅くなかったはずだが、気の向くままに歌っていたら結構な時間が経ってしまっていた。

「ジル! そういう言い方は……!」

「いえ、いいの。その通りだわ」

 コゼットが抗議してくれようとするのを止め、アリアは窓を閉めて着替えの用意を始めた。自分でさっさと用意してしまおうとするアリアに、コゼットが慌てて役割を変わる。ジルも淡々と用意をこなしていた。

 準備が終わると――朝食だ。

 朝食の席は、エセルバートも一緒だという。

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