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(……なにか、おかしい)
結婚式を終え、王女ではなく貴顕をもてなすための晩餐会も王女不在のまま終え、私室に下がったエセルバートは眉をひそめて首を傾げた。
思い出すのは、王女の様子だ。
アリア姫は確かに美しかったが、数多くの女性を見てきたエセルバートには分かる。化粧でかなり誤魔化していると。
(誤魔化すこと自体はおかしくないが……その対象がおかしい)
顔立ちは悪くなさそうだし肌の肌理にも問題がなさそうなのに、なぜかいろいろと塗りたくられていたのだ。……まるで血色の悪さや肌荒れを隠そうとするかのように。
そういえばやたらと細かったし、口付けのときに触れた頬は丸みがなかった。互いに嫌だろうからとふりにとどめた口付けだが、妙なところが印象に残っている。
(……蛮族の国に嫁いでくるからと精神的にやられたのか?)
トーリアがノナーキーを見下しているのは知っている。と言うより、あの国はたいがいの国を見下している。気位が高いのに国力が低い、落ちぶれた名門貴族のような国なのだ。
とはいえ、それでも国は国だし、王族は王族だ。王女が生活に不自由するはずもない。食事は贅を尽くしたものだろうし、眠る時間がないほど忙しいわけでもないだろう。精神的に負荷がかかったせいだと考えるのが最も自然だが、どうも腑に落ちない。
(王女の……あの眼差し)
まっすぐにこちらを見上げた、自分のそれよりもさらに深い青の瞳。トーリア王家のロイヤルブルー。
自分より七つも年下の、まだ少女と言っておかしくない年齢の姫君のそれに、エセルバートは隠しもせずに敵意をぶつけた。殺気こそなかったが、厄介だと思っている眼差しをそのまま向けた。
それを、あの娘は――怯えもせずに受け流したのだ。
しおらしく目を伏せてはいたが、まったく怯えていなかった。恐怖しているなら体の緊張となって表れるはずが、それがなかった。
あの娘は――悪意に慣れすぎている。
心が強いとか、そういう精神的な話ではない。単純に体が慣れているのだ。
「…………まさか、身代わりか?」
「えっ!? なになに、どういうことですか!?」
エセルバートの独り言に対して、素っ頓狂な声を返したのは側近のダスティンだ。同い年なうえに乳兄弟なので気安く、付き合いも長いため王に対してもこの調子だ。
(しかし……瞳のロイヤルブルー。トーリア王家の血筋であることは間違いないし、仮に王女ではない身代わりだとしても希少な存在だろう。そんな人材がいたとして、ここで投入するだろうか? 捨て駒として? 蔑んでいるノナーキーに?)
「……いや、ないな」
「それ、僕に言ってるんじゃないですよね!? こっち見て言わないでくださいよ!?」
ダスティンの悲鳴じみた抗議は無視する。
「いやー……しかしお姫様、お人形みたいでしたねー……」
「それについては同感だ」
昼間の彼女を思い浮かべているらしいダスティンの言葉にエセルバートは頷く。
自分の結婚式だというのに、期待も羞恥も歓喜も不安も嫌悪も、あの青い瞳には何も浮かんでいなかった。
ひたすら、空虚だった。
どんな娘が来るかと思ったが……あれは諦めですらない。最初から希望を持ってさえいなかったのだから。
トーリアの王城で……彼女はいったいどんな教育を受けてきたというのだろうか? 閉鎖的で古い国だから、いろいろなしきたりがあったり厳しかったりしたのかもしれない。
そんなことを考えていたら、ちょうどダスティンがこんなことを言い出した。
「トーリアの……夢の城のお姫様かあ……。ちょっとそそるものがありますよね」
「ない」
にべもなく否定し、軽く溜息をつく。
イメージ戦略なのだろうとは思うが、近年トーリア城は「夢の城」などと呼ばれ始めた。
多くの人々が行き交う城だというのに緑があふれんばかりに豊かで、花々の花期が長く、しかも大きく美しく咲くのだという。
(馬鹿馬鹿しい、そんなもの主観でしかないだろうが。……だが、あの国は少し、特殊だからな……)
気にかかることがないでもない。トーリアは古くからの精霊崇拝を受け継いでいて、賢者と呼ばれる者が王家に助言をしたりすることもあるという。近年その風習は廃れているようだが、王が男系なのも祭祀王であるからという理由だからとか何とか。
古式を守る、古い王国の王女。夢の城の姫君。……かわいそうな、生贄の娘。
ふう、と溜息をつく。それをダスティンが見咎めた。
「お疲れですか? ……用意させた薬湯は効きませんでしたか」
「効かなかった。勧めてくれたのに悪いが」
もともと眠りが浅いたちだったのが、最近は不眠がひどい。
武人王などともてはやされて呼ばれることもあるが、戦いの勘は我ながら鋭いと思うが、戦争から帰ってくるといつもこうだ。
そもそもトーリアが、昔はこのあたり一帯がすべて我らのものだったのだからなどと訳の分からない理由でナイダル川の権利をすべて主張し、難癖をつけてきたことから始まった戦争だ。河口部分を擁するノナーキーとしては断固として認めるわけにはいかなかったのだ。力で分からせたはずだがまだ納得がいっていないらしい。
トーリアの、この地方で最も古い国であるという自負はかなりのものらしく、かつては広かった領土の大部分を失ってもなお王族の気位の高さは変わらない。
だからかなり警戒していたのだ。どんな高慢な姫君が来るのかと。
誓いの場で、毒などで自殺されることも危惧していた。そういった事態に備え、密かに医師を近くに待機させていた。いずれ死ぬ運命にある姫君とはいえ、トーリアがノナーキーに下ったという事実を象徴する婚姻だから、その場で死なれるのはうまくなかった。
結果として杞憂だったわけだが……むしろ死人の方が雄弁なのではないだろうかと思えるほど、王女は空っぽだった。
えぐみが舌に残る薬湯を遠ざけ、白湯を飲む。酒を呷りたいところだが晩餐でかなり飲んだのでここは我慢する。
正直に言って、眠りを改善するこの薬湯が効いたのか効いていないのか分からない。まあ目に見える変化はなかったのは確かだし、味が嫌いなのも確かなので飲む理由がない。せっかくダスティンが勧めてくれたのに悪いが、安眠はこれではもたらされそうにない。
「……ところで」
薬湯を片付けながらダスティンが聞く。
「初夜は、どうなさるんです?」




