第一章:不定階段の噂 ー #1
放課後のチャイムが、気だるい解放感を連れてくる。
他の生徒たちが浮き足立って教室から出ていくのを、私、さらんは自分の席でぼんやりと眺めていました。早く帰っても、特にやることもない。そんな物憂げな空気を切り裂くように、軽やかな声がかけられたのでした。
「よっ、さらんさん! まだいたんだ!」
声の主は、越妖紫門(おちょう、しもん)。特定の部活にも属さず、神出鬼没に現れては、どこから仕入れたかもわからない情報をばらまいていく、学園の情報屋です。
私は、そんな人が実際に居ることを、彼を見て初めて知りました。
「紫門くん…」
「面白い話があるんだけどさ、聞きたい?」
紫門くんは、私の返事を待たずに、いたずらっぽく目を細めて続けます。
最初から待つ気なんてさらさらないのに(笑)。
「本校舎の東棟、あの誰も使わない屋上への階段の話。最近じゃ『不定階段』なんて呼ばれてるらしいぜ。数える度に、段数が変わるんだと。ロマンチックだよなあ、まるで異次元への入り口だ!」
「不定階段…」
その非日常的な響きに、私の心が少しだけ踊ります。そんな私の反応を楽しんでいる紫門くんの背後、教室にはまだ三人のクラスメイトが残っていました。
窓の外、夕陽に染まるグラウンドを眺めながら、写楽法夢(しゃらく、ほうむ)くんが呟きます。
「…物理的にあり得ない。つまり、誰かの錯誤か、意図的なトリックだ」
その隣で、愛瑠来保亜呂(えるき、ぽあろ)さんが優雅に指を組み、にこりと微笑みます。
「興味深いですねえ。なぜ、今になってそんな噂が流れるのか。人の心理こそが、謎を解く鍵なのですよ」
そして、教室の奥、自分の席に王様のようにふんぞり返ったまま、根露得不(ねろ、うるふ)くんが分厚い本から顔も上げずに言い放ちます。
「下らん」
三者三様の反応。彼らこそ、この執有瑠高校で、知る人ぞ知る天才高校生探偵団だったのです。
紫門くんは、そんな彼らの反応すら楽しむように、決定的な情報を投げかけます。
「面白いのはさ、階段の数が『13段』だったって証言が、なぜか美術部の生徒に集中してるってこと。なんか見え方が違うのかね?」
「美術部…ね」
写楽くんの口元が、わずかに歪みました。しかし、彼はそれ以上、興味を示すことはありませんでした。
「まあ、せいぜい頑張ってくれよ、天才諸君。ライバルの華娘さんたちは、結構マジになって調べてるみたいだけどね。じゃあねー!」
嵐のように現れ、嵐のように去っていく紫門くん。
残されたのは、静寂と、天才たちのプライド。
「そうか、やつらが調べてるならほっとけばいいだろう。せいぜい無駄骨を折るがいい」
写楽くんが言い、愛瑠来さんも頷きます。
「ええ。華娘さんたちがどのような結論を出すのか、それを後から拝見するのもまた一興でしょう」
「時間の無駄だ」
根露くんが立ち上がり、私に視線を送ります。
「帰るぞ、さらん君」
こうして、その日の探偵団は、あっさりと解散したのでした。