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王様と幼女

 朝――それは、清新なる光が世界を包み込む神聖の時である。しかし、私にとっては絶望と焦燥に彩られた刻であった。


――すなわち、遅刻である。



 無論、私は日頃より時間の尊さを心得ており、枕元には目覚まし時計を常に備えていた。

 しかしながら、我が寝所を占領する異世界より持ち帰りし繁茂(はんも)なる草が、その目覚ましを己が懐へ抱き込んでしまい、肝心の時刻を告げる術を失わせていたのである。



 その代わりと言っては何だが、草は私を律儀に毎朝起こしてくれる。

 だが、惜しむらくは、彼らには「時間」という概念が曖昧らしく、結果としてこのような遅刻劇が日常茶飯のごとく繰り返されていた。


 とはいえ、その知性には目を見張るものがある。私の言葉を解し、意思を伝えることが可能であるとは、まさに驚嘆に値する。

 我が友よ、汝の名は「聡明草(そうめいそう)」――上下より読んでも変わらぬこの名は、私の神懸かり的ネーミングセンスの賜物であると自負している。



 かくして、聡明草に学生服と鞄を用意してもらい、いざ登校の途へ。


 しかし、疾走の衝撃は私の内なる腸へと容赦なく跳ね返ってきた。

 かくも唐突に活発となった蠕動(ぜんどう)運動の波。いままさに、天下の往来にて不測の災害を引き起こさんとしているではないか。


 私は、己が全筋力を総動員して括約筋に集中し、鉄壁の門を打ち立てる。

 まだ、気力はある。これしき、小走り程度ならば何とかなる――そう信じて、私は進んだ。



 だが、それは甘き幻想に過ぎなかった。

 刺激と振動が、腸をゆりかごのように揺らし、内なる怪異を目覚めさせる…………しかしながら、この程度の試練は日常の一部である。私は冷静に出口の圧を高め、どうにか学校へとたどり着いた。



 おなじみの男子トイレへと駆け込み、ジャンプ三回転――などという無謀はしない。そのような真似をすれば、周囲に阿鼻叫喚の地獄絵図を呈してしまうからだ。


 そっとトイレの扉を開けると、目の前に広がっていたのは、再び草げ――!?。


「って、なんだここは!?」


 そこにあるべき便器も草原もなく、代わりに現れたのは――豪奢(ごうしゃ)なる王宮の広間。



 足元には大理石の床が広がり、荘厳な柱が天を支える。壁には金銀の装飾が(ほどこ)され、まさに王の御座(ござ)する場に相違(そうい)ない。


 これは、どのように見ても草原ではない。いや、草すらも見当たらぬ。かくなる上は、王宮の中にあるであろうトイレを探すしか――


 ……と、思った刹那、腹の底より奔流が襲い来る。



 限界だ。もはや、一刻の猶予も許されぬ。柱の陰にて用を足すなど、あまりに非礼であると知りつつも、我が腸内の暴風に(こう)する(すべ)を失いつつあった。


「くっ。もう、駄目だ。解放しよう」


 私がそう呟き、己がズボンのベルトに手をかけたそのとき――柱の陰より、銀髪の幼き少女が現れた。


 その容貌は、妖精にも等しき清らかさを(たた)えていた。尖った耳、澄んだ瞳、十歳にも満たぬであろうその子は、じっと私を見つめている。


 このような無垢なる存在の前で、私が尻を露わにするなど……まったく(もっ)て不可能であろう。


 私は腹を押さえ、じりじりと体を沈めながら、最後の理性を搾り出す。すると、幼子は静かに私を手招きした。


「まさか、君は!?」


 私は震える足を動かし、彼女の導きに従って進む。彼女は一枚の扉の前に立ち、そっとそれを指さした。


 私は祈るように扉を開けた。そこに――あったのだ。見慣れた愛しの便器が。しかも、トイレットペーパー完備という完璧な布陣。


「やはり、そうか……ありがとう、ありがとう」


 私は心からの感謝を述べ、便器にまたがる。

 幼女には「危ないから離れていろ」と身振りで伝えると、幼女は小さく駆けて遠ざかっていった。


 私は静かに扉を閉め、そして、ついに――


「しゅおおおおおおぅっ。のふふふふうふ、おうおうおう、こぉぉぉぉっぉ!! お~いえ」


 ふ……我が身より(ほとばし)った噴出の余波にて、大気が揺れ、体ごと浮き上がったか――視界が三寸、天を仰いだぜ。



 すべてを解き放ち、軽やかなる綿毛のように身を軽くした私は、満足気にスキップを踏みながら王宮の広間へ戻る。だが、そこに扉の姿はなく、代わりに武装した兵士たちが列をなしていた。


 槍の先で尻を突かれ、私は王の玉座の前へと引き立てられる……あまり尻を刺激すると、死ぬぞ、貴様たち。



 私は憤りと羞恥を噛み締めつつ、王の前に立つ。玉座に腰掛けたその老人は、まるでトランプの王のような威厳を(たた)えていた。


 兵士の一人が私の首に青き宝玉のついたネックレスをかける。すると、不思議なことに、王の言葉が耳に自然と届いた。


「ワシの言葉がわかるか?」

「ん? ああ、わかる。なるほど、ネックレスは翻訳機みたいなものか」

「理解できているようだな。ならば、早速問おう。異界の破壊者『滅ぼし屋』よ、何を目的として我が城に侵入した」


「私は、うんこをしに来ただけだ」


「……我らを馬鹿にするか!?」

「バカになどしていない。たしか勝手にトイレを借りたのはすまないと思っている。しかし、丁寧に使っているし、壊してもいない。なのに、破壊者とは。破壊したのは私のお腹ぐらいだぞ!」


 そんな私の弁明に耳を傾けてくれたのは――あの幼子だけだった。彼女は王の耳元で何事かを囁き、王の表情が変わる。



「なんとっ!? この男、本当に用を足すためだけに、我が王宮へ!」

「理解してくれたか。明日には広間に扉が現れるはずだ。そうすれば、すぐに立ち去る。まぁ、騒ぎ立てたのは謝罪しよう。申し訳なかった」


「いや、我らも確認が曖昧でありながら、(やいば)を向けた非礼がある。今、我らは強大な敵と戦っておってな。それで神経が過敏になっておる」

「強大な敵? それが異界の破壊者、滅ぼし屋とかいうやつか?」


「ああ。世界を破壊しては、新たな世界へ渡り、破壊する。厄介な奴だ」

「そうか、大変だな」


「おっと、おぬしには関係ない話だったか。明日には広間に扉が現れると言っていたな。部屋を用意しよう。明日まで休むといい」

「ありがとう。感謝する」



 私は幼女に感謝を述べた。

「ありがとう、君のおかげで二度も助かった」


 幼女は、無言で、しかし確かに頷いた。トイレへの導き手として、これほど頼もしい存在はない。


 そして翌日、広間に現れた扉の前で王が言った。


「扉を魔導師に調べさせたが、扉には強力な力が宿っており、おぬしの体と深く繋がっているそうだ」

「つまり、今後も私は色んな世界に飛ばされると?」

「ああ、そういうことだ。なので、異種族と会話可能なネックレスを持っていくがいい。誤解の謝罪を込めて、おぬしに送ろう」

「それはありがたい」



 私は王と、そして隣に立つ幼子に手を振り、別れを告げて扉をくぐった。

 戻ってきた。首には翻訳機能付きのネックレスが光る。


 私はトイレの扉をドンと叩く。


「貴様は何がしたい。私はただ、うんこをさせてもらいたいだけなのに……」

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