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世界を巡る~夢見る人々・王様と幼女~

 扉を、私は、ゆっくりと開いた。


 そこには、希望の名を借りた虚構と、現実という名の冷たい絶望が歪に存在していた。

 ここは夢と現の狭間に揺蕩う、理性の及ばぬ領域とでも言おうか。


 私は、無機質な金属で覆われた暗がりの廊下へと、慎重に一歩を踏み出した。

 重苦しい沈黙が辺りを満たし、天井の照明はまるで息絶えたかのように鈍く光り、影と影とが幾重にも交差する。


 その冷たき通路の先に、椅子に崩れるように腰かけ、虚空を眺める一人の男の姿がぼんやりと浮かび上がった。


「久しぶりだな」

「え? あ、あなたは!?」

「ポッドに眠る同胞は?」

「あなたが去ったあと、三人弔ったよ……ふ、ふふ、ふふふ」


 彼は肩を落とし、頭をうなだれ、まるで魂の抜け殻のように虚ろな笑いを漏らした。色も温度も失せたその笑みは、生者のそれではなかった。


「そんな笑いはよせ。セキュリティのパスワードがわかれば、皆を助けられるんだからな」

「な、に? ま、まさかっ!?」

「こいつを使えば、わかるはずだ。セキュリティを呼び出してくれ」


 私はゆっくりと懐から一つの器具――真理を照らし、隠された弱点を暴き出す秘具であるモノクルを取り出し、口元に薄く笑みを浮かべた。


 


 彼に導かれ、制御室へと案内される。そこは、鉄と光が絡み合い、無数の回路と機器が壁を這う空間であった。


 彼は黙々と機械装置の前に立ち、複雑な操作を施す。

 やがて、空中に漂うようにして、無数の記号――いや、解読困難な文字列が浮かび上がった。



 彼は私へと視線を向け、やや声を震わせながら言った。


「この文字の組み合わせでパスワードは解けるのだが、本当にその眼鏡でわかるのか?」

「待ってろ」


 私は言葉少なに答え、モノクルを眼前にかけた。

 するとすぐに、私の視界は一変した。

 空間に浮かぶ文字のうち、ある一点――最初の一文字が、赤く淡く、光を放ち始めたのだ。


 すなわち、この文字こそがこのセキュリティ構造における弱点。突破口にして、希望への鍵。


「思った通りだな。モノクルを君に渡そう。赤く光っている場所が解除コードだ。君が、解除するんだ」

「ああ、わかった」


 彼は、まるで聖典に触れるが如く、慎重に、そして恐る恐る、指先を空中の文字に這わせた。その手は震え、声は出ず、ただ必死に一点を見つめる。



 やがて、最後の一文字が触れられた刹那――


 空間を満たしていた光が一転し、画面は緑色の点滅を繰り返し始める。それは、成就の兆し、解放の証明だった。


「ん、これは? セキュリティは解除されたのか?」

「ふふ、はは、はははは。ありがとうっ!!」


 歓喜に打たれた彼は、衝動に駆られるように私に飛びつき、抱きしめ、耳元で何度も感謝の言葉を吐き続けた。


 そう、耳元で――近すぎる距離にて、呼吸の温もりが肌を掠めるほどに。


「放せ! 耳に息がかかって気持ち悪い!」

「ははは、すまない。あまりのうれしさに、つい」

「もう、大丈夫なのだな」

「大丈夫だ。あとはシステムを解除すれば、みんなは無事に目覚めることができる。みんなを安全に起こすことができる。もう、みんなを、みんなを、弔わなくて済む!!」


 今度は涙を滲ませながら抱きついてきたが、私はその動きに合わせて身をひらりと翻し、あえて受け止めぬまま横へとよけた。


 彼は私の代わりに、無慈悲な金属の床と冷たき抱擁を交わすこととなった。


「ぐほぉっ!?」

「まったく、男に抱き着かれる趣味はないぞ」

「うぐぐ、ひどいじゃないか……」

「ひどくて結構。さて、私は帰るよ」


「もう、いくのか!? あなたのことをみんなに紹介したいのだが」

「すまないな。他にも君たちの世界のように、困っている世界があってな」

「よくわからないが、あなたは大変な使命を帯びているようだな。いつか、ゆっくりと、礼の言える日がくることを願っているよ」


 彼は、もはや悲しみの涙を浮かべることもなく、その顔には確かな希望の光を宿した笑みと喜びの涙を浮かべていた。


――では、次だ。

 お次は……あそこだな。



 扉を押し開けたと、私の眼前に広がったのは、荘厳なる意匠が至るところに施された大広間であった。壁面には紋章が煌き、天井より垂れるは幾筋もの緋色のタペストリー。

 大理石に覆われた床面に足を置いた途端、地の底より響くような轟音が鳴り響き、それと同時に大地が大きく脈打つような揺れが生じた。


「なんだ!?」


 その広間においては、既に幾多の兵士たちが傷を負い、苦悶の表情を浮かべながら、看護に従事する者たちの手により懸命なる救護を受けていた。

 その看護士らの中に、あの小柄な妖精めいた幼女――先に私を便所へと導いたあの幼女の姿があったのを、私は見逃さなかった。


「久しぶりだな、お嬢ちゃん」

「……」

「忙しいところ悪いが、王様を呼んできてもらえるか?」


 幼女はただ黙して小さく頷くと、すぐさま石造りの階段を軽やかに駆け上がってゆく。その足取りの軽妙さは、まるで風に舞う花弁のようだ。

 やがて、彼女は壮麗なる威厳を纏いし一人の人物――すなわち王たる者を伴って、再び姿を現した。


「おや、これはこれは、異界のお方」

「ひどいことになっているが、何が起こっている?」

「異界の破壊者……滅ぼし屋と呼ばれる者が攻勢を仕掛けてきた。悔しいが、我が城は落ちる寸前よ」


「その滅ぼし屋というのは、世界を滅ぼして、新たな世界に旅立つのであったな?」

「ああ、そうじゃが」

「ならば、コレが役に立つ。王よ、相談したいことがある!」



 私は王とその側近たちを伴い、重々しく語るに値する策を披露する。それは滅ぼし屋の動きを封じ、その破滅的思惑を未然に断つ手立て。

 王は長く白き髭を撫で、深き沈思(ちんし)の後、厳かな声音で言った。


「うむ、なるほど。ワシらが一時的に滅ぼし屋の動きを止めればいいのじゃな」

「できるか?」

「ふふ、城に残る全魔導師を使い、奴の動きを止めて見せよう!」

「場所はどうする?」


「この広間に誘い出そう。広間に魔術的トラップを仕掛ける。怪我人にはすまぬが、ワシの謁見室を使ってもらうしかないのぉ」

「わかった。では、さっそく――っと、その前に、事が終えたら一つ頼みたいことがある。翻訳機能の付いたネックレスを幾つか貰えないか?」


「構わんが、どうしてじゃ?」

「必要としている人たちがいるからだ。では、作戦開始といこう」



 かくして一部の兵士が戦線を離れるや否や、滅ぼし屋はその隙を突いて、威圧的な気配とともに城内へと侵入してくる。

 兵たちは一見、応戦の姿勢を見せつつも、その実、巧妙に彼を広間へと誘導していた。

 そして、魔導師たちの罠の中心たる場所に彼が到達した瞬間、封印の結界が起動される。



 火花の如く輝く光。雷鳴の如き咆哮。魔力の奔流が広間を駆け巡り、滅ぼし屋の身を包み込む。彼の動きは確かに鈍った。

 だが、彼はなおも一歩、また一歩と執念深く歩を進める。


 上階よりその光景を見守っていた王が、(しわが)れた声で呻いた。


「おのれ~、我らが死力を尽くしても、止められぬか!!」

「いや、十分だ。行くぞ、聡明草!」



 私は意を決し、二階の欄干より身を翻し、空を裂くが如く飛翔する。その手には、聡明草。

 聡明草は滅ぼし屋の胴に向かって絡みつき、彼の身動きを封じた。


 続けざまに、私は両手に仮想世界へと(いざな)うヘルメットを携え、それを振り下ろす。


「でやぁぁあぁぁぁぁぁぁあ! ずっぽしと!」


 しかし着地の勢いが予想を超え、大理石の床を滑ってしまう。辛うじて床を蹴り、空中にて旋回。滅ぼし屋の頭上を通過しながら、指先でヘルメットのつまみを強く捻る。だが、なお足りぬ。限界を超えねば、意味がない。


 次なる跳躍を試みようとしたとき、王と幼女が私のそばをすり抜け、滅ぼし屋のもとへと至る。王は幼女を抱き上げ、まるで遊戯のように微笑んだ。


「ほら、これをまわすんでちゅよ〜」


 幼子の小さな手が力強くつまみを回すと、ガキッという破壊的な音が響いた。

 

 つまみは限界を超えた――。


 瞬間、ヘルメットの表面に雷の如き電流が奔り、滅ぼし屋の身体が痙攣する。十数秒にわたるその激震の後、滅ぼし屋は大の字となり、地に伏した。


 私は静かに近寄り、その姿を目に焼き付ける。

 黒き外套。腰に備えた小さなポシェット。顔を半ば覆う奇妙な装置――ゴーグル。

 彼の口元は緩み、薄ら笑いを浮かべている。夢の中で、己の望む幻を見ているのだろう。


 やがて、滅ぼし屋の肉体は光の揺らめきとともに虚ろな存在となり、空間より消滅した。

 その場には、ただ一つ――ヘルメットのみが残された。


「あばよ、いい夢見ろよ」



 私は最後の別れの言葉を残し、視線を床へと落とす。そこにはただ、冷たき大理石の感触だけが在った。


「ヘルメットのつまみは限界を超えた。滅ぼし屋は夢と現実の境目を失ったはず。あいつはあなた方の世界を滅ぼしたと思い込んで、世界を去った」

「うむ。じゃが、いずれ夢だと知り、戻ってくる。まぁ、今はそれで十分じゃ」


「何か対応策でも?」


「これまでの戦いで、いくつもの対抗手段を思いついておる。しかし、一挙に攻め込まれたため、防衛がやっとじゃった。次、奴が我が世界に訪れた際は、精到にして無双の方略をもって相手しようぞ」

「その様子だと、大丈夫そうだな。勝利を祈っている」



 別れの間際、王から翻訳機能を持つ首飾りを幾つか授かり、私は広間の中心へと歩み出る。


 そのとき、不意に空間が軋み、トイレの扉が現れた。

 扉を開け、旅立ちの一歩を踏み出そうとする私の背に、澄んだ声が届く。


「またね、お兄ちゃん」

「ああ、またな」


 それは子どもらしき純朴なる声音であった。

 思えば、幼女の声をこうしてはっきりと耳にしたのは、これが初めてだ。


 幼女は、扉が閉じるその刹那まで、片時も手を振ることをやめなかった。

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