世界を巡る~ウイルス・宇宙船~
ウイルスに侵された世界を最後に、私は幾度扉を開けようとも、もはや異なる世界へと飛ばされることはなかった。
すなわち、すべてが整ったのだ。彼らの世界に必要なものが。
私は、訪れた世界から持ち帰った品々を、慎重に部屋へと並べていった。
草原より、聡明草。
美犬さんより、万能薬。
王様より、翻訳のペンダント。
女子トイレより、料理本。
宇宙船より、経典。
密林より、木の杖。
夢を見る人々より、夢に浸るヘルメット。
異なる地球より、紙芝居。
滅びた星より、星を渡る翼。
勇者より、弱点を見抜くモノクル
象より、魔法の包丁。
ウイルスの世界より、性変化の薬。
以上、十二の世界より、それぞれ一点ずつ。
幾つかは、その繋がりを容易に推し量ることができた。
しかしながら、用途すら想像のつかぬ品も、いくつか混じっていた。
まずは、見当のつくものから取り掛かろう。
できる限り、一度の訪問で片をつけたい。
また、別のかたちで助力を仰がねばならぬこともあるだろう。
私は大きなリュックサックに荷を詰め込み、学校のトイレへと向かうべく支度を整える。
聡明草は、部屋中に繁茂した蔓の一節を切り離し、私の右手に根を下ろして静かに宿った。
さあ、世界への窓口、あの場所へ赴こう。
――学校へ到着し、トイレの扉の前に立つ。
さて、どこから向かうべきか。
私は心を定め、あの場所から始めることにした。
「トイレよ、お前が何者かはわからない。しかし、彼らを助けたい思いは伝わってくる。そして、私も同じ思いを抱いている。だから、別の世界に扉をつなげろ!」
私は扉に手を掛け、ゆっくりと開いた。
その先に広がっていたのは、岩塊が無造作に転がる、荒廃した大地。
適当にその辺りを歩き回っていると防護服に身を包んだ者たちが現れ、私を連行していった。
彼らに導かれるままに進んだ先――そこは、厳重な警戒のなされた研究施設の前。
白衣をまとった彼女が、私を迎えた。
「どうして、戻ってきたの?」
「これを君たちに届けるために」
「それは?」
「万能薬。君たちを苦しめるウイルスを倒せるはずだ」
「バカな。そんな丸薬でウイルスが……」
「それは調べてからでも遅くないだろ。この薬は、私や君の常識を超えた逸品だぞ」
「そこまで言うなら……」
彼女はためらいがちにそれを受け取り、私たちは施設の内部へと進んだ。
そこには巨大なモニターが据え付けられ、二重螺旋構造を成す遺伝子に、忌まわしきウイルスが絡みついている様が映し出されていた。
別のモニターには、薬を投与された被験者の様子が映る。
瞬間、遺伝子にまとわりついていたウイルスは、無残にも跡形もなく消滅した。
「ウソ、信じられない。ど、どうなっているの!?」
「さぁな。聞きたければ、美犬さんに聞いてくれ」
「びけん?」
「この薬を作ってくれた、心優しき女性だ。もっと薬が必要なら、彼女に用意してくれるように頼んでみるが?」
「いえ、薬の構成自体は複雑なものじゃないから、複製は容易……こんな、こんな素晴らしい薬が存在するなんてっ!」
「希望は見えたか?」
「もちろん!!」
彼女の双眸に灯った光は、まるで新たな黎明の輝きのように、清々しく、眩しかった。
この光は、もはや誰も、どんな絶望であっても、消し去ることはできないだろう。
この世界はもう大丈夫だ。
ならば、私は次なる世界へ向かうべきだろう。
――だが、その前に一つ、頼みごとがあった。
「悪いが、性変化の薬を多めに用意してくれないか。できれば、紙媒体の説明書付きで」
「ええ、かまわないけど。でも、どうして?」
「その薬を必要としている人たちがいるからだ」
彼女から託された、性変化の薬が詰め込まれた巨大なクーラーボックスを受け取る。
では、行こう。次なる使命を果たしに。
次に扉の向こうで私を迎えたのは、当て無き闇を彷徨う宇宙船の世界だった。
金属で覆われた無機質な廊下に降り立った瞬間、警報機が鳴り響く。
駆けつけた警備兵たちに混じり、銀色のラメをまとった桃色の肌の女性――彼女が姿を現した。
「やはり、あなたね」
「対応が素早いな」
「あなたが訪れて以降、空間のセンサーを調整して警備体制を見直したのよ。それで、何用なの?」
「君たちに渡したいものがあってな、これだ」
私はリュックから、ご婦人より託されたガラス板を取り出し、そっと表面を撫でた。
すると、無数の数式が浮かび上がり、やがて宇宙船の壮麗なホログラムが立ち現れる。
「これは星々を渡ることのできる船だ。これがあれば、君たちの旅はもっと早く終わる」
「えっ!? ちょ、ちょっと見せてみて…………次元跳躍エンジン!? しかも、多元歪曲式!? こんなのがあれば、星どころか銀河間の行き来も可能に!!」
「役に立ちそうか?」
「役に立つどころじゃないっ! 私たちの技術で及ばないところもあるけど、それでもこの理論を基礎にエンジンを作り上げれば、旅は瞬きもしないうちに終わる!」
「もう、資源に悩まされることはないのだな」
「ええ、エンジン作成のために残った資源を使っても、お釣りがくるくらいだわ!」
「それはよかった。一つ、頼みごとがあるんだが、いいか?」
「もちろんよ! 私たちにできることなら何でも言って頂戴!」
「では、これに翻訳フィルターとやらを貼って欲しいんだが」
彼女は快く頷き、私はリュックから性変化の薬の説明書を取り出した。
そして、もう一つ。料理本を取り出しかけたが、思いとどまった。
――これは翻訳させるべきではない、直感がそう告げたからだ。
彼女は説明書を受け取り、迅速にフィルターを貼り終え、私の手に戻してきた。
私は目を通す。
見たこともない文字列が、まるで母語であるかのように脳裏に滑り込んでくる。
「相変わらず見事な技術だ。感謝する」
「何を言うの。感謝するのはこっち。私たちは、あなたに救われた」
「フッ、救おうとしているのはトイレの扉だ。礼はこいつに言ってやってくれ」
「え、はぁ? では……」
彼女と警備兵たちは、怪訝な顔をしながらも、トイレの扉に向かって一礼し、「ありがとう」と声を揃えた。
――私が言い出しておきながら何だが、異星人たちが神妙な面持ちでトイレの扉に礼を捧げるその光景は、まるでこの世ならぬ奇妙な儀式を眺めているかのようで、私は密かに肩を震わせるのだった。