扉の奥に眠るもの
工場を出た佐伯誠は、自宅へ急いでいた。
市街地の混乱はすでに始まっており、車での移動は危険だと判断した。
自宅は少し離れた住宅地にあり、徒歩なら20分の距離。何より――武器がある。
自宅に着くと、玄関の鍵は無事だった。侵入の痕跡もない。
靴のまま上がり、真っ直ぐ二階の自室へ向かう。
押し入れの奥にある、薄い壁板。その裏には、かつて陸上自衛官だった頃の“遺産”が眠っていた。
金属製のケースを開けると、中には防弾ベスト、軍用グローブ、ナイフ、そしてハンドガン。
部品を工夫して自作した消音装置と、鉄パイプをベースにした打撃武器もある。
そして、最も重要なのは――ガスマスク。
誠は手際よく装備を身につけ、最後にガスマスクを装着する。
頬にピタリと吸いつく密閉感が、戦場の記憶を呼び戻す。
感染経路が「体液の目、鼻、口からの侵入」である限り、これが命綱だ。
「……こんな日が来るとはな」
皮肉めいた独り言を呟き、階下へ。冷蔵庫から保存の利く食料と水をバッグに詰め、テレビを一瞥する。
画面には崩壊した都市の映像。逃げ惑う人々と、群れを成すゾンビ。
絶望と混沌が電波に乗って流れてくる。
誠はその中の一つの顔を思い出す。遥。
彼女は市立病院で働いている。
「どうか無事でいてくれ……」
ふと、外で物音がした。
唸るような、低く湿った声。
誠はすぐに鉄パイプを手に取り、玄関を開ける。
向かいの家の前に、ゆらりと立つ影――ゾンビ。
シャツの前を血で染め、片足を引きずりながらこちらに向かってくる。
音は立てられない。銃ではなく、打撃で仕留める。
誠は素早く間合いを詰め、ガスマスクのフィルターを確認しながら踏み込む。
ゴッ!
鉄パイプが横殴りに振るわれ、頭蓋を粉砕する。
飛び散った体液がガスマスクのレンズに当たり、弾ける。
誠はそのまま後退し、呼吸を整える。
「目や鼻に入ったら終わりだ。油断は死につながる…」
マスクのフィルターを確認し、拭き取った体液を処分する。
そして、再び足を踏み出す。
目指すは市立病院。
遥がそこに居ると信じて。