第8話 視線
五月の下旬、今日も私はステファンに連れられて王都の公園に来ていた。
――もちろん、ベルンハルトやカタリナも一緒だけれど。
ステファンがベンチに腰掛けながら新緑を眺めて告げる。
「やっぱりこの季節はいいな。過ごしやすい。
目にも緑が優しいし、空も青くて綺麗だ。
俺はこの季節が一番好きなんだ」
――それは、『ハインツ』がかつて言っていた言葉。
私は戸惑う自分を内に秘めながらステファンに告げる。
「あのね~! 私だって暇じゃないんだけど?!
もうすぐ入試なの! にゅ、う、し!」
ステファンがクスリと微笑んだ。
「メルフィナが落ちるわけがないだろう?
お前は優秀な生徒だと、シュバイク侯爵から聞いている」
「だからって! ジルケ公爵家の娘がみっともない成績なんて取れない――」
私は視線の気配に驚いて背後に振り向いた。
その方向には誰もいない。
『私』の警告音もないけど、あの視線の質感には覚えがあった。
私をただ直向きに見つめる、強烈な眼差し。それに重なる金色の瞳のイメージ。
――まさか、『ゾーン』なの?
きょとんとした顔でステファンが私に尋ねる。
「どうした? メルフィナ」
「……ううん、なんでもない」
『私』はベンチに座りなおし、黙って周囲の気配に気を配る。
もうあの視線は感じない。だけど、『まだ近くに居る』って気がしてしょうがなかった。
『ハインツ』や『コルネリア』だけじゃなく、『ゾーン』まで居るのだろうか。
これはいったい何を意味しているんだろう。
私はステファンの言葉に上の空で相槌を打ちつつ、自分の記憶の正体を考えていった。
****
メルフィナから離れた茂みの中で、ケーニヒが小さくため息をついた。
――相変わらず勘が鋭い。
これ以上近づくのは気付かれるだろう。そう判断した。
もっと距離をとる必要がある。
しかし……近くで見れば見るほど『カリナ』そっくりだった。
外見の問題ではない。魂の在り方、個の在り方が彼女の『それ』なのだ。
ケーニヒが幼い頃、記憶を取り戻して以来、追い求めてきた魂。それが目の前に在る。
ケーニヒは震える心を抑えながら、≪隠蔽≫の魔導術式で認識を阻害させつつメルフィナを見つめた。
だが問題もある。
メルフィナの隣にいる男――あれは『ハインツ』だ。
奴が隣に居るのでは、計画を変更する必要がある。
『カリナ』の願い、『ハインツ』と添い遂げる未来を今世こそ叶えられるのであれば、ケーニヒは姿を見せるべきではない。
――創世神め、何を考えているのか。
忌々しそうに深呼吸をした後、ケーニヒは懐から一つの黒い指輪を取り出した。
彼の瞳と同じ色――金色の琥珀が輝くその指輪をしばらく見つめ、再びそれを懐にしまった。
この指輪の出番が来なければ一番良いのだが。
ケーニヒは再び、黙ってメルフィナの様子を窺い続けた。
****
夕方になり、公園の散策が終わった。
帰りの馬車の中で、ステファンが楽し気に私に語る。
「やっぱり勇者は女魔導士とくっつくべきだったんだよ」
ベルンハルトが呆れたように告げる。
「またそれか? ヒロインの聖女じゃなく、なんで女魔導士なんだか」
私は逸る胸を抑えながらステファンに尋ねる。
「なんでそう思うの?」
「だってそうだろう? 幼馴染で、心が通じ合っていて、誰よりも信頼していた。
ちょっと子供っぽいところが可愛らしくて、放っておけない奴だ」
「――子供っぽいのは勇者も一緒でしょ!
それで苦労してたのは女魔導士の方なんだからね?!」
ステファンが楽し気に微笑む。
「勇者は女魔導士に甘えてたんだよ。
『こいつがいればなんとかなる』ってな。
信頼の裏返しだ」
私は思わず言葉が口を突いて出る。
「でも……勇者は聖女と結婚したんでしょ?」
ステファンが目を伏せながら答える。
「女魔導士は途中で死んだからな。
そうじゃなきゃ、聖女じゃなく女魔導士を選んでいたはずだ。
人類を救った英雄として、聖女と結婚せざるを得なかっただけだ」
――それは、『カリナ』の想いが満たされる言葉だった。
私はそれから微笑みが途切れることなく、ステファンたちと会話を続けていった。
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翌日、シュバイクおじさまの書斎に居た私は心に穴が開いたような寂しさを感じていた。
何かが物足りない。
この心細さには覚えがある。
『カリナ』が『ハインツ』と離れて行動してた時に感じて居たものだ。
彼女はいつも『ハインツ』と行動を共にしていた。だから理由はわかる。
だけど、なんで今、私は同じ気分になっているんだろう。
会いたい――その想いの先に、ステファンの顔が思い浮かんだ。
だけど相手は婚約している身分。みだりに会っていい相手じゃない。
私は雑念を振り払うように頭を振り、手に持っていた魔導書に目を落とした。
……私が咄嗟にだしてしまっている防御結界、あれは魔導術式じゃないような気がする。
どの魔導書を見ても、根本から仕組みが違う気がした。
『カリナ』が使っている魔導は、高位の存在から力を借りる魔道。
そんな魔導には心当たりがあった――古代魔法、『古き神々の叡智』だ。
古き神々が力を貸すという、今では失われてしまった魔導。
――よし、夢の再現をしてみよう。
手元にある魔導書を閉じ、本棚に戻して部屋の中央に移動する。
『私』は神経を研ぎ澄ませ、知識の神の気配を探る。
うっすらとだけど、わずかに神の気配を辿ることができた。
その気配に向かって丁寧に祈りを捧げる――『カリナ』のように。
――知識の神よ、お力をお貸しください。我が周りの脅威を我に示し給え。
祈りと共に魔法をイメージする――周囲から魔力が集まってきて、それを自分の魔力で練り上げていく。
そして私は書斎全体を覆う≪警戒≫の古代魔法を展開していた。
息を飲みながら、魔法の状態を魔力で確認していく。
これは間違いなく、夢の中で『カリナ』が使っていた魔導。
魔導術式じゃない、『魔法』――古き神々の叡智だ。
やっぱり私は、『カリナ』と同じ魔導を使えるのか。
魔法を解除し、考えてみる。
こうなると、あの夢が前世だという信憑性が出て来た。
咄嗟に体が動いてしまうのも、『カリナ』の戦闘経験が突き動かしているのだろう。
中々に驚きの発見だけど、これはこれで頼もしい。
『私』は魔王討伐に参加した一流の魔導士で、その実力は折り紙付きだ。
命を狙われているステファンにとって、頼りがいのある力になる。
そう結論付けて、私は書斎を後にした。
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魔導学院の入試は、なんと自宅で受けられるものだった。
送られてきた問題集を親や後見人の前で解いていき、記入が終わった回答を魔導学院に返送するらしい。
もちろん不正が発覚すれば、監督していた貴族の信用が地に落ちる。
だから不正は起こらないんだと、シュバイクおじさまは笑っていた。
六月下旬、入試通過の知らせが届き、私はおじさまと祝いの席を設けた。
といっても、水で薄めたワインを一緒に飲んだだけだけど。
社交界にお酒は必須。若年層は薄めたワインを飲むのが通例なんだとか。
ステファンの襲撃に備えた護衛に連れ出されつつ、入学に向けた勉強を続ける日々。
襲撃は毎回起こるわけじゃなく、『誰に予定を知らせていたか』で容疑者を絞り込んでいるようだった。
そんな危うく平穏な毎日が過ぎ、七月に入ったある日――一通の手紙が私に届いた。
差出人は……サラ・フォン・ノウマン侯爵令嬢。
内容は――お茶会のお誘い?!