第7話 観劇(2)
カタリナを馬車に残し、私たちは劇場に入って行った――護衛対象を減らすためだ。
劇場につくとステファンが告げる。
「開場まで時間がある。その辺のソファにでも座って待とう」
「え、貴賓室とかないの?!」
ステファンがきょとんとした顔でこちらを向いた。
「あるが……密室より開けている場所の方が対処がしやすい。
これだけ大勢の人眼がある中で、暗殺者が動けるわけもない。
むしろ安全だぞ?」
そりゃそうかもしれないけどさぁ。
結局、長椅子に座り込んだステファンの隣にベルンハルトが座り、その隣に私が座った。
周囲では十人の騎士たちが目を光らせている。大変物々しい。
私はぼそりと呟く。
「なんか、目立ってない?」
「仕方あるまい。割り切れ」
そういう問題かなぁ?!
だけど、ロビーで開場を待つ人々を見るステファンの目は優しい。
その視線の先には劇を楽しみに笑顔で待つ民衆の姿。
――あれ? 小さい女の子が一人で泣いてる?
私が立ち上がるより早くステファンが立ち上がり、追従しようとした騎士を手で制した。
そのまま小さな女の子の元へ歩いていくと、腰を落として話しかける。
「どうしたー? 迷子かー?」
女の子が小さく頷いた。
ステファンが背後の騎士を振り返ると、その騎士は頷いてカウンターへと駆け出していった。
……迷子係を捜しに行ったのかな。
ステファンが女の子に告げる。
「少し待ってような。今、お母さんを探してくれる人を連れてくるからなー」
しばらくすると騎士が劇場の女性職員を連れて戻ってきた。
女の子を職員に引き渡すと、ステファンがソファに戻ってくる。
私は思わず彼に尋ねる。
「子供が好きなの?」
「ああ、好きだぞ? 子供は国の宝、そう教わってきた。
だがそれ以上に、俺は子供を見てるのが好きなんだ。
未来を象徴するような存在だろう?」
そう言ってステファンは、ロビーに居る子供たちの顔を眺めているようだった。
――ああ、『ハインツ』もそうだったっけ。
旅先で子供たちを集めては、一緒に遊ぶような人だった。
私がステファンの微笑む横顔を見ていると、ベルンハルトが耳打ちをしてきた。
「そのように無防備な笑顔をこんな場所で晒してはいけませんよ」
――え?! 頬が緩んでた?!
私は慌てて手に持っていた扇子で顔を隠した。
「……見なかったことにしてください」
ベルンハルトは微笑みながら頷いていた。
****
ホールへの扉が解放され、私たちは三階にある貴賓席へと移動した。
眼下では庶民たちが一階席を埋め尽くしていく。
「すごい人気だね……どんな劇なの?」
ステファンがゆったりと座りながら答える。
「歌劇だよ。勇者の叙事詩だ」
――まさか、『ハインツ』の叙事詩?!
私が茫然としていると、ステファンが続けて口を開く。
「サラはこの劇が嫌いらしくてな。見るのは久しぶりになる」
「……なんでこの劇を選んだの?」
私の絞り出した言葉に、ステファンは事もなく答える。
「俺がメルフィナと見たかった。それだけだ」
ステファンの向こう側に座るベルンハルトが楽し気に告げる。
「剣を持つ男なら、誰もが一度は勇者のような存在に憧れる。
――だとしても、ステファンはちょっと熱が入りすぎだな」
私はおずおずとステファンに尋ねる。
「何度目なの? この劇を見に来るのは」
「んー? 覚えてないな。十回は優に超えてるはずだが」
――どんだけ好きなの?!
私が驚いていると、ホールが暗くなっていった――間もなく開演だ。
そして幕が上がり、歌劇『光の勇者』が始まった。
****
叙事詩をベースに歌劇にアレンジした舞台は、『私』を強く刺激した。
劇を見ているだけで『カリナ』の記憶が呼び覚まされていく。
だからなのか、本来は『カリナ』や『ゾーン』の活躍だった部分が勇者や聖女に割り振られているのを見ると、複雑な気持ちになった。
劇はいよいよ魔王城に攻め込み、魔族の大軍勢を打ち滅ぼして魔王城の中へ乗り込む。
魔王と対峙すると楽団の演奏が大音量でなり始めた――同時に、『私』の警告音が激しく鳴り響いた。
「ベルンハルト!」
叫びながら防御結界を展開しつつ、ステファンに覆いかぶさる。
『私』の防御結界は今回も飛来する『なにか』を破裂音と共に弾き返していく。
名前を呼ばれたことでベルンハルトも即応し、剣を抜き放って周囲を見渡していた。
「――上だ!」
ベルンハルトの声で、護衛の騎士の半数が頷きあい、天井近くの席へ向かって駆けて行く。
劇は私たちの異変に気づくこともなく、クライマックスを迎え魔王との闘いが続いていた。
『私』は油断をしないように結界を維持しながらステファンに告げる。
「外へ出よう。ここは暗すぎる」
ステファンが頷き、私たちは明るいロビーへと移動した。
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明かりの下でステファンの無事を確認して一息つく。
『私』の警告音も鳴りやんで、結界を解除していた。
暗殺者を追っていた騎士たち戻ってきてステファンに報告する。
「申し訳ありません、取り逃がしました」
ステファンが鼻を鳴らして答える。
「構わん、俺は無事だ。
だが今日の予定は一部の者にしか知らせていない。
となると容疑者が絞られてくるな」
ステファンとベルンハルトが顔を見合わせて頷いた。
まさか……。
「ねぇステファン? もしかして私を誘っての観劇って『襲撃』を誘ったの?」
ステファンがニンマリと微笑んだ。
「お? さすがメルフィナ、勘が鋭いな」
こいつはー?! 私を何だと思ってるんだ!
ベルンハルトが感心したように私を眺めていた。
「あの身のこなし、誰よりもいち早く防御結界を展開しきる速度。
並大抵の腕じゃなかったな」
ステファンが自慢げに胸を張る。
「そうだろう? あれだけの技は宮廷魔導士でも見せられるかどうか。
メルフィナが傍に居れば、俺の安全は保障される」
私は思わず抗議の声を上げる。
「ちょっと! 淑女を何だと思ってるの?!」
ベルンハルトが私を手で制止ながら告げる。
「まぁまぁ、落ち着いて。
ともかく、今日は帰ろう。
再びホールに戻るのは避けた方がいいだろう」
私たちは頷き合うと、カタリナが待つ馬車に向かって歩き出した。
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帰りの馬車の中で、私はふとステファンに尋ねる。
「ステファンはあの劇で、誰が一番好きなの?」
「俺か? 俺はもちろん勇者――と言いたいが、実は女魔導士なんだ」
それは意外な答えだった。
「え? なんで女魔導士なの?」
「なんでって言われても、なんだか目が離せなくてな。
しっかり者で切れ者の癖に、いざというときにドジを踏む。
勇者が守ってやらないと、壊れてしまいそうな脆さを持ってるから……かなぁ」
え? そんな細かく歌劇で演じられてたっけ?
あの劇で女魔導士は端役の一人、個性なんてほとんどなかったはず。
ステファンの言葉は、まるで『ハインツ』が『カリナ』へ伝えてるようだった。
……やっぱり、ステファンは『ハインツ』なのかな。
記憶がないだけで、『ハインツ』の生まれ変わり?
そして歌劇を見ている間に、私は『カリナ』の記憶をほとんど思い出していた。
こうも鮮明に旅の記憶がある私は、『カリナ』の生まれ変わりなんだろうか。
真実は誰にもわからない。誰かに答えを教えてほしい。
私は楽し気に劇の感想を語るステファンの顔を、黙って見つめていた。