第6話 観劇(1)
私はシュバイクおじさまの書斎を尋ねて告げる。
「おじさま、少しいいかな」
おじさまが本から顔を上げて微笑む。
「ん? 何かあったのかい?」
「相談があるんだけど……」
そう言って私は、ステファンから送られてきた手紙をおじさまに手渡した。
おじさまは封蝋と差出人を確認してから手紙を読み始め、読み終えてからため息をついた。
「観劇の誘いか。
ノウマン侯爵令嬢という婚約者が居ながら、メルフィナを誘うだなんて。
殿下も困った人だね」
私も眉をひそめて頷いた。
「そうなんだよー。でも手紙には『これは命令だ』とあるし。
私もどうしたらいいのか」
おじさまが顎に手を置いて考えていた。
「ふむ……仮病でも使うかい?
観劇は明日だ。今日体調が悪いからと断れば、そう角は立たない」
――ふと、眉をひそめて機嫌を悪くした『ハインツ』の顔が脳裏をよぎった。
「それだと気づかれる気がするんだ。
そしてとっても機嫌が悪くなるんじゃないかなぁ」
そして曲がったへそを直すのがとても大変なのだ。
半ば確信に近い直感だった。
『カリナ』はそれで何度か苦労していた。
『ハインツ』にそっくりなステファン殿下なら、きっと同じことになる気がした。
おじさまが苦笑を浮かべて答える。
「確かに、仮病と言うのは断る口実でもポピュラーだ。
殿下は勘が鋭いところがお有りだし、気づかれても不思議ではないね。
今回は他の友人も同行するようだし、二人きりというわけでもない。
世間的にはなんとか体裁を保てるだろう」
「じゃあ、承諾しても大丈夫なのかな?」
おじさまが頷いて答える。
「私の方から返事をしておこう。
あとは任せておきなさい」
「――ううん、自分で返事を書くよ!
文句も言っておきたいし!」
おじさまが楽し気な笑い声をあげた。
「わかった、そうしなさい」
私はお礼を告げてから、おじさまの書斎を後にした。
****
夕食の後、私はおじさまにの書斎で尋ねる。
「ねぇおじさま、『生まれ変わり』は存在すると思う?」
おじさまが手を止め、わずかに目を細めた。
「白竜教会――創竜神の教えではそれが『在る』とされているね。
だけど、急にどうしたんだい?」
「いえ、実際にそんな体験談があるのかなって」
「少なくとも記録を目にしたことも、噂を耳にしたこともないね。
だが古くから伝わる伝承ではあるようだ。
創竜神の根幹にある信仰なのだろう」
やっぱり前例はないのか。
じゃあ『カリナ』が何者なのか、まだはっきりと決まったわけじゃない。
だけど今とは違う服装をする人々が生きる時代だった。
単に国が違うだけかもしれないけれど、敬う神も違うようだった。
『カリナ』は知識の神を信仰していたらしいと、ここ数日の夢で分かっている。
「ねぇおじさま、創竜神より古い神様っていつ頃の時代になるの?」
おじさまが楽し気に目を細めた。
「難しい質問だね。
現存する最古の叙事詩が千年前で、それには古き神々の伝承が記されている。
その叙事詩も写本のようだから、実際にはもっと古い時代だと思う。
なにせ白竜教会の存在が記された史料も七百年くらい遡れるからね」
――千年以上前?! そんなに古いの?!
「じゃあ、魔族が『最後の大侵攻』をしたって言うのは?」
「その最古の叙事詩がまさに『魔族の大侵攻』だよ。
その後、創竜神の信仰に切り替わっていったようだ。
それくらい古い話になる」
「……じゃあ、叙事詩を少し調べてもいいかな」
「ああ、構わないよ」
おじさまは私に微笑んだ後、本の続きを読み始めた。
私は本棚から先日見つけた叙事詩の一冊を手に取り、ゆっくりと目を通す。
――やっぱり、夢と符合するところが多すぎる。
女魔導士と旅立った勇者は、旅の途中で聖女や戦士、剣士や老魔導と合流した。
途中で起こる大きな魔族との闘いは、これまで夢で見たことがあるものが混じっている。
……けど、『ゾーン』のことが不自然なほど書かれていない。
魔王の息子で、勇者一行に加わった彼。
勇者より戦闘力が高い彼は、旅路になくてはならない人だった。
なのにその痕跡すら残されていない。
なぜ記されていないのだろう?
やっぱ魔族が英雄譚に登場するのは、はばかられたのかなぁ。
叙事詩の中で、女魔導士は魔王の攻撃から勇者をかばって命を落としていた。
そこは夢とは違うけど、そこまで旅をしたことは同じだ
今では名前も残されていない勇者パーティのメンバー。
『カリナ』はやっぱり、その中の一人だった?
……考えても、まだ答えは出ない
私は本を戸棚に戻すと、辞去をして書斎を後にした。
****
翌日、午前中からステファンが馬車で迎えに来た。
私がカタリナと一緒に出迎えると、ステファンが笑顔で応じる。
「おぅ、メルフィナ! 今日も麗しいな!」
私はため息で応える。
「ステファン、君は自分が命を狙われてる自覚はあるのかな?」
彼が高らかに笑った。
「そう言うな。昼間の劇場で観客も多い。
そんな場所で簡単に暗殺などできるものじゃないさ。
――それより、紹介しよう。側近のベルンハルトだ」
ステファンの横に居た、青い髪の青年が私に手を差し伸べて告げる。
「ミュラー家が息子、ベルンハルトだ。
私にも敬語は不要と思って欲しい」
この人も、突然馴れ馴れしいなぁ?!
私は苦笑を浮かべながら、差し出された手を握手で返した。
「ジルケ公爵家が娘、メルフィナだよ。
初対面で敬語を抜く人を初めて見たかな」
ベルンハルトはため息をついて答える。
「ステファンの『命令』だからな」
私が白い目をステファンに向けると、彼は悪びれもせず不敵に微笑んだ。
「ベルンハルトは同じ剣の師についていてな。同門の徒なんだ。
そんな奴らが俺の周りで敬語を使うなど許さん」
「ス~テ~ファ~ン~?」
彼は私の睨みつけなど意にも介さない。
「なんだ? 愛の告白ならいつでも聞くが」
「言うか!」
ベルンハルトが困ったように微笑みながら告げる。
「開演の時間がある。そこから先は馬車の中でしてくれ」
ステファンが頷いて答える。
「それもそうだな――行くぞ!」
こうして私は、ステファンたちと劇場に向かうことになった。
****
馬車の護衛は馬に乗った騎士が十人。明らかに少ない。
「ねぇステファン、君はほんと~に命を狙われてる自覚、ある?」
「あるが……それがどうした?
メルフィナが居れば問題ないだろ?」
「あのねぇ……」
私は頭痛を覚えて額を押さえていた。
ベルンハルトが楽し気に告げる。
「なんでも、熟練の魔導士のように暗殺を防いだんだって?
ステファンがずっと自慢げに話していたぞ」
「ステファン?! 何をしてるのかな、君は!」
彼は悪びれもせずに微笑んでいた。
……こうして改めて見ても、やっぱり『ハインツ』そっくりだ。
『ハインツ』もこうしてわがままを言っては楽しそうに笑っていた。
ステファンが私の視線に気づいて尋ねてくる。
「どうした? あまりの美貌に見とれたか?」
「見とれるか!
……ねぇステファン、『ハインツ』って名前に覚えはある?」
ステファンが眉をひそめて答える。
「ハインツ? どのハインツだ?
せめて家名か爵位を付けてくれ。
いくら俺でも、それじゃあ特定できんぞ」
――それじゃあ、『ハインツ』じゃないの?!
いや、でも私の中の『カリナ』が『この人がハインツだ』って言ってる気がする。
じゃあ、私と違って前世の記憶がないのかな。
……あれが前世の記憶と限ったわけでもないんだけど。
ああもう! 『カリナ』ってなんなの?! この記憶は何?!
この胸に沸く郷愁にも似た想いは、どうしたらいいの?!
私は一人、悶々としながら馬車が劇場に到着するのを待った。