第4話 王国第一王子(1)
シルクの夜会用ドレスに着替え終わった私は、カタリナに化粧を施されていた。
「あーあ、とうとう夕方になっちゃった。
やだなー、逃げ出していーい?」
カタリナがクスリと笑みをこぼす。
「それはお諦めください」
「ちぇー!」
コルセットで締め付けられてるから、食事だって楽しめない。
ただ微笑んで、挨拶をして、顔と名前を覚えるだけの時間だ。
……まぁ、私は人の名前を覚えるのが苦手なんだけども。
公爵家の娘として『それはどうなんだろー?』とは思うんだけど、覚えられない物は仕方がない。
化粧を施し終えたカタリナが告げる。
「メルフィナお嬢様、仕上がりました」
目を開けると、ドレッサーの鏡には金髪をアップに固めて派手なメイクをした自分が映ってる。
「なんで夜会ってこう派手な化粧をするの?!」
「そういうものですので、お諦めください」
もー! 納得いかない!
私はカタリナと共に、侯爵家別邸のホール控室へと向かった。
****
遠くから楽団の演奏が聞こえる。
もう来賓が来てる時間か。
ステファン第一王子だっけ? どんな人なのかなぁ。
王家の親戚だけど、王族と会うのは初めてだ。ちょっと緊張する。
入口のドアがノックされ、シュバイクおじさまが姿を見せた。
「メルフィナ、出番だよ」
「はい、おじさま」
私はおじさまにエスコートされながら、来賓が待つホールへと向かった。
****
――うわ、大勢来てるなぁ。
ホールには数十人の貴族たちの姿があった。
みんなの視線が私に向けられる。
私はジルケ公爵家を背負った気持ちで、背筋を伸ばして歩いていく。
すぐにこちらに来賓たちが近寄ってきて言葉を交わす。
伯爵、侯爵、子爵に男爵。その家族。
覚えられるかーっ?!
だけど顔は微笑みを絶やさず、こう答える。
「ジルケ公爵家が娘、メルフィナ・クララ・ゴルデナーシルト・フォン・ジルケでございます。
王都の社交界でもよろしくお願い致しますわね」
さすがに外面を取り繕うぐらいはできる。
そうこうしてると、おじさまが私に告げる。
「さぁ、ステファン殿下がお見えだよ」
おじさまの視線の先、貴族たちの向こう側に揺れる金髪が見えた。
人混みを抜けて来たその姿――それに私は言葉を失った。
――ハインツ?!
緩く伸ばした金髪、翡翠色の瞳、そして自信に満ち溢れた笑み。
……ううん、夢の中の『ハインツ』とは少し違う。だけど面影は色濃く感じていた。
隣にはシルバーブロンドの令嬢を連れている。彼女がサラ・フォン・ノウマン侯爵令嬢かな。
彼が私の目の前に来たので、カーテシーで腰を落とす。
「君がメルフィナだね。
私はステファン・ルーカス・グランツシュヴェルト・フォン・ブライテンブルンだ。
同じ魔導学院に通うと聞いている。よろしく頼むよ」
「はい、ジルケ公爵家が娘、メルフィナ・クララ・ゴルデナーシルト・フォン・ジルケでございます。
本日はようこそおいでくださいました」
ステファン殿下の隣から令嬢が告げる。
「私はステファン殿下の婚約者、サラ・タニヤ・ラインクヴェル・フォン・ノウマンですわ。
私も魔導学院に通うことになってますの。よろしくお願いしますね」
穏やかな慈愛に満ちた笑み、それでいて意志の強そうな灰色の瞳。
誰かを思い出す――まさか、『聖女コルネリア』?!
「……こちらこそ、よろしくお願い致しますわ、サラ様」
なんとか言葉を絞り出したけど、なんで『夢の中の人』のそっくりさんが二人も現れるの?
私は混乱しながら、目立たないように二人を観察していった。
見れば見るほど、『ハインツ』と『コルネリア』だ。
シュバイクおじさまと言葉を交わしていたステファン殿下が、ふと私に視線を向けた。
「シュバイク侯爵、少しメルフィナ嬢を借りてもいいか」
おじさまは少し驚いたようだけど、すぐに頷いた。
「ええ、構いませんとも」
ステファン殿下は私の手を取り、テラスに向かって歩き出した。
「少し夜風に当たろう。君も疲れただろう?」
「え、ええ……」
刺すようなサラ様の視線を背中に感じながら、私はステファン殿下にエスコートされてテラスに出た。
****
テラスの端まで行くと、夜空に満月が浮かんで見えた。
二人で月を見上げると、その影がテラスに落ちているのがわかる。
ステファン殿下が告げる。
「君とは初めて会った気がしない」
――何言ってんのこの人?!
「陳腐な口説き文句ですわね」
月を見上げたままステファン殿下が答える。
「どこかで会ったことはないか」
「私は王都に初めて参りました。
殿下にお会いする機会は、本日までなかったはずですわ」
ステファン殿下が私に振り返って告げる。
「だが君の顔を見ていると、どこか懐かしい気持ちになる」
その目には確かな情熱を感じた。
――そんな『ハインツ』と同じ瞳で、私を見ないで!
私はなんとか平静を取り繕って答える。
「殿下、婚約者がある身でそのようなことを仰ってはいけませんわ」
殿下がフッと寂し気な笑みを浮かべた。
「親の決めたことだ。私の意思ではない。
ノウマン侯爵家は有力な貴族、ただそれだけだ」
――これ、マジで誰かに聞かれたらヤバイ話題なのでは~?!
私は背中に冷や汗を流しながら、どう受け流そうか悩んだ。
正直に言えば、『ハインツ』の面影を感じる殿下に言い寄られて悪い気はしない。
美形だと思うし、もし中身も『ハインツ』そっくりなら、男性として申し分がない。
まるで私の中に『カリナ』が居るかのように、今すぐその胸に飛び込みたい衝動を我慢していた。
だけど、さすがに泥沼の関係は嫌だなぁ。
そんな私の複雑な胸中も知らず、ステファン殿下が続ける。
「もしも伴侶を選べるのなら、私は君のような人がいい」
私は困惑しながらも、微笑みを絶やさず答える。
「出会って間もないのに、私の何がわかるというのですか?」
「一目惚れ、と言ったら信じるか」
「お戯れを。そのようなことを仰ってはなりません。
ステファン殿下、お立場をお考え下さい」
「だが本当のことだ」
まだ引かないの?! どんだけグイグイくるのこの王子様?!
「……私のことを知れば、きっと幻滅なさいますよ。
私は男性が夢見る女にはなれませんから」
「構わない。君であれば、それでいい」
本当に諦めないなぁ?! どうやって切り抜けよう……。
――突然、『私』の勘が大音量で警告を発した。
「殿下! 伏せて!」
そのまま殿下を地面に押し倒し、即座に『私』が半透明の防御結界を展開する。
展開し終わった防御結界が、飛来する『なにか』を破裂音と共に弾き返していた。
地面に転がり落ちた『なにか』――黒塗りの矢?!
「――刺客です! 誰か来てください!
殿下をお守りしてください!」
私の突然の行動に驚いていた周囲の衛兵や騎士たちが、慌てて動き出し周囲を取り囲んだ。
それまで感じていた殺気の高まりが薄まっていき、『私』の警告音も鳴りやんだ。
――助かった、のかな。
私は安堵のため息をついた。
ステファン殿下が地面に倒れながら見上げてきて告げる。
「お前はもう魔導術式を使えるのか?」
「……いえ、私も咄嗟のことでしたので、何が何やら。
ただ、体が勝手に動きました」
通常、魔導術式を習うのは魔導学院に通う十五歳以降だ。
私たちと同年代で、こんな魔導を使える人間は居ないはず。
……この防御結界、もしかしなくても『カリナ』の使ってた奴だよね。
あっ?! いけない!
「失礼しました殿下、お怪我はありませんか?」
私は立ち上がってから、殿下に手を差し伸べる。
ステファン殿下は私の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「……ステファン」
「はい?」
意味が分からず聞き返してしまった。
ステファン殿下がニヤリと微笑んで私に告げる。
「俺のことはステファンと呼び捨てにしろ」
――はぁ?!
殿下は混乱する私に構わず続ける。
「やっぱりお前のことは、初めて会った気がしない。
ずっと遠い昔も、こうして守ってもらっていたような気がする。
そんな奴に敬語など使われては、背中がむず痒くなる」
「いえ殿下、そのような――」
「ステファンだ」
言葉を遮ってまで言うこと?!
「……ステファン様、婚約者がいらっしゃる身だというご自覚が――」
「ステファンだ。様は要らん。敬語も抜け」
く~?! わがままな!
「……ステファン、これでいい?
でもこれ、不敬罪にならないの?」
ステファンがニヤリと満足げに微笑んだ。
「うむ! やはりこうでないとな!
まぁ公の場では控えてくれ」
「言われなくてもそうするよ!」
私は思わず大きなため息をついてしまった。
とんだトラブルメーカーだ。
でも、ステファンの笑顔を見ていると胸が熱くなる。
まるで夢の中で『カリナ』が『ハインツ』を見て居る時みたいに――。
私たちは少しの間、月明かりの下で微笑みを交わしあっていた。