第32話 レクチャー
私はケーニヒに恐る恐る尋ねる。
「……帰っちゃうの?」
「今はまだ、俺は帝国の人間だからな。
帰るべき場所は帝国、ということになっている」
これは、私が言ってもいいのかな……。
「……私が『帰らないで』って言ったら、ケーニヒはどうするの?」
「お前が望むならば、この国に居られるよう手を尽くそう。
お前が望む限り、お前の隣に居てやる」
「私がこの国じゃなく、帝国に住みたいって言ったらどうするの?」
「どうした? 国を捨てる気になったのか?」
私は俯いて答える。
「そういうわけじゃないけど……聞いてみたくて」
「そうだな。とりあえず第一皇子の客人として招いてやろう。
お前が望むなら、皇子妃にでもなればいい」
「結婚前提?!」
「お前が望まぬなら、客人のまま居ればいい」
「うーん、結婚かー。まだ実感がわかないんだよねー」
婚約者がいる身で言っちゃいけないかもだけど。
「ならば焦る必要もあるまい?
お前は思うときに婚姻し、子を成せばいい」
「子供、子供かー。
……ケーニヒの子供って、どんな子になるんだろうね」
「さぁな? 俺に似た子になるか、お前に似た子になるが。
どちらにせよ、美しい子になるだろう」
「私限定?! 他の人とは結婚しないの?!」
「俺は、お前意外と婚姻を結ぶつもりがないからな。
お前が望むなら婚姻するし、望まぬなら生涯独り身だろう」
私は眉をひそめて答える。
「第一皇子がそれで大丈夫なの……?」
「前も言ったが、俺は皇位を継ぐつもりがないからな。
だがお前が皇后になりたいと望むなら、俺が皇帝となろう」
「ちょっと! 王妃より大変そうなんだけど?!」
「なに、名前が違うだけだ。
それに、俺がお前に『お前らしくない生き方』を強いると思うのか?」
「全く思わないけど……」
「ならば、お前らしく生きればいい。
お前らしい皇后になるだろう」
「それこそ帝国の将来が不安だよ?!」
「関係ないな。興味がない。
もし俺が皇位を継ぎ、俺の代で帝国が滅びようとも、お前が幸福のまま人生を終えられるのでれば、帝国も本望だろう」
「帝国民が可哀想だよ?!
もっと国民のことも考えてあげよう?!」
「国が滅びようとも、人は滅びんよ。
所属する国が変わるだけだ。
攻め滅ぼされでもしない限り、その土地にはその土地の文化が根付き、受け継がれてゆく。
たとえ俺の代で帝国を滅ぼすとしても、他国に蹂躙されるような真似はさせんさ」
「それって、普通に皇帝をやる方が楽じゃないかな……」
「まぁそうだろうな。
だが俺は自分を変えられん。
そんな人間が皇帝をやるとしたら、俺らしい皇帝にしかならんよ」
「ケーニヒらしい皇帝かー。
でもなんか、ケーニヒが治める国ならみんなが笑っていられる国になる気がするね!」
「お前が望むのならば、そういう国を作ろう」
「んー、でも私はまだ、ケーニヒのお嫁さんになるって決めたわけじゃないよ?」
「お前が望めば『いつでもそうなる』という話だ」
「それで、私は幸せになれるのかな?」
「お前がお前らしく生きる限り、お前の傍には俺が居る。
ならば必ず幸福にしてみせるさ」
「そっかー。それはそれで、楽しそうだね!」
「そうだな。そういう道もまた『お前にはある』という話だ」
「私はどの道を選ぶのかな?」
「なに、時が来れば自然とお前は選択するだろう。
それまでは悩むのもまた、面白いものだ」
従僕が部屋の入り口でカタリナに何かを伝え、カタリナが近づいてきて告げる。
「メルフィナお嬢様、シュバイク侯爵がお呼びです」
「おじさまが? なんだろう?
――じゃあケーニヒ、ちょっと行ってくるね!」
「ああ、行ってこい」
****
書斎に居るおじさまの元へ向かう。
「おじさま、お話しってなーに?」
書斎で手紙を見つめていたおじさまが、こちらに振り返った。
シュバイクおじさまの顔が、なんだか暗い気がする。
「メルフィナ、気を確かに持って聞いておくれ」
私は小首を傾げて尋ねる。
「どういうこと?」
「……ステファン殿下が『お前との婚約を白紙に戻したい』と打診してきた」
「……え?」
私には、言葉の意味がすぐに理解できなかった。
ステファンから婚約を?
「えっと、それはどういうことですか? おじさま」
「詳しい話は明日、王宮で話すことになっている。
私は陛下と話をしてくるから、メルフィナは学院で殿下から直接、話を聞いておいで」
「……わかりました」
「落ち込むんじゃないよ?
『お前のせいではない』と手紙にも書いてある。
――話は以上だ。部屋に戻りなさい」
「はい、失礼します」
私は頭が真っ白なまま、とぼとぼと階段を上っていった。
****
「どうした? メルフィナ。何があった?」
部屋に入るなり、ケーニヒがソファから立ち上がって近づいてきた。
「……ステファンが『私との婚約を白紙撤回する』って」
ケーニヒが小さく息をついた。
「そうか。なに、お前が気にすることではない。
あの男にも考えがあるはずだ。
明日、学院で話を聞けばいい」
「……その時、ケーニヒは傍に居てくれる?」
「お前が望むならそうしよう」
「……ステファンが嫌がっても?」
「俺には関係がないな――いいか、『俺はお前だけの味方』だ。
あの男がどれほど自分を惨めに思おうが、お前が必要とするならば、俺はお前の傍に居よう」
「……うん」
「そう落ち込むな。だいたい予想は付いてる」
私は左手の金の指輪を見つめた。
「……この指輪が関係してるのかな」
「そうだな。それはきっかけの一つにはなっただろう」
「きっかけ?」
「その指輪を手に入れることで、あの男が自分を見つめなおした。そういうことだ。
そして出した結論が『婚約の白紙撤回』なのだろう。
――これ以上は、あの男から直接聞くといい」
「そう……だね」
「今日はもう疲れただろう。少し休め。
もし必要だと思うならば、その黒い指輪に願え。
俺はいつでも応じよう」
「……うん」
そうして、私の頭を優しく撫でた後、ケーニヒは部屋から出ていった。
****
――時間は前日まで遡る。
ステファンはメルフィナに魔道具の片割れを渡した後、ケーニヒに肩を抱かれるようにして部屋から出た。
そのまま二人で階段を下りて玄関へと向かう。
ステファンがケーニヒに告げる。
「レクチャーって、あれ以上何が必要なんだ!」
「なに、お前が怖気付いているようだからな。
あれ以上態度に出されると、メルフィナに勘付かれる」
――怖気付いて当たり前だ!
なぜこの男は平然とあんな指輪をメルフィナに渡していられるんだ?!
ステファンは半ば恐慌に近い状態にあった。
ケーニヒがステファンの表情から心を読み、冷淡に告げる。
「お前とは覚悟が違う。それだけだ。
お前の馬車に乗せろ。中で話してやる」
ケーニヒは自分の馬車を屋敷に帰し、ステファンの馬車に乗り込んだ。
そして≪遮音≫の結界術式を展開し、外に音が漏れないよう細工していった。
「――さて、この指輪については、十分分かっているな?」
ステファンが硬い表情で頷き、手の中の金の指輪を見つめた。
ケーニヒが呆れて小さく息をついた。
「なんだ、まだ嵌めてなかったのか。
覚悟ができたからメルフィナに渡したんじゃなかったのか?
――今すぐ使われることはない。そんなに怯えるな」
「そうなんだが、どうしても手が震えて……嵌められないんだ」
ステファンの手が震えていた――いや、声すらも恐怖で震えていた。
わずかな時間、ケーニヒが見定めるようにステファンを見つめ、ため息をついた。
「やれやれ――言っただろう? 『メルフィナのために生きて見せろ』と。
『今すぐメルフィナの人生を背負え』と言っているわけじゃない。
その指輪を外せば、いつでも解放される。
そんな緩い条件すら、お前は覚悟ができないのか」
ステファンは何も言えず、唇を噛み締めた。
****
――時間はさらに遡り、指輪のレクチャーに戻る。
ステファンはケーニヒから魔道具を受け取るために隣室へ移動した。
空き部屋に入るとケーニヒはドアとカーテンを閉めていく。
さらに外に音が漏れないよう≪遮音≫の結界術式を展開した。
異様なほど神経質に閉鎖空間を作り出していた。
カーテンからわずかに漏れてくる陽光の中、薄暗がりでケーニヒが鋭く告げる。
「いいか、これは帝国の軍事機密だ。
この指輪のことは他人には決して漏らすな」
「わかった」
ステファンはしっかりと頷いた。
この時点ではまだ、魔道具を譲ってもらえる期待で彼の表情は明るい。
ステファンがケーニヒに対抗するためにも、この指輪は必須条件に近かった。
「それともう一つ。
この指輪の詳細な情報を、決してメルフィナに悟らせるな」
――どういう意味だ?
ステファンは訳が分からず、ケーニヒの顔を見つめていた。




