第22話 紅茶の試練(2)
「……それは睡眠薬だ」
――え?!
思わず振り返って、ステファンを見つめる。
ステファンはバツが悪そうにしていた。
「長旅の時、不眠で困っている兵士に渡される、即効性の魔導薬だ。
間違えて飲まないよう、毒々しい色をしている」
あわててケーニヒの呼吸を確認する――胸が上下してる!
その後、カタリナが連れてきてくれた医師にも確認したけど、確かに睡眠薬だそうだ。
効果は三時間、だけど解毒剤を注射したので、三十分もすれば目が覚めると言われた。
医師が返った後も、私はケーニヒの傍に座り込んで、その手を握っていた。
ステファンが何度か話しかけて来たけど、私は応えなかった。
そろそろ三十分が経つ……ケーニヒの瞼が、わずかに動いたように見えた。
「う……」
「ケーニヒ!」
彼の目が開いた時、私はその胸に飛び込んだ。
「よかった! 死んじゃったかと思った……!」
私はケーニヒの胸の中で泣いていた。
体温を感じることに安心しながら、ただ涙を流した。
そんな私を、ケーニヒはそっと包み込んでくれた。
「あー、心配するな。お前は言っただろう? 『入れてない』と。
ならば毒など入っていなかった。それだけだ。
お前が自分を責める必要など、微塵もない」
泣き続ける私の背中から、ステファンの声が聞こえる。
「なぜ、飲んだ」
ケーニヒがステファンに答える。
「貴様の耳は飾りか? 今、言っただろう?
メルフィナが『入れていない』と言ったから、それを信じただけだ」
私が押さえつけられ、もがいてるのが見えたはずだ。
そして見るからに毒々しい二つのカップ。
それでもケーニヒは私を信じた――そうだ、こいつはそういう奴だ。
私は心の底から声を上げる。
「人間の体なのに、無茶なんてしないで!」
私の涙は、しばらく止まらなかった。
****
ようやく私が泣き止み、私たちはソファに座っていた。
ただし、私は席を移ってケーニヒの隣、ステファンの反対側に座っていた。
私がケーニヒを殺しちゃったかと思った。
本当に生きた心地がしなかった。
当分ステファンを許せそうにない。
私はそっぽを向いて、ステファンを視界に入れないようにしていた。
そんな私を見ていたケーニヒが、突然大笑いを始めた。
驚いた私が振り返り、彼の顔を見上げる。
「どうしたの? ケーニヒ。やっぱり何か薬の影響が――」
「ククク……いや、随分とあっさり幻滅したものだ、と思ってな」
そう言われると、私はステファンをかなり邪険に扱ったような記憶が薄っすらあった。
殺意すら覚えていなかったっけ。
ケーニヒが私を見つめながら告げる。
「どうだメルフィナ、まだ俺を選ぶ気にはなれないか?」
私は金色の瞳を見つめながら考えてみた。
ケーニヒの重さは、前と変わらない――と、思う。
大切な、私の友達だ。
一方で、明らかにステファンの存在が軽くなっていた。
以前ほど彼を魅力的な人間だとは思えなくなっている。
私の心が求めている人として、即答できなかった。
二人を心の天秤に乗せた時、ケーニヒ側にわずかに傾いたような気さえした。
「……そっか、これが幻滅するってことなんだ」
ステファンが慌てたように立ち上がった。
「待ってくれ! 確かに悪ふざけが過ぎたのは謝る!」
彼は私に向かって頭を下げて謝罪してきた。
私はそんな彼を冷ややかに視界に収めながら告げる。
「……ステファン、謝るのは私だけ?」
ステファンが今度はケーニヒに向き直って頭を下げた。
「……ケーニヒ、すまなかった。悪ふざけが過ぎた」
ケーニヒは余裕の表情で微笑んで応える。
「いや構わんよ。おかげでメルフィナが俺の傍に来た。
むしろ貴様には感謝したいくらいだ」
ケーニヒが私の頭を撫でながら続ける。
「まぁ、前世の信頼関係が続いている俺たちと貴様とでは、どうしても差が出る。
――メルフィナ、このくらいの悪ふざけは大目に見てやれ。
どうせ俺も『死ぬ』とまでは思っていない」
「あ、うん……えっ?! どういう意味?!」
ケーニヒがニヤリと笑った。
「ステファンに俺を殺す度胸などあるものか。
せいぜい下剤か睡眠薬、そんなところだろう。
ならばためらいなく飲んで見せるさ」
私は茫然とケーニヒの頬笑みを見つめていた。
毒じゃないって……知ってたの?
ケーニヒが私を愛しそうに見つめながら告げる。
「メルフィナは俺が本当に毒くらい平気で呷るのは、前世で知っているからな。
今更証明してみせるまでもない」
「それはそうだけど……じゃあ、なんのために?」
「デモンストレーションだよ。ステファンのためのな。
メルフィナは演技ができないから、全てを知らせることができなかった。
泣かせたのは俺の力不足だ。すまない」
そう言ってケーニヒは私に頭を下げた。
「そんなこと! ケーニヒが無事なら、それでいいんだよ!」
「――なら、俺に免じてステファンも許してやれるか?」
「えっ?! ……うん、ケーニヒがそう言うなら、ステファンも許すけど」
「じゃあ、元の席へ戻るんだ」
そう言ってケーニヒは、笑顔で私を元の位置に誘導して座らせた。
――最後にぽん、と私の頭を優しく撫でた。
****
今、私からは二人の顔がよく見える。
余裕の笑みを浮かべるケーニヒ。
穴があったら入りたそうなステファン。
うーん、器の違いが出てるなぁ。
私は小さく息をついて告げる。
「ステファンはあれだけ試しても、まだ心の底から信じ切れてないでしょ?
私から聞かされるだけで信じるなんて、たぶん無理だろうなって。そう思ったから話せなかったんだよ」
ステファンがむすっとしながら頷いた。
「……理解はした」
『納得はしてないが』って付け足したそうな顔だなー。
ステファンが私を見て続ける。
「だが、どうして今日――いや今、話したんだ?
信じてもらえると思ってなかったんだろう?」
うーん? なんでだろう?
私も自分でわからなくて首を傾げていると、ケーニヒが鼻で笑って告げる。
「俺がメルフィナの傍に居るからだ。
だからメルフィナは安心して、貴様に前世の話をする気になったんだ」
ステファンの顔が険しくなった。
「……それは『お前たちにはそれほどの信頼関係がある』と言いたいのか?」
またケーニヒが楽しそうに笑った。
「ククク……そういう意味もあるがな。もっと気楽に考えろ。
――前世の記憶を共有する俺が目の前にいる。
貴様が信じられなくても、メルフィナが一人で疎外感を受けることはない。
受けるとしたら貴様だけだ。だから安心することができて、やっと口に出せたのだ」
なーるほど!
私はポン、と小さく両手を打ち鳴らしていた。
ケーニヒが笑みを止め、真剣な目でステファンを睨んだ。
「もう少しメルフィナの気持ちを考えて行動しろ。
次に幻滅されたら、もう後がないと思え」
んー? なんかケーニヒの言動っておかしいな?
ステファンが神妙な顔で頷いた。
「……わかった。肝に銘じる」
どうやら、真摯に受け取ってくれたみたいだ。
「じゃあ話を続けるね? ――えっと、どこまで話したっけ?」
ケーニヒが答える。
「俺たちは勇者パーティの生まれ変わりだ、という話だな。
そしてそれはもう終わった」
「それじゃあ、もう話は終わり?」
「いや? お前とステファンにはあるだろう?」
私は首を傾げて答える。
「私とステファンに?」
「『まだ婚約を続けるのか』、だ」
「――?!」
私とステファンが、同時に言葉を失った。




