第2話 夢(2)
クラウスに案内されたのは二階の角部屋だった。
大きな間取りに新品の白い調度品が並んでいる。
「うわー、私のための部屋って、ここまでしてくれたの?!」
クラウスがニコリと微笑んだ。
「元は旦那様のご長男が使われていた部屋です。
今は家を出て、爵位を得て独立してらっしゃいますので、もう使われることはありません。
メルフィナ様のご趣味に合えばよろしいのですが」
私は部屋を見渡しながら答える。
「すごいね……これってクラウスが用意したの?」
「いえ、旦那様が直々に発注なさったものですよ」
居並ぶ調度品は公爵家の物と遜色がない。
さすがシュバイクおじさま、審美眼も一流だなぁ。
私とカタリナが部屋を見ていると、入り口でクラウスが告げる。
「間もなく夕食のご用意ができます。
お時間になればお呼びいたします」
そう言ってクラウスは辞去していった。
我が家の従者たちが馬車から部屋に荷物を運びこんでくる。
秋の入学から三年間、ここで暮らすことになるのか。
当面必要な物だけもちこんだけど、追々ほかのドレスとかも持ち込まないと。
……社交界、肩が凝って苦手なんだよなぁ。
カタリナが私に告げる。
「メルフィナお嬢様、お召替えをいたしましょう」
「あ、はーい」
私は奥のクローゼットに数人の侍女を伴って向かった。
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ベージュ色のワンピースに着替えた私は、クラウスに案内されて食堂に居た。
食卓に居るのは私とシュバイクおじさまの二人だけ。
奥様は随分前に亡くなったのだとか。
二人いる息子も一人立ちしてしまったので、今は悠々自適な生活だとおじさまは笑っていた。
ワインを片手で揺らしながら、おじさまが告げる。
「明日はクラウスに王都を案内させよう。
明後日にはメルフィナの歓迎夜会も開かれる。
ちょっと忙しいかもしれないね」
「えー?! 夜会ですか?!」
私が唇を尖らせて答えると、おじさまは楽しそうに笑みをこぼした。
「お前は王家に連なる人間だ。
そんなお前を歓迎しないわけにはいかないだろう?
夜会には第一王子のステファン殿下もお見えになるよ」
「……どんな方ですか? ステファン殿下って」
おじさまがニヤリと微笑んで答える。
「お前と同い年、まだ十五歳だね。
淑女たちの人気が高い方でもある。
聡明で勇敢、そして誠実。この国を担える器を持つ方だ」
うわぁ、すごい高評価。おじさまがそこまで言うなんて。
でも王子かー。婚姻相手には申し分ないんだろうけど。
将来の国王と婚姻なんてしたくないしなー。苦労が透けて見えるようだ。
私が悩んでいると、シュバイクおじさまが楽しげに笑いだした。
「残念だが、ステファン殿下にはサラ・フォン・ノウマン侯爵令嬢という婚約者がいる。
メルフィナの相手にはならないよ」
「あ、なーんだ。悩んで損した」
私はステーキの切れ端を口に入れ、もぐもぐと肉汁の味を楽しんだ。
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私は入浴を済ませるとベッドに滑り込む。
「あ~ふかふか~。やっぱりベッドはこうでないとね~」
宿場町の宿もなるだけグレードが高いところを選んでくれたけど、寝心地はあんまり良くはない。
カタリナが部屋の明かりを消しながら告げる。
「では、ごゆっくりおやすみください」
「はーい」
燭台を手に持ったカタリナが部屋から出ていく。
締め切られた部屋、月明かりが差し込む中で私はぼんやりと天井を見上げていた。
今は三月で、入学する九月まで半年もある。
社交シーズンが始まるのも秋からだ。
それまでに入学準備を整えて入試を終わらせ、なるだけ貴族子女の顔見知りを作っておかないと。
――社交か。やっぱり気が乗らないなぁ。
微笑みの仮面を張り付けて、公爵令嬢らしく振る舞わないといけない。
自分らしさなんて押し込められて、窮屈で息苦しい。
でもそれが公爵家に生まれた女子の宿命でもある。
いつかはきちんとした相手に嫁いで、その家を支えられるようにならないと――。
私の意識は、いつのまにか暗闇の中に溶けていった。
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「カリナ! そこで守っていろ!」
ハインツが防御結界から飛び出して魔族の軍勢に剣を振るう。
彼の刃から光の奔流が刃となって襲い掛かり、大勢いたはずの魔族が見る間に数を減らしていく。
魔族たちの攻撃も苛烈を極め、結界の外は炎と雷の嵐だ。
ハインツが傷つけば、すぐさまコルネリアが結界の中から≪治癒≫の奇跡で癒していった。
背後で剣士のトニーがため息をついた。
「これじゃ、俺たちの出番はないな」
私は振り返ってトニーに微笑む。
「何言ってんの! あなたたちにも役目はあるってば!」
戦士のアクセルが薪を拾いながらぼやく。
「晩飯の支度、だろ? わかってるって」
老魔導士のギルベルトは、結界の中でテントを立て始めた。
「ほっほっほ。私らはできることをやりましょう」
外に居るのは最低でも町一つを簡単に消し飛ばせる魔族たち。
結界の外に出られるのは、ハインツとコルネリアぐらいだ。
「――貴様、何者だ」
それはハインツでもコルネリアでもない、私に向けられた声だった。
声に振り返ると、長い黒髪と金色の瞳の青年が私を静かに見つめていた。
彼はハインツの攻撃をこともなく防ぎながら、ただ私だけを見ていた。
「……カリナ。カリナ・ローゼンバーンよ」
青年の口の端がニヤリと上がった。
「そうか、俺は魔王の息子――そうだな、『ゾーン』とでも呼ぶがいい。
カリナよ、その防御結界をいつまで維持できるかな?」
私もニヤリと微笑みながら答える。
「別に、何日でも維持してあげるわ――でも、こんなのはどうかしら?!」
私の最大火力、≪獄炎≫の炎を手から放った。
辺り一面がさらなる炎で埋め尽くされていく――ハインツは俊敏にその炎から飛び退いていた。
巻き込まれた魔族たちが炎を浴びる中、ゾーンは平然と魔力の壁でそれを凌ぎ切っていた。
「ほぅ、人間にしてはよくやる」
私は背中に冷や汗を感じていた。
今のは侯爵級でも痛手を負わせられる奥の手。
それが全く効いていない。
「さすが、『魔王の息子』を名乗るだけはあるわね。
――ハインツ! 一度戻ってきて!
深追いしては駄目!」
炎を避けていたハインツが、慌てて防御結界の中に戻ってくる。
「――カリナ! あれをやるときは一声かけてくれ!」
「あれぐらい、ハインツなら避けられるでしょ?
それより、持久戦で行くわよ。
結界内からなんとか隙を探りましょう」
ハインツの瞳がゾーンを睨みつけ、私に頷いた。
ゾーンが楽し気な笑みを浮かべて告げる。
「この俺を相手に、持久戦? お前が力尽きるのが先だろう」
「あら、やってみないとわからないじゃない?
楽しい舞踏会、なるだけ長く楽しみましょう?」
私はゾーンの金色の瞳を見つめ返した後、仲間たちが張ったテントの中に入って行った。
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「メルフィナお嬢様、朝でございます。ご起床ください」
パチリ、と私の目が覚めた。
朝の光が部屋に充満している。
侍女たちは慌ただしく朝の準備を始めていた。
……なんだかまた『あの夢』を見ていた気がする。
鮮烈に覚えているのは金色の瞳――あの瞳は何度か夢に見ていた。
後に勇者一行に加わった、魔王の息子。
でも連続して夢を見るとか、珍しいこともあるものだなぁ。
私はカタリナに促されて顔を洗い、部屋着のドレスに着替えていった。