第18話 寂しい心
ケーニヒが私の頬を撫でて告げる。
「まだ指輪には力が残っている。
また俺の助けが欲しければ、指輪に願え」
「……ナイフを阻止してくれたのは、指輪の力?」
ケーニヒがフッと笑みを作った。
「そうだ。お前の防御結界魔法ほどの強度はないが、お前を守ることができる」
カタリナがトレーで紅茶を運んできて、私たちに手渡してきた。
「どうぞ、メルフィナお嬢様」
「ありがとう、カタリナ」
手伝ってもらいながら上体を起こして、紅茶を受け取った。
ケーニヒも一口飲んだみたいだ。
……私たちの会話を聞いていて、ケーニヒが敵じゃないって理解してくれたのかな。
「ねぇケーニヒ、さっき『毒を盛られた』って言ってたよね。
一体いつ、誰にそんなことをされたんだろう?」
「直前に口にしたものはなかったか?」
――クラウスが持ってきてくれた軽食?!
まさか。クラウスはシュバイクおじさまの懐刀だもん。
私に毒を盛る理由がない。
「事実から目を逸らすな。全てを疑え」
そんな……クラウスを疑うの?
ドアがノックされ、数人の人間の気配が控室に入ってきた。
どうやら衛兵たちがサラ様を連行していくようだ。
ステファンが再び衝立のこちらがわに顔を見せる。
その顔はやっぱり、怪訝なものだった。
「なぜケーニヒがまだここに居る?」
ケーニヒが不敵な笑みで答える。
「満足に動けぬメルフィナを放置してはおけまい。
だが貴様が帰ってきたなら話は別だ。
これで俺はお暇しよう」
立ち上がったケーニヒが私に告げる。
「交わすべき言葉は交わした。今はゆっくり休め」
そのまま彼は、控室から去っていった。
ステファンがカタリナに尋ねる。
「あいつとは何を話していたんだ?」
カタリナが戸惑うように答える。
「いえ、私には話がさっぱり……。
ですが、メルフィナお嬢様を第一に考えて動き、言葉をかけてらっしゃいました。
それは確かです」
ステファンは眉をひそめてドアの方を睨んでいた。
「……帰ろう。馬車を用意してある」
私は首を横に振って答える。
「もう大丈夫、立てるようになったから。
夜会に戻ろうか」
「いや、それには及ばない。
サラに襲撃されたことは父上に報告してきた。
メルフィナはこのまま、大事を取って下がることになった。
二週間の休暇も頂いたから、ゆっくり体を休めろ」
そっか、婚約披露パーティは終わりか。
これでよかったのかな……。
「――あっ! そうだ。
ステファン、クラウスが私に毒を盛ったかもしれないんだ。
クラウスは今、どこに居るのかな」
ステファンが眉をひそめて答える。
「クラウスが? あいつはベルンハルトの兄だぞ?」
「でも、直前に口にしたのはクラウスが渡してくれた軽食だけなんだよ。
他は飲み物も飲んでないし」
「……ならば共犯容疑者の一人だな。拘束させよう」
だけどその日、クラウスを発見することはできなかった。
****
私はおじさまの屋敷でもう一度、医師の診察を受けた。
異常はなく、「そのまま寝ていなさい」とベッドに寝かされていた。
月明かりがテラス部屋の中で、ぼんやりと考える。
……ステファンと、ちゃんと話せなかったな。
前世のこと、ケーニヒのこと、そしてステファンのこと。
このまま疑われて終わるのは、なんか嫌だな。
それは『カリナ』と『ハインツ』の想いすら終わらせてしまうような気がして。
――そんなの、私には耐えられそうもなかった。
私はこの後、どうしたらいいのかな。
ステファンを選ぶの? ――関係を修復できるのかな。
ケーニヒを選ぶ? ……『私が私を選ぶ時』って、どういう意味だろう。
それとも――どちらも選ばないのか。
ステファンを選ばないということは、婚約を白紙に戻すということ。
そうなれば国の運営に影響が出ちゃう。
両陛下とも良い方たちだった。あの方々の嘆く顔は見たくない。
そもそも私は侯爵家の娘。家や国家を守るために身を捧げる勤めがある者。
そう思って今まで生きて来た。
……ケーニヒは『それが間違い』とでも言いたいのかな。
心が寂しいと叫んでいた。誰かと話したい。
「……ねぇケーニヒ、聞こえてる?」
口が勝手に動いていた。
私の口は、黒い指輪に向かって話しかけていた――そう、医師を呼ぶ時のケーニヒのように。
『……どうした? 泣き言か?』
指輪から声が返ってきた。そっか、これはそういう機能の魔道具なのか。
「……誰かと、話したくて」
『あまり指輪の力を無駄に使うな。
本当に俺が必要な時に使え』
「今は……そうじゃないの?」
指輪からケーニヒが笑いをこぼす声が聞こえた。
『いいや? お前が必要とする時、それが指輪の使い時だ』
「……ねぇケーニヒ、私はこれから、どうしたらいいのかな」
『答えが見つからないんだろう?
お前は賢いからな。
そんな状態が不安でしょうがないんだ』
「……そう、かもしれない」
誰を選ぶのか、選ばないのか。これからどうするのが最善なのか。
それを教えてくれるはずのステファンの心は、今は距離を感じている。
『人の気持ちというのは、簡単に答えを導き出せるものじゃない。
自分の心と向き合って、なお分からないのが心だ』
「じゃあ、どうしたらいいの?」
『そして今のお前には、自分の心と向き合える力が残っていない。
だから、今は休め』
「……すぐに答えを出さなくても、いいのかな?」
『言っただろう? 俺はいつまでも待つ。
あの男のことは知らんが、勝手に待たせておけばいい。
耐えられなければ、その程度の男だったというだけだ』
ステファンとケーニヒを、待たせちゃうの?
「……そんなわがまま、私が行ってもいいのかな」
『お前にはその価値がある。少なくとも、俺にとってはな』
「……うん。ありがとう」
『なに、大したことじゃない。もう寝ておけ』
「うん……おやすみ、ケーニヒ」
その夜は、不思議と穏やかに眠りに入った。
****
朝からお父様が部屋にやってきて、私に告げる。
「おはようメルフィナ。
今日は一日、安静にしていなさい」
「でも、もう毒は解毒したよ?」
お父様の手が私の頭を撫でる。
「それでも、安静にしておくんだ。
本ぐらいは読んでも構わないが、歩き回らないように」
「……はい」
お父様が部屋を去ってから、カタリナに告げる。
「カタリナ、机の上の魔導書を取ってくれるかな?」
彼女が手渡してくれた魔導書をベッドの上で開く。
頭には入らないけど、何もしてないよりはマシだった。
羊皮紙とインクの香りは、少しだけ気分を落ち着かせてくれる。
しばらく読み進めていると、侍女がカタリナに耳打ちをしていた。
カタリナがこちらに向き直って告げる。
「お嬢様、ステファン殿下がお見えになるそうです。
いかがいたしましょうか」
「……そう、わかったよ。
この部屋でお迎えするね」
私は読みかけの魔導書を閉じて返事をした。
何を、どこまで話したらいいのかな。
前世の話を全部? 信じてもらえるの?
昨日の夜、ケーニヒは『今は休め』って言ってくれた。
じゃあ、今すぐ打ち明けなくてもいいのかな……。
そんな思考が行ったり来たりしているうちに、部屋の入り口で侍女が告げる。
「ステファン殿下がお見えです」
――来た。
ドアの向こうに現れるステファンの眼差しは、やっぱり前とは違う物だった。
彼がベッドに近づいてくる――私の体は、自然と緊張を覚えていた。