(2)リンダの覚悟
「ハール!」
リンダがもう一度体を揺さぶると、ハールは渋々と口を開いた。
「……旦那様のお見舞いをしていた頃、時々、胡散臭い男がソフィア様の様子を探りに来ていたんだ」
「はぁ? 何それ! ちゃんと追い払ったんでしょうね!?」
「相手が貴族様だったから、それとなく見張るだけしかできなかった。でも……あのおっさん、ソフィア様のお顔を満足そうに見ていた」
「うわぁ、最低っ! そのおっさん、絶対に体もジロジロ見ていたでしょう!」
「そうだよ。見ていたよ! でもそういう男は一人や二人じゃないんだ。貴族様もどこかの金持ちも、いろいろいるんだよ! だから俺はお嬢様にプロポーズする!」
「それ、もしかして……」
リンダは、手を緩めた。
妹を振り返る。察しのいい妹は青ざめていた。憤慨しつつも、強張った顔になっている。
リンダは深呼吸をする。自分がいつも通りに落ち着いたことを確かめてから、ゆっくりと口を開いた。
「……ソフィア様を守るために、プロポーズをするふりをするつもりなの?」
「ふりじゃない。本当にプロポーズするよ。だから、君とは結婚できない」
「ソフィア様、あなたと結婚すると思う?」
「するわけないよ。俺はオーレンじゃないし、金貸しの息子と結婚するほど切羽詰まっていないから」
「でも、あなたはソフィア様にプロポーズするのね?」
「するよ。何度断られても、オーレンが十分に出世するまでプロポーズする。俺にできることは、それだけだから」
ハールは皮肉っぽく笑う。
その顔を見つめ、リンダは首を傾げた。
「ハールを見直してしまうけど、結婚できないのに私と恋人でいてくれって言ったのは、何なの?」
「それは……」
ハールは言葉につまり、目を逸らす。
でもリンダがしつこく目を合わせようとしてくるから、観念したようにため息をついた。
「……俺、リンダが好きだから」
「えっ、それだけなの? やっぱりただのクズだったわ!」
気配を殺していたはずの妹が、呆れたようにつぶやいた。
でもリンダは、不貞腐れたように目を逸らすハールの顔に手を当てて微笑んだ。
「ハールって、本当に私のことが好きなのね」
「好きだよ。クズと言われても、俺はリンダとは別れたくない」
「じゃあ、別れないでいてあげる」
「……えっ?」
「えっ? ね、姉さん、何言ってるの!」
ハールが驚いたように声を上げた。
同時に、リンダの妹も悲鳴のような声を上げる。
でもリンダは落ち着いた顔で、くしゃくしゃとハールの髪を撫でた。
「ハールは、ソフィア様にプロポーズをするんでしょう?」
「うん」
「断られても、何年でも繰り返すのね?」
「うん。オーレンが覚悟を決めるまで、絶対に繰り返す」
「だったら、絶対に断られるようにしなければいけないわ。ソフィア様は優しい方だもの。奥様と弟君様を守るために、あなたと結婚すると言うかもしれないわ」
「そうだね、その可能性もあるかな……」
「だから、絶対にソフィア様が受け入れられない理由を作りましょう。私がハールの恋人だってことは知っているはずだから、ソフィア様なら絶対に断ってくれるわ。子供も産んでみようかしら」
「……えっ? でも、さすがにそれは……!」
「私たちはお貴族様とは違うわ。庶民なら、一緒に暮らして子供が産まれれば夫婦よ。そうでしょう?」
リンダがそう言い切ると、ハールは泣き出しそうな顔をした。
でも結局、とても嬉しそうに笑った。
「結婚はできないけど、絶対にリンダを幸せにする」
「当然よ。でもソフィア様も絶対に守るのよ!」
「……絶対をつける場所は、そこなんだね」
ハールは少し遠くを見るような虚ろな顔になる。でも、やはりすぐに笑った。
笑いながらリンダを抱きしめる。
リンダもハールをぎゅっと抱きしめたけれど、妹だけは「ハールはクズ確定だけど、姉さんも馬鹿よ!」と泣いていた。
◇
五年が過ぎ、リンダは二人の子の母となった。
領主の娘であるソフィアは、リンダと会うととても申し訳なさそうな顔をしたが、決してハールの悪口は言わなかった。
それなのに、突然ハールとの結婚を承諾したらしい。
リンダは鬼の形相でハールを締め上げた。
「何をやっているのよ。もっとクズ野郎になれなかったの!」
「……リンダのことも子供たちのことも、ソフィア様は知っていたよ。でも、オーレンはまだグズグズしているし、男爵位の継承期限まではまだ時間があるけど、そろそろ役人たちの心象がまずくなっているって父さんが焦っているんだ」
「そうなの?」
「だから父さんは、とりあえず結婚を承諾したという形で手続き費用を渡して、その後に結婚は辞めたらいいんじゃないかって……」
「そんなことをしたら、ソフィア様が悪女みたいじゃない! 何のためにハールがクズ野郎をしているのよ!」
リンダは声を荒らげているが、子供たちが眠っているから、決して大きな声ではない。
でも怒っているのは間違いなく、その理由が理由だからハールは苦笑してしまった。
「……時々思うんだけど、リンダって、俺のこと本当に好き?」
「ソフィア様と同じくらいにね! でも、こうなったら仕方がないわ。オーレンを焚きつけましょう。騙して呼び出しちゃえばいいのよ。何かないの? ソフィア様が結婚を苦に寝込んでいるとか、ハールが嫌で泣き暮らしているとか!」
「…………リンダは、俺のことよりソフィア様の方が好きなんだよなぁ」
ハールは目をさまよわせながら虚ろに笑い、でもすぐに顔を引き締めた。
机の上にあった紙を手にとって、リンダに差し出した。
「大丈夫。あいつを動かすには、真実だけでいい」
紙は手紙だった。宛名はオーレン。
おそらく書き上げたばかりのものらしい。リンダは読みながら不安を隠せない。でもハールは自信たっぷりに胸を張った。
「これでダメだったら、俺があいつの首に縄をつけてでも連れ戻すよ!」
結果として、オーレンはハールの手紙だけで動いた。
偶然に居合わせてしまったハールが、耐えきれずに笑ってしまうほどのヘタレっぷりを発揮してしまったが、収まるべきところに収まった。
しかし、オーレンはただのへたれではなかった。
借金の全額返済までしてしまったのは、ガストンの予想もハールの期待も遥かに超えてしまったが、リンダは「そういう男だからこそ、ソフィア様を任せられるのよ!」と満足そうだった。
ソフィアとオーレンの結婚式から三ヶ月後。
リンダと子供たちは、ソフィアからお茶会の招待を受けた。
咲きそろった花に負けないくらいに、きれいに着飾って来て欲しいと言われたから、子供たちとともに精一杯のおめかしをした。
お屋敷に着くと、笑顔のソフィアに迎えられ……なぜか正装のハールもいた。
「……誰か亡くなったの?」
思わずそう聞いたリンダに、ハールは強張った笑顔を向けた。
「リンダ、これは喪服じゃないよ」
「え? そうなの?」
「俺たち、騙されたんだ」
「騙された?」
リンダが思わずハールを見つめ、ソフィアまで不躾に見てしまう。ソフィアは笑顔で花束を手渡して、豪華なベールを頭にかぶせた。
「ベールは私のものでごめんなさい」
「……えっ?」
「さあ、みなさん。結婚式を執り行いましょう!」
ソフィアがそういうと、どこかからたくさんの人が出てきた。
ハールの友人と、リンダの友人と、金貸し一家の人々。
リンダの両親と妹もいた。
困惑したような顔のガストンもいたが、その隣には騎士の制服を着たオーレンがいて、ガストンの肩に馴れ馴れしく手を置いていた。
「これで全て帳消しだな!」
「……つまり、ソフィア様の計画ではないのだな?」
「当たり前だよ、ガストンさん。ソフィア様なら抜き打ちなんてしない。これは俺の意趣返しだ!」
ガストンの肩を叩いたオーレンが胸を張る。
何が何だかわからず戸惑っている間に、リンダはハールと並ばされた。子供たちはソフィアと一緒に座っている。最近すっかり懐いてしまったから、膝に乗せてもらって嬉しそうだ。
ご機嫌な我が子たちにほっとして、リンダは少しだけ落ち着いた。
「……これ、ハールも知らなかったの?」
「うん。オーレンの休暇に合わせて計画されたようだ」
「意趣返しって言ってたわね」
「あいつへの手紙が正確じゃなかったからだろうな」
「ああ、そういえば」
二人の前に立った司祭が、結婚の聖句を口にする。
リンダがそっと花束に目を落とし、ソフィアがかけてくれたベールに触れた。
「とてもきれいね」
「当然だよ。貴族仕様だから」
「こんなにきれいなベールを身につけられるなんて、夢みたい」
「……お金はあるけど俺は庶民だから、新品だと許されないんだよね……ごめん」
そう言って苦笑したハールは、真剣な顔で聖句を聞いた。
やがて結婚の誓いを促され、ハールはふうっと大きく息を吐くと、リンダの手を握りしめた。
「リンダ、君が大好きだ。結婚してください」
ハールの言葉は「結婚の誓い」とはちょっと違う。
ただのプロポーズだ。
最前列に座っているオーレンはニヤニヤしているし、リンダの妹は頭を抱えて首を振っている。
でも司祭は特に驚いていない。庶民は結婚式を挙げずに「夫婦」となることは多いから、型破りな形式にも慣れている。こういう例も珍しくはないらしい。
リンダは、今の自分たちにはぴったりだと考えた。
「……目を閉じて、少しかがんでくれる?」
その言葉通りに、ハールは腰を屈めて目を閉じる。
迷いなく無防備な状態になったハールの頬に手を当て、リンダはそっとキスをした。
「これでクズ野郎は廃業ね。ハール、お疲れ様!」
番外編『金貸しの息子は結婚しない』 【終】