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31 何事も無い寺子屋の一日

「白浪小僧、捕まったんだってね」

「やっと、安心して眠れるよ」


 翌日、寺子屋に行くと子どもたちがさっそく白浪小僧の話をしていた。


「おはよー」

「あ! おみっちゃん! 大丈夫だった!?」

「おみっちゃんの店に入ったんでしょう?」

「昨日は来なかったから、みんな心配してたんだよ」


 私の顔を見て子どもたちが集まってくる。

 今まで盛り上がっていたのに、みんな私のことを心配してくれているようだ。


「もちろん、大丈夫に決まってるよ! 岡っ引きの人が、白浪小僧をかっこよく捕まえてくれたんだからね!」

「えー、すごーい!」


 みんなの心配を吹き飛ばすように私は笑ってみせる。

 さすがに昨日の捕り物は瓦版に出てしまった。大黒屋に白浪小僧が入って捕まった。江戸中の人がそれを知っている。


「すみません。お嬢様を守るつもりだったのに、いつの間にか眠らされていたみたいで」


 私の隣にいる弥吉がしゅんとしている。


「そんなの気にしなくて大丈夫だから。無事だったんだからさ。そうやって思ってくれるだけで嬉しいよ。それに、私はみんなが無事だったこともすっごく嬉しいんだから」

「お嬢様……」

「それに、白浪小僧の眠り薬でみんな寝ちゃってたんだから。しょうがないよ」

「お嬢様は起きていたのに悔しいです……」

「部屋が上の階だったから効かなかったみたいなんだよねぇ……」


 そのお陰で、豊次さんの立ち回りを見られたのはラッキーだったと一夜明けてみると思う。あと、豊次さんが私の部屋の前にいてくれたお陰で眠らなかったのは本当に幸運だった。豊次さんがいなかったらどうなっていたことやら、だ。

 ちなみに、私の部屋の前から離れたのはあまりに静かすぎて不安になったので、一階の様子を見に行ったからなのだと後から聞いた。離れなければよかったと悔やんでいたけれど、結果的には助かったので結果オーライだ。

 前に色々あったときのように命の危険はあった。でも、時代劇のクライマックス的な場面を間近で見られたのは最高だった。


「はぁ……」


 思い出して幸せを噛みしめるようなため息をついていたら、


「あ、先生。おはようございます!」

「おはようございまーす」

「はい。みなさん、おはようございます」


 先生がやってきた。


「おおお、おはようございますっ!」


 さすがに動揺する。なにしろあの出来事から昨日の今日だ。というか、夜中だったから今日の今日だ。


「お美津さん、おはようございます。昨夜は大変でしたね」


 それなのに、先生は何事も無かったかのように、いつもの笑顔で私に話しかけてくる。


「あ、は、はい」

「お嬢様、大丈夫ですか? なんだかいつもと様子が違うような気がするのですが。やはり今日はお疲れなので休んだ方がよかったのでは?」

「だだだ、大丈夫!」

「お嬢様、やっぱり……」

「本当に大丈夫ですか? お美津さん」

「ひゃい!」


 先生が本気で心配している様子で私の顔をのぞき込んでくる。

 私の反応に面白がってわざとやっているのか本当に心配してくれているのか、どっちなんだろう。


「大丈夫ならいいのですが、なにかあったらすぐに言ってくださいね。今日は無理をしない方がいいでしょうから。では、みなさん。そろそろお勉強を始めましょうね」

「「「はーい」」」


 子どもたちが元気よく返事をする。

 そうして、昨夜のことなんかなかったかのように、当たり前のようにいつものように一日は始まった。

 ただ、なんだか先生がいつもより張り切っているように見えたのは気のせいだろうか。




◇ ◇ ◇




 いつもなら楽しいはずの寺子屋なのだが、今日は妙に疲れた。

 昨日の疲れが残っていたのかもしれない。それに、先生が白浪小僧だと知ってしまって緊張していたのもある。

 なにしろ、この寺子屋の中で私だけが先生の正体を知っているのだ。そりゃ、挙動もおかしくなってしまうというものだ。しかも、先生に向かって偉そうな口も聞いてしまった。実は、心の底で怒っているとか無いだろうか。


「先生さようなら-」

「はい、また明日」

「しっ……、先生、さ、さようなら」


 もにゃもにゃと考え事をしていたら、思わず白浪小僧と呼びそうになって慌てて口をつぐんだ。


「お嬢様、『し』ってなんですか?」

「なんでもないよ、なんでもない。それより、早く帰ろうか。おとっつぁんも心配してると思うし」

「そうですね。本当は今日寺子屋に来るのも反対していましたから」

「おとっつぁんは心配性すぎなんだよ。もう白浪小僧は捕まって危険はないのにさ」

「それはそうですが……、おいらもまだ心配ですよ」

「弥吉……、本当にいい子なんだから。ありがとう」

「いえ、そんな。お嬢様を心配するのは当たり前です」


 弥吉が照れたように下を向く。

 そうして帰ろうとしていると、


「お美津さん」


 私を今日一日悩ませていた本人である先生が、名指しで声を掛けてきた。


「少しお美津さんに相談したいことがあるのですが、いいですか?」

「私に、相談?」

「あの、先生。今日は早く帰らないと旦那様がお嬢様のことを心配されていて」

「昨夜のことですね。確かに、心配されるのもわかります」


 うんうん、と先生が頷く。


「では、また今度でも」


 にっこりと先生が微笑む。

 いつもにこにこしている先生だけど、今日は更に機嫌が良さそうに見えるのは気のせいだろうか。

 私のことを怒っている様子はなさそうだ。よかった。


「気を付けて帰ってくださいね。弥吉さん、よろしくお願いします」

「はい!」


 弥吉が嬉しそうに返事をする。

 そんな弥吉を先生が眩しそうに見つめている。


「先生、さようなら」

「はい、さようなら」


 先生が私たちを見送る。

 これって、なんとなく見たことがある風景だ。

 時代劇のラストで、平和になった場面。

 ゲストで出てきた人たちのお話は次の回には持ち越されない。何事も無かったかのように、新しい回はいつもの登場人物だけの場面で始まる。

 だけど、この世界は生活はこれからも続いていく。

 だとしたら……。

 私は先生へと振り向いた。

 先生はまだ私たちを見送っていた。

 私は、元来た道を走り出す。


「お美津さん、どうされました? 忘れ物ですか?」

「そうじゃなくて……、お金の話! ちょっと思いついたんです!」

「お金、ですか」

「はい! どんな人でも寺子屋に来られるように!」

「!」


 先生がハッとした顔になる。


「私も、そのことをお美津さんに相談しようと思っていたんですが」

「え?」

「ほら、お美津さんは私よりも思慮が深いでしょう? だから相談に乗ってくれればありがたいと思いまして」

「私が? 先生より?」

「はい」

「いやいやいや、それは無いです」

「そんな、謙遜をしなくてもいいんですよ」


 にこにこと先生は笑っている。


「謙遜とか、無いですって」


 先生はまた誤解している気がする。

 だって、私の考えは現代のものだ。それと、時代劇を見て培った知識と正義感!

 それは置いておくとして、とにかく現代では当たり前のことを、伝えているだけであって私の考えじゃない。それなのに、私よりも絶対に頭が良さそうな先生にそんなことを言われるのはなんだかむずむずする。


「先生の方が私よりずっとすごいんだから!」


 あまりの恥ずかしさに思わず大きな声で言ってしまう。


「私なんか全然すごくもないですよ」

「そんなことないです。本当に本当に先生はすごいですっ! だって、し……」


 また声に出そうになってしまった。

 危ない。

 隣でまた弥吉がきょとんとしている。

 先生はわざとらしく咳払いなんかをしている。


「で、なにか解決法があるんですね?」

「はい。って言っても出来るかどうかわからないんですが」


 そう言って、私は話し始めた。

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