25 私だけが眠れない夜
結局、今日は夜まで一歩も外を出られなかった。ただ、色々あったせいで意外と疲れてはいる。
「今日は夜通しここにいるからな」
「え、寝なくて大丈夫ですか?」
私の部屋の前にどっかりと座り込んだ豊次さんが思わず心配になってしまう。
「おう。夜勤の日だってあるからな。慣れてんだよ」
そんな私に、ニッと豊次さんは笑った。
「なるほど。じゃあ、お願いします」
私はこくりと頷いた。
「それと、他の岡っ引きや下っ引きのヤツらも店の中を見回っているから安心しな」
「おお! ありがとうございます。私のためにすみません。お礼を言いにいかなくては……」
「待てって!」
私が部屋を出ようとすると、豊次さんに止められた。
「せっかく、俺がここで見張ってるって言うのにうろうろするんじゃねぇって。別に嬢ちゃんのためだけってわけじゃねぇからよ。みんな、なんとしても白浪小僧を捕まえてぇのよ」
「なるほど」
なんだか大事になっている気がする。私が白浪小僧の顔を見てしまったのはそれくらい大事だということだ。
うんうん、と私が頷いていると、
「けどよ、俺は嬢ちゃんが心配だぜ」
突然、豊次さんが真面目な顔で言った。その顔に思わずキュンとしてしまう。本気で心配してくれているようだ。
しかも、今は時代劇的男前の豊次さんだ。
「え、えへへ」
大変なときだというのに、なんとなく気恥ずかしくなってそわそわしてしまう。
「なんでぃ。こんなときになに笑ってんだよ」
「いえ、みんなのためって言いながら豊次さんが心配してくれてるのが嬉しくって」
優しい豊次さんのことだ。別に目撃者が私でなくても心配してくれるんだと思うけれど。
わかっていても嬉しい。
「当たり前じゃねぇか!」
「えへへ」
豊次さんは怒っているように見えるけれど、ちょっぴり照れ隠しをしているようにも見える。それがわかって、私は再びにやけてしまった。
岡っ引きの豊次さんに守られるというのもまた、時代劇ぽくて悪くない。気を緩めている場合ではないとわかってはいるのだけど、嬉しいんだからしょうがないじゃないか。
にやけている私に、豊次さんは顔を引き締めて言った。
「さすがに部屋の中で見張るわけにはいかないからな。なにかあったら大声を出してくれよ」
「わかりました」
私もさすがに気を引き締めて頷くと、豊次さんは部屋の前の廊下にどっかりと座り込んだ。今日はここで夜明かしするということらしい。
「よろしくお願いします」
「おうよ」
にかっと豊次さんが微笑む。
こんなときなのにやっぱり素敵だ。
私は倒れそうになりながら部屋の襖を閉めた。
「いや、これ、寝れるのか?」
すぐそこにいる豊次さんに聞こえないように私はそっと呟く。
自分の部屋で落ち着く場所のはずなのに、今日は全く落ち着かない。
布団も被ってみるが、全く眠れそうにない。
豊次さんが近くにいるのもだが、白浪小僧が来るかもしれないというのもある。店のみんなもきっとみんなそわそわしていると思う。
豊次さんだけが私の部屋の前にいるのは、あまり近くに人がいすぎても白浪小僧が近付けなくて囮にならないからだ。
とにかく、囮は囮なのだが、昨日の今日で来るとは限らない。大体、こういうのは一人で外を歩いているときに来るものなのではないだろうか。時代劇だと、ちょっと人気の無い場所に行くと必ずどこかから曲者が出てくるものだ。
しかも、さっきまで町を歩いていると思ったらいつのまにか、どこかの神社の横を歩いていたり、森の中を歩いていたり、池のほとりにいたりする。
あれ、絶対ロケ地が一瞬にして変わっている。背景に急に山が現れたり、人気が無い林の中に入ったり、改めて考えるとかなりおかしい。
いつも見ているとあまり違和感がないのが不思議なのだが。
それでもって、目撃者がやられるときは意外と助けが間に合わなかったりするのだ。ほんの少し間に合わなくて助けに来たヒーローの腕の中で手がかりだけ話してがくっとか、よくある。
「いや、それは困る」
思わず再び小声で呟いてしまう。
助けが間に合わなくて死ぬとか困る。
まだこの世界を楽しみたい。行っていないところだって沢山ある。
なんだか急に一人で寝るのが不安になってきた。
静かだ。
気のせいかさっきよりも静かな気がする。
私を囮にするために奉公人のみんなも静かにしているようにと言われているが、それにしてもさっきはもう少し足音とか、ちょっとした話し声とかが聞こえていたような気がした。
ちなみに、清太郎も私が心配だからと家に帰っていない。さすがにこんな夜中に私の部屋に一緒にいるのはいけないと言われて、おとっつぁんと同じ部屋にいるはずだ。
それにしても、静かだ。
豊次さんは本当に部屋の前にいてくれているのだろうか。
私はそっと起き上がった。そして、静かに襖を開ける。
「豊次さん?」
一晩中、豊次さんは私の部屋の前にいると言っていた。それなのに、豊次さんの姿はそこにはなかった。
「え、豊次さん、どこ?」
姿が見えないことに不安になる。
それに、店の中はやはり静まりかえっている。
「これは、じっとしてていいの、かな?」
思わず小声で誰かに聞くみたいに呟いてしまう。囮の私を置いてみんながどこかに行ってしまうなんて、そんなことあるだろうか。
下に行ったら、おとっつぁんや清太郎はまだ起きているはずだ。だとしたら、そっちに行った方が安全かもしれない。だって、守ってくれると言っていたはずの豊次さんがいないのだから。
「うん」
私は自分自身を納得させるように頷いて、そっと部屋を出た。
ぎしぎしと、いつもは気にならない廊下の音がやけに響いて聞こえる。
もしかして、今日はもう白浪小僧なんて来ないと踏んで、みんなで寝てしまったのだろうか。
「いや、そんなことある?」
さすがの私でもそれはおかしくないか? と思う。
私の部屋がある二階から一階に降りて、まずはおとっつぁんの部屋に向かう。豊次さんがどこにいるのかわからないなら、それが一番いいと思う。おとっつぁんなら私のことを心配して起きていそうだ。
だというのに、
「え、おとっつぁん?」
おとっつぁんの部屋の襖を開けると、おとっつぁんは畳の上に倒れていた。
「……まさか」
最悪の事態が頭をよぎる。
が、
「寝てる?」
見たところどこも刀傷なんかもなく、ちゃんと息をしていた。というか、寝息を立てていた。
「よかったぁ」
私はほっとしてへなへなと座り込む。
私になにかあったらと、不安になりすぎて緊張しすぎて眠ってしまったのだろうか。
おとっつぁんなら、あり得るかもしれない。
それにしても、豊次さんがいると言っていた他の岡っ引きの人たちの姿も無い。
「なんか、変、だよね……」
私は、一度おとっつぁんの部屋を出た。雪ちゃんは起きているだろうか。誰かが起きていてくれたら安心なのだけれど。
なんて、考えながら奉公人の部屋へと向かっていると、
「うわっ」
なにかにつまずいた。ちょっとバランスを崩しただけで転ばなかったのが救いだ。
うちの店はいつも弥吉とか奉公人のみんなが綺麗にしてくれているから、廊下になにか置いていることなんてないはずだ。だから、暗くてよく見えないけれど、ほとんど足下なんか気にせずに進んでいた。
「?」
一応気になってつまずいたものに目をこらすと、
「!!!」
人だった。しかもうちの店の人じゃない。
岡っ引きの格好をしている。
まさか、今度こそ殺されて……。
「ない」
やっぱり、どこにも刀傷は無くて、眠っているだけだった。なにしろ、寝息が聞こえている。それに、血の臭いもしない。
「どうなってるの……?」
この状況がわからない。




