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16 悪逆非道の大悪党

 寺子屋が終わって夕方になっても、町はまだ白浪小僧の噂で騒がしかった。瓦版売りもまだ派手に白浪小僧の情報が載った瓦版を売っているというか、ばら撒いているくらいの勢いだ。


「うぐぐ」


 私は寺子屋帰りにようやく買った瓦版を握りしめて、うなっていた。だって、しょうがないじゃないか。


「お嬢様、なにが書いてあるんですか?」

「白浪小僧が……」

「白浪小僧が?」


 私が持っている瓦版をひょっこりと弥吉がのぞき込む。


「え?」


 弥吉も目を丸くする。

 まだ、朝にはそこまで情報が出ていなかったと思う。だけど……、


「白浪小僧は、義賊なんですよね?」

「うん、そのはず、だよ」


 私も自分の目を疑っている。

 瓦版によると今回、白浪小僧が入ったのは悪人でもなんでもない人の店だった。真面目に仕事をしていた店だと書かれていた。

 私は知らない人だ。これで、知り合いの店だったりなんかしたらこんなに落ち着いてなんかいられない。当たり前だが、知らない人だって殺されるのは許せない。


「でも、なにかの間違いかも」

「そうですよね。これまでそんなことはありませんでしたし」


 だって、なんの悪事もしていない店主夫婦が殺されたなんて書いてある。そんなことを義賊である白浪小僧がするわけない。

 するわけないと思っていた。この時点では。




◇ ◇ ◇




「美津、大丈夫か?」

「ん?」


 清太郎に言われて、私は顔を上げた。


「ん、じゃねぇよ」

「え?」

「え、でもねぇって」


 今、私の目の前にはお団子とお茶が置かれている。そして、隣には清太郎がいる。

 清太郎が甘味処に連れてきてくれたんだった。

 なんだかぼんやりしてしまっていた。

 なにしろ、


「最近の白浪小僧はひでぇなぁ」

「本当よね。義賊だと思ってたのに」

「うう……」


 甘味処でも白浪小僧の噂は絶えない。どこにいても耳に入ってきてしまう。以前のようにいい噂ならよかったのだけれど、今は違う。


「ここでもかよ。全く」


 清太郎がやれやれといった様子で呟く。


「別に白浪小僧のことで、美津が落ち込むこたぁねぇだろ」

「うーん」


 そうは言われても困る。


「ま、そうだよな。芝居に行くほど入れ込んでたんだもんなぁ。そりゃ、気になるだろうけどな」

「うん」

「まさか、芝居まで中止になっちまうとはなぁ。けど、しょうがねぇか。なにしろ……」

「近頃の白浪小僧ときたら、悪行三昧だもんな。今までの義賊っぷりはなんだったんだろうなぁ」


 清太郎が言い淀んでいると、続きは近くで団子を食べている人たちの会話が聞こえてきて補完してくれた。

 ふぅ、と清太郎がため息を吐く。


「どこに行っても聞こえてきちまうな」

「しょうがないよ」


 私は答える。

 本当にしょうがない。

 だけど、ひどい。

 今、江戸の町を歩いていて聞こえてくる白浪小僧の噂は悪口ばかりだ。


「ま、確かにしょうがないけどな。本当にひどいことをしちまってるんだからよ」

「確かにそうだけど……」


 私はがっくりと肩を落とす。

 あの日、初めて白浪小僧が殺しをしてから実はもう一月ほどが経っている。私が夜鳴き蕎麦を食べに行って先生にばったり出会った日だ。

 なんだか、とても遠い日のように思える。

 あのときは毎晩、白浪小僧が出ていないかわくわくしていた。

 それが、最近は全然違う。白浪小僧が出たと聞くと怖くなる。


「まさか、次々と大店に押し込みに入るなんてよ。殺しだって平気でするんだからな」

「……」


 そう、あれから白浪小僧は変わってしまった。

 現代で言う、連続強盗殺人犯みたいになってしまったのだ。何かの間違いだと思いたい。


「……お芝居も中止になっちゃったもんね」

「ああ、残念だよな」

「すごく面白かったのに……」


 あまりの悪逆非道な行いに人気もなくなり、大入り満員だったお芝居も閑古鳥が鳴くようになってしまった。あんなに人気だった白浪小僧なのに、江戸中が手のひらを返したようになってしまっている。


「でもさ、まだ貧しい人たちには小判を配ってるんだよね?」

「ああ、俺もそれは聞いた。なにがしたいんだろうな、白浪小僧のやつ」

「うーん」


 人殺しなんかをするのに、その裏では人助けを続けている。ということは、殺してしまった店の人たちは悪人だったりするのだろうか。

 実は悪人には容赦のないダークヒーローだったとか、そういうことならわからなくはない。ただ、私のような一般人だと押し込みに入られた店の人たちがどんな人だったのかわからない。だから、推測するしかない。

 でも、


「私はやっぱり、白浪小僧が悪人だなんて思えなくてさ。だって、白浪小僧は意外と普通の……」

「普通の?」

「な、なんでもない! 結構普通の人なんじゃないかなー、と思って。あはは」


 清太郎が訝しげな顔で私を見る。

 うっかり、一度会ったことを思いだして言葉が出てしまった。あの人が、人を殺すようになんか見えなかったから。


「美津。お前、なんだか白浪小僧のことを知っているような言い方だな」

「や、やだなー。そんなわけないでしょ」


 とりあえず笑って誤魔化す。


「ま、そりゃそうだよな。白浪小僧が知り合いなんてあるわけないよな。未だにお役人様でも正体がわからないくらいなんだからな」

「そうだよー。ほら、お芝居のことを思い出しちゃって。ほら、普通にいい男だったでしょ。本物もあんな感じかなって」

「いい男、ね」


 なぜかそこで清太郎が眉間にしわを寄せて私のことをじっと見る。もしかして、男性から見るとあの役者さんはいい男じゃなかったりしたのだろうか。どちらかといえば、アイドル系の感じの顔だった。

 なんとなく時代劇に出てくる、なんとか小僧とか盗賊の役者さんは若くてイケメンな感じのイメージだから、おかしくはないと思うのだが。


「つーか、お前、食わねぇのかよ。団子。ここのはうまいぞ」

「あ、そうだった」


 白浪小僧のことばかり気になって、私としたことが全くお団子に手を付けていない。


「せっかく清太郎が連れてきてくれたんだから、ちゃんと食べないとね」

「おう」


 私はお団子の串を持って口に運ぶ。


「あ、本当だ。美味しい」

「だろ」


 私が言うと、パッと清太郎が笑顔になった。


「やっぱり、美津は笑ってる方がいいな」

「え?」

「最近、ずっと白浪小僧のことで悩んでたからな」

「……そっか」


 なんでいきなり甘味処なんかに連れてきてくれたのか、わからなかった。やっと気付いた。


「ありがと、清太郎」

「なんだよ、いきなり」

「私のこと、心配してくれたんだね」

「ま、まぁな」


 なんだか清太郎が照れている。やっぱり、清太郎は元気のない私を心配してここに連れてきてくれたみたいだ。

 私の幼なじみは本当に優しい。


「うん、でも、本当に美味しいね。これ」


 と、私は再びお団子を口に運んでしまう。

 白浪小僧のことはともかく、このお団子は美味しい。

 よく見たら、店構えも時代劇によく出てくる甘味処といった感じでなかなかいい。

 店の前には甘味処と書かれた布が吊り下げてあるし、私たちが座っているのは緋毛氈(ひもうせん)を掛けた縁台(時代劇の甘味処でよく見る店の前でみんなが座っている赤い布を掛けた台のことだ)だ。

 これはこれで、我に返ってみるとなかなかいい。

 こんな素敵なところに連れてきてくれた清太郎に感謝だ。そういえば、前は時代劇の聖地である大沢池にも連れて行ってくれた。話があって連れて行かれたというのが正しいけれど、あれもテンションが上がった。

 そんなことを思い出しながら私がほくほくとお団子を食べていると、清太郎が私の顔をじっと見ていた。


「どうしたの? 清太郎は食べないの?」


 私が聞くと、


「いや、美津が幸せそうに食ってるところを見るだけで、腹一杯な気がしてくるのはなんでだろうな」


 あきれたように嬉しそうに、清太郎は答えたのだった。

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