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皇太子妃選定の儀

「…………まあ、不思議な文言(もんごん)ではあるわね。皇太子妃とお呼びしているのに、婚礼ではなく結婚の約束と言ってしまうのは」

「それは、まだ皇太子妃が正式に決まっていない……ということですか?」


 貴族同士の結婚で婚約期間が設けられることは珍しくもない慣習だ。


 ただ、正式に式典やパレードが催されるのにも関わらず、破談に転じる可能性を持つ『婚約』という言葉が用いられている……それは奇妙であり不可解だ。


「言葉尻を捕らえないでちょうだい。ロザリンドは皇都の政情には関せず、純粋なままで良いのよ」

「ですが、私は子爵位を継ぐ立場にあります。事情を知ってと知らずでは天地の差があります!」

「貴女がナトミー子爵となる? まぁ……おめでとう、と言っておくわ」

「もう! 誤魔化さないで事情を教えてくださいよ、モニカ姉様!」


 あしらわれても、わたしは食い下がった。


 対してモニカ姉様は嫌そうな顔をした。


 それから、姉様は声音を恐怖の底に突き落とさんばかりの低さに変えて……。


「皇都は、特にあの宮殿のことについては、人を貶める謀略が日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)の魔窟よ。そこでは多くの者が利益を追い求め、出し抜き合い、その中で純真な者ほど騙され利用される。あげくの果ては、くだらない愛憎劇で人が命を落としたりもする」


 モニカ姉様は過去の皇都の学院や研究所の生活で実際に見てきたかのように語る。その真に迫った様子で、姉様はこう結論付けた。


「だから、すぐ顔に考えが表れてしまう貴女には向かない場所なのよ。たとえ領主かつ子爵という立場でも避けるべき奈落は避けなさい。無闇に首を突っ込むことだけはおやめなさい」


 わたしは唇をきゅっと結んだ。


 モニカ姉様の言う通り、ロザリンド・デ・ナトミーは子爵になれるだけの勉強が多少できただけで、実際は単純で夢見がちな世間知らずの令嬢だ。


 それでも領主になると決めたからには、知らなければならない。


 モニカ姉様が『皇都の政情』と口を滑らせた以上、引き下がる余地はないのだ。国の中枢の判断が末端にどれだけの影響を及ぼすか、知らないのは放埓(ほうらつ)な権力者だけだ。


「モニカ姉様、誰だって自分の利益を追い求めはします。良い状況を望みます。その結果、やむなく人を貶めることになるかもしれません。ですが、それは領主(上に立つ者)ならば当然あり得てしかるべきことで、問題はその程度。そして誰が責任を負うかです」

「貴女は子爵としての責任を全うできるとお思いなの? 皇都は自領と勝手が違うわよ」

「姉様のおっしゃる通り、子爵領内の出来事とは比べものにならない事態に直面するかもしれません。しかし、わたし個人がどれほどの苦痛に晒されようとも、()()()()()()()()()()が苦境に立たされてはいけない。それだけは心得ています」


 領主の不利益は往々にして、領民に帰するもの。


 しかしながら、感情だけは個人に帰属し、どこまでも犠牲にして良いものだ。


「弟が成長するまではわたしがナトミー子爵家の当主であり、領主です。わたしは何も知らないお飾りの領主になるつもりはありません」


 わたしだって領主になんかなりたくなかった。けど、決まってしまったことを覆して放棄することは許されない。なるからには、最善を尽くす。


 罪人の少女(ロザリー)を救って死んだ看守の少年(リヴィ)


 その彼が教えてくれた幸せな結末に終わる童話のように、領民が揺り籠から墓場まで幸福に生きられるかどうかはわたしの肩にかかっている。


 真っ直ぐと双眸をモニカ姉様に向けて言い切ると、姉様は呆れたようにため息をついた。


「まったくしょうがないわね。良いわ、教えて差し上げましょう」


 わたしの真摯な気持ちが、モニカ姉様に伝わった!


 モニカ姉様は人差し指を立てて、口元に寄せた。


「今から話すことは口外せず、心中に留めておきなさい」

「はい。モニカ姉様」


 内緒話の舞台はモニカ姉様の私室に移された。


 勧められてソファに座していると、テーブルにチョコレートやコンフィット(糖菓)が給仕される。


 モニカ姉様はこの手の菓子が大嫌いなので、わたしの為に用意してくれたのだろう。同じくテーブルに給仕された――不思議な香りがして、羽根ペンのインクのように黒い珈琲(タンポポコーヒー)の脇にある――ミルクと砂糖も。


 わたしは姉様の気遣いをありがたく拝受し、香り高くも苦々しいに違いない珈琲を白く、甘く、中和した。


 モニカ姉様は侍女を部屋から下げさせ、人払いを行う。


 同時に、部屋から教会を模した金の吊り香炉が取り外され、目の届かぬ何処かへ行ってしまった。燻った香炉から漂い流れた龍涎香(アンバーグリス)の残り香は、優雅だがどこか無遠慮な香りで、これから明かされる秘密と符合めいたものを感じさせた。


「まず、一年前の春。五人の令嬢が皇都へ集められ、皇太子妃選定の儀(皇太子妃を選ぶ試験)が行われたわ。マディル公爵家はその皇太子妃の選定に加わった唯一の貴族家よ」

「さすがマディル公爵家ですね。でも、一年も前から皇太子妃の選定が行われていたのですか?」


 パパによって子爵領に軟禁され、勉学に多忙の日々を送っていたからか、初耳だった。


 モニカ姉様にとって皇太子妃の選定はひどく大儀なものだったらしく、やれやれとお手上げの仕草をする。


「通例と比べれば時期も遅く、期間も短いものよ。本当、選定の儀の予定は常に逼迫(ひっぱく)していて、幾度となく忙しさで倒れそうになったことか。はぁ……皇太子殿下が成人になられる前に選定が始まって終わる予定でしたから、しようのないことね」

「皇太子殿下は今年で十九歳になられたから……三年、遅れているのですね」


 皇国における成人年齢は男女共に十六歳。


 わたしはパパに阻まれたが、結婚適齢期と認められた令息令嬢の社交界へのお披露目、いわゆるデビュタントも十六歳の成人後になる。選ばれなかった令嬢が出遅れることへの配慮も含めて、期間を短縮しなければいけなかったのだろう。


「そうなるわね。この皇太子妃候補の招集は緘口令(かんこうれい)が敷かれ、秘匿されて後宮で行われたわ」

緘口令(かんこうれい)って……」

「もはや皇都では公然の秘密よ。まあ、自領から出ずとも聡い者なら気付けたこと。もちろん、貴女も知っていておかしくはない」

「わたしも?」

「ええ。領主になるのだから、帳簿に目を通すでしょう。賢者(フィーリ)の言葉で言えば一部の”上級財 ”の需要の増加から察知することができたはずね」


 そう言われてみれば、ここ一年前後、子爵領を通過する奢侈品(しゃしひん)(たぐい)の伸びが帳簿に見られた。領から皇都へ向かう宝石、地金、香料、絹糸や絹織物の数々……あのときは分からなかったが、皇太子妃選定の儀が関係していたらしい。もっと早く需要の意味を理解できていたら、商売に利用できただろうに。


「……少し話が逸れていませんか?」


 皇太子妃選定の儀の遅れや緘口令はまだしも、奢侈品の需要のどこが婚約パレードと称さなければならない理由に繋がるのだろうか。


「どれも関連性のある要素なのだけど……ああ、お父様の所為で社交経験が少ないことが災いしたわね……」


 いよいよ深刻な事態に突入した、と言わんばかりにモニカ姉様は頭を抱えた。


「ロザリンド、貴女は皇太子妃に選ばれた令嬢はどのような方だと考えているのかしら?」

「それはもう、素晴らしい方でしょう? きっと聡明で淑やかな方で、微笑めば花々の蕾が開き、お声は眠りを誘う竪琴(ハープ)のように美しく、そして……」

「はい、そこまでになさい」

「えっ」


 わたしが思い描く皇太子妃殿下の特徴はまだ半分にも満たない。


「褒め言葉が無限に湧き出すところはお父様の美徳だけれど、悪癖でもあるのだから真似をするのは程々にしておきましょう」

「まさか、パパみたいになっていましたか……?」

「ええ、そっくり」

「………………」


 もし、古今東西の褒め言葉(ラブコール)を延々と聞かされて育った子は、自然と古今東西の褒め言葉(ラブコール)を延々と話せるようになるのだとすれば。


 いつか素敵な人にそんな言葉を耳元で囁かれて、「パパから言われたことがあるなぁ……」と思ってしまう前に、わたしが口説き落とす可能性が大いに期待できるだろう。嫌だ、嫌すぎる。期待したくない。


 モニカ姉様がコホンと声の調子を整える。


「では、その聡明で淑やかな方が、物珍しい装飾品を身に着けて社交界に現れ、買うことを勧められていたら、きっと良いものだと思って、ひとつぐらいは買われるでしょう?」

「はい」

「そうして貴女は、産地も、扱う商人も、明確な品を必ず手に入れられるでしょう……前段階の皇太子妃候補でも同じことが言えるわね」

「むむ……」

「甘いものでもお食べになってゆっくり考えなさい。お菓子は好きでしょう?」


 モニカ姉様はわたしの小皿へコンフィット(糖菓)を取り分けた。


 わたしは小皿から砂糖衣に包まれたアーモンドを選んだ。表面はなめらかで、ゆっくりと溶ける甘みに菓子職人の手際の良さが感じられる。


 皇太子妃の座や奢侈品の需要、それらが婚礼ではなく婚約パレードと称させた。


 その推測しがたい理由に悩み過ぎて凝り固まった思考を仕切り直すべく、わたしは舌の上の甘味に意識を傾けた。


 甘い、甘い、このコンフィットは………砂糖とアーモンドの生産地があり、それらの専売権を持つ公爵領の商人から仕入れて、マディル公爵家お抱えの菓子職人が作り上げたもの。今回はわたしの口の中へと消えたが、本来は皇都で高く売られている。


 うん、美味しい。


 もしかして、だけど……モニカ姉様の例え話とコンフィットも同じことなのでは?


 この一連の流れで最も利益を得たのは誰だろう。


「ああ、分かりました」


 領から皇都へ向かう奢侈品。


 社交界における皇太子妃の立ち位置。


 そして、利益の行方。


 点と点を結び合わせて描かれた図は簡潔だが大きい。


「ロザリンドはどのような答えを聞かせてくれるのかしら?」

「皇太子妃選定の儀は、領同士の商戦の側面を持ち合わせている」

「然り、といったところね」


 皇太子妃選定の儀で競われるのは美貌や教養、才覚だけではない。各領地は、仕立てたドレスや装飾品で皇太子妃候補を美しく飾り立てることによって、自領の品から作られたそれらを広く売り込んでいくのだ。


 さらに最終到達点である皇太子妃は次世代の社交界の花であり、流行を牽引していく存在だ。


 つまり、皇太子妃候補だった時よりも、より長い期間、より強い影響力を受けた収益を見込めるようになる。


 よって、今回の婚約パレードと称させる足の引っ張り合いは得てして起こったものだ。皇太子妃の座(金の卵を産む鵞鳥)を巡り、短くはない年月をかけて金銀銅貨の山を費やしたことを考えれば……。


 だが、皇太子妃選定の儀が領地間の代理戦争だとしても、既に通例から三年の遅れがある。


 となれば、お世継ぎの問題が浮上してくるだろう。皇太子妃側はそれを理由にしてしまえば、婚礼を婚約と称させる、他の候補からの干渉など撥ねのけられたはず。



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