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出立

 翌朝、空が薄明を迎えた頃にわたしとパパは子爵邸を発った。


 春の息吹を通り過ぎる木々の萌芽から感じられる。しかし、空気は未だ肌寒く馬車を走らせる御者の吐息は白い。


 マディル公爵領へ続く街道を二頭立ての馬車は全速力で走ったので、あっという間に子爵邸は見えなくなり関門へと辿りついた。


 わたしは感慨深い思いで景色を眺めていた。こんなにも簡単に世界(子爵領)の端まで来れてしまうなんて、パパの説得を終えた後のわたしでも思いはしなかった。


 つまるところ、女神の寵愛を受ける皇帝陛下の権威と、高位の公爵の口添えに勝るものは皇国のどこにもない、ということだろう。


 御者席に相席していた老年の執事が関門での手続きを済ませている間、否が応でもわたしの目に入るものがあった。


 対面に座る不機嫌そうなパパだ。


 苦くてまずい薬を耐え忍ぶような厳めしい顔で腕を組んでいる。


 今朝、わたしがおはようの挨拶をした時は普段通りだったのに。


『おはよう、ロザリンド。今日も天使のように可愛らしいね』


 口を開けば褒め言葉。


 パパだけで古今東西の褒め言葉(ラブコール)とそれに対する愛想笑いの仕方を憶えてしまったし、いつか素敵な人にそんな言葉を耳元で囁かれる度に「パパから言われたことがあるなぁ……」と思ってしまいそうだ。


 外で粛々と手続きが進む中、ついにパパは堰を切ったように喋り始めた。


「っ……ロザリンド、今日はおうちでお留守番をしていても良いのではないのかな。パパはロザリンドが領から、邸宅から一歩でも出ることすら倒れそうなほど心配なのに、マディル公爵領に逗留することは勿論、皇都へ行くとは……!」


 青ざめた顔でパパはわたしの手を握る。


 本当、パパも一緒なのに大袈裟な……。


「昨日。行ってもいいって言ったでしょ。それに皇都に行くのはやむを得ない事情で出れないモニカ姉様の代わりを務めるのが一番の目的だけど、それとは別に、皇帝陛下に子爵位を受け継ぐ次の領主がわたしになると申し上げる為だって」

「しかし、だな……」


 パパは重い口ぶりで、目を伏せた。


「わたしは、パパの自慢のロザリンドでしょ? 皇都へ行くぐらいなんてことない。わたしの二年間の頑張りを、パパは信じてくれないの」

「いや、そういうことではないんだ」


 パパはキリッと熱のこもった眼でわたしを見つめ返す。


 なんとなく、察した。


 わた()しが()子爵()位を()継承()でき()るか、ではない――――。


「私の目が届く所だとしても、偽の愛を(うそぶ)く皇都の男を命よりも大切な愛娘が目にするかもしれない事実に、私がっ耐えられない。いいかい、ロザリンド。歳の近い男は皆、か弱い仔羊の肉に飢えた狼でしかない。いつ何時喰らおうかぁ~と皮算用をして涎を垂らしているだろうっ。だからこそっ、今日という日が来るまでは、目を光らせて遠ざけてきたというのにぃっ。確かにロザリンドが子爵領一皇国一可憐で可愛い機知に富んだ才女なのは周知の事実であり、下心を持った輩が群がるのは当然の帰結かもしれないがっ……ショートケーキ上の苺を横から盗まんとするようなお子様や狡猾な大人から、パパである私が指一本触れさせぬように――――」


 パパの心配性は鬼気迫る勢いでまだまだ続いていく。立て板に水の愛情表現を今日もわたしは呆れながら聞き流して……。


「パパのばか。わからずや。とうへんぼく」


 にべもなくわたしが拗ねた態度で返すと、パパの顔は一層真っ青になった。


 コンコンコン、と馬車の御者席側に付いた小窓が叩かれる。


「旦那様。手続きを終え、まもなく出発致します」

「ご苦労、クラウディール」


 わたしの手を握り締めたままパパは声を震えさせて、合図を送る。


 老年の執事は合図を受けて後続の荷馬車に指示を出す中、ぼそりとパパに釘を刺した。


「僭越ながら、旦那様は今回を機にお嬢様離れをされるべきかと」

「何を言う、クラウディール! このっ可愛い可愛い目に入れても痛くないほど可愛いロザリンドから離れろと! 無理難題ではないか」

「この老執事も、お嬢様は勿論ナトミー家の全てを目に入れたとしても痛くはないと自負しております。しかしながら、度を越した旦那様のその悪癖ばかりは諫めねば執事の名折れでございます」

「悪癖ではない。可憐なロザリンドを守る為だけにある慣習だ」

「それでは、今回の旅程だけでも悪しき慣習をおやめになられましょう」


 柔和に目を細めながら、クラウディールは遠慮なく言った。


 彼は先々代から子爵家に仕え、現在は邸宅の使用人全員を取り纏める立場である家令(ハウス・スチュワード)だ。パパとは長い付き合いであるし、お互い気心の知れた仲だが……。


「この十年で皇国は平和になりました。皇帝陛下の加護のお陰で災禍が未然に防がれておりますし、教会の監視も行き届き、罪を唆すような悪魔の侵入もございません」

「昔よりも皇国が平和になったのは事実だが、悪魔に唆されずとも身に余る金品を求めロザリンドに迫る男が居ないとも限らん」

「この皇国でお金の為に悪意を持ってロザリンドお嬢様を誑かす者などおりません。皇国でしか通用しない決まり文句にもございましょう」


「――――盗むことよりも騙すことよりも、簡単に儲けられる方法がある。それは働くことだ」


 わたしが横から割り込んでそれを言ってしまうと、クラウディールは嬉しそうに微笑んだ。


「その通りです、お嬢様。かのように賢きロザリンドお嬢様なら、上辺の美しさのみをお目当てにされる不純な御仁も見分けられることでしょう」


 しかし、納得がいかないのか、往生際が悪いパパは言い返した。


「いいや、いいや、金目当てでもロザリンドの可憐さ目当てでもなく、子爵位を求めて巧妙に(だま)くらかす輩が現れないとも限らないっ」

「ええ。当然、子爵位が魅力的に映る御仁もいらっしゃることでしょう。しかし、今旅程の目的にもあるように、最後には皇帝陛下の裁可を要する為、間違いはありえません」


 皇帝陛下の持つ女神の加護は事象の未来予知を可能としていた。その貴重な能力の使い道は当然、皇国にとって重要なものに限られる。


 しかしながら、たとえ取るに足らぬ内地の子爵領といえども、皇国が庇護する一領地である限り(ないがし)ろにはできない。


 貴族であるならば周知の事実だ。


「それよりも、うら若き乙女であるロザリンドお嬢様が、旦那様の所為により、未だに社交の場へお目通りされていないことです。したがって、旦那様がその偏屈な行為をお止めにならないその時は………………」


 クラウディールはぴたりと口を閉じる。


 一秒、二秒、と延びゆく沈黙に堪え切れず、パパは焦燥に駆られて次の言葉を急かした。


「その時はどうなるというのだ、クラウディール!」

「その時は……この老体が命を賭してお止め致しましょう。言葉の通り、私はナトミー家の全てを目に入れても痛くはないと自負しておりますので。もう昔のように旦那様が過度に案じられる必要はございません」

「脅し、か?」

「心優しき旦那様へ、老い先短し執事からの諫言でございます。……おや、了解致しました。」


 パパがぐぅと唸り観念したのを察知してか、タイミング良く後続の荷馬車の準備完了の報告が届いた。


 わたしは内心、驚きを隠せずにいた。


 ここまでクラウディールがはっきり言うのも珍しい。


 歳の差はあれ、主従の立場上強くは出られない彼が進言してくれるなんて…………もっと早く、領主になるための勉強を始めだした二年前ぐらいに止めて欲しかったが贅沢は言えない。


 遅れて御者の掛け声が響くと、馬は関門の門閾(もんいき)を乗り越え、公爵領へと踏み出した。


 大きな振動がガタンガタンと二つ。


 その後、車輪はつつがなく軽快に回り始めた。


「ようこそ。“皇国の黒鉄(くろがね)”、マディル公爵領へ」

 

 関門の衛兵からの歓迎の言葉を後にして、馬車は駆けだしていく。


 何度、使い回されたか分からない衛兵の常套句も、わたしにとっては初めての経験だった。



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