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大教会

 案外、終えてみれば簡単だったのかなと思うことはいくつかある。


 はじめての子爵領からの外出と逗留。


 はじめての皇都散策。


 はじめてのお友達。


 改めて考えてみると、どれも実際は運が良かっただけなのだ。わたしの挑戦や努力は大したものではないような気がした。


 となると、子爵位継承の諸試験もそのひとつなのであって……。まあ、緊張が過ぎ去ってそう思えるだけかも。


 とっても偉い教会の聖職者十人を相手にした対面論議を緊張せずに通過した者が、今まででどれだけ存在するのだろうか。あんなの、経験者のパパの助言があっても、緊張しない訳がない。それにパパの助言は大概がわたしの褒め言葉であてにならないし。


 優しそうな顔をして、ちょっぴり腹黒そうな司祭様、司教様、枢機卿猊下、合わせて十人と相対しての論議は胃がキリキリと痛んだ。内容は神学や法学の解釈についてで、街の司教様や家庭教師の先生との論議と大して変わらないのに……。


 胃痛を悪化させた要因はいくつかあった。


 一つ目が教会内で教皇聖下(皇帝陛下)に次ぐ権力者である枢機卿猊下が三人もいたこと。


 内一人はわたしとそう変わらなさそうな年齢!


 なのだが、その年若い枢機卿の彼は薄布(ヴェール)で顔を覆っていて、さらに不可解なのが、三人の中で一番のお偉方と思える枢機卿も彼だったこと。年若い枢機卿猊下は、異色の存在としてわたしの意識の底に引っかかってしまった。


 最後に、あの失言をしたような悪い手応え……。上手く取り繕えはしたけれど、できればもう思い出したくない。


 赤ずきんの問いにのうのうと答えられたオオカミのようになれれば、もっと気楽に出来よく事を運べたかもしれない。


 ……いいえ、前言撤回。


 オオカミは最後、猟師のおじいさんに退治されてしまうのに。それに、赤ずきんの代わりが物腰柔らかな聖職者だとしても、十人の徒党を組んだ彼らの得意分野相手にオオカミは最後まで誤魔化しきれないだろう。


 途中、オオカミと十人の聖職者がおばあさんの家で論議を繰り広げるさまを想像して、あまりの滑稽さに口角が上がった。もう過ぎたことを気にするのはやめよう。


 この後は、当日中に下される子爵位継承の是非を待ち、認定結果を受け取って、今日が期日の側妃候補の推薦書を提出すればおしまいだ。


 けれども………と、わたしは大きく息を吐いた。


「まだ約束の時刻まで時間があるのかぁ……」


 実は、婚約パレードの日にお友達になったアレンと試験後、大教会前で落ち合うことになっていた。


 それは婚約パレードの日に巡ることができなかった皇都の店々(みせみせ)の案内を、アレンが引き受けてくれたから。


 子爵位継承の諸試験――その結果が伝えられるまでの待ち時間を充てるつもりだった。


 アレンと待ち合わせの約束を取り付けたのは、婚約パレードの日から一ヶ月の間に、皇都と子爵領の間を行き来した四、五通の便箋の内の最後のやりとりでだった。


 騎士団同士の諍いにわたしが巻き込まれたことで、アレンは後でこっぴどく上官に叱られ、子爵令嬢を歓待するように命じられたらしい。元々、アレン自身も、そのことで私が不快な思いをしたままじゃないのか、と気にする言葉を書いていた。


 それならばと、皇都の地理にわたしが疎いことや、婚約パレード当日はお店巡りができなかったこともあり、歓待の内容は皇都の案内で話がまとまったのだった。


 パパの過保護は婚約パレードの日から多少緩くなり、信用できる者が常に傍に控えているのならば、という条件でアレンpresents(プレゼンツ)皇都の案内計画は順調に進んでいた。


 しかし、当日になって筆記試験の会場が皇立学院から大教会へ変わり、会場の移動時間がなくなってしまって………急すぎて約束の時間を前倒しにする言付けを送る暇もない!


 そうしてアレンが迎えにくる予定の時刻よりも早く解放され、現在に至る。わたしは暇をもてあそび、巡礼堂入口の脇に立ち尽くしていた。


 巡礼堂では、建物の中心にある空間――列柱廊(れつちゅうろう)で挟まれた身廊(しんろう)――で聖職者たちの祈祷が行われていた。その身廊と、ここから奥まった位置で横に広がる袖廊(しゅろう)の交差部は、天井がドームになっていて麗しき女神像が(そび)え立つ。空から見下ろせば、この建物はきっと中央に宝石を填めた十字のような構造に見えるだろう。


 巡礼者はその十字の構造に沿いつつ、列柱廊の外側にある側廊(そくろう)を一周するだけで、祭儀を妨げることなく、礼拝を完遂できた。いつ何時も絶えない人流を捌く、教会ならではの知恵だろう。


 落ち着いて観察してみると、意外と教会も合理的………ああ、ちょっとマディル公爵の影響を受けすぎた気がする。


 パパと子爵領内の視察の一環で、教会を訪ねることは幾度もあった。ただ、落ち着いた時間を過ごすことは皆無だったから、新鮮に映る。まあ、それがパパの過保護の所為なのは言うまでもない。


 大教会と呼ばれる皇都の教会は、広大な敷地とその上に建ち並ぶ壮麗な建築物群と、複数ある小規模の果樹園で構成されていた。


 建築物群の中でも一際目を引くのが、巡礼堂と三つの礼拝堂。


 小耳に挟んだ案内によれば、これらは女神を祀る施設として建築されたものである。わたしが今いる巡礼堂は一般に開かれた礼拝施設で、あとの三つの礼拝堂は女神ヴェルザンディとその姉妹神をそれぞれ祀る聖域として扱われおり、立ち入りが制限されている。


 一方、果樹園は建物を繋ぐ渡り廊下から眺めることができた。風が吹けば、果実の馥郁(ふくいく)たる甘い香気が鼻先を掠め、まるで楽園に迷い込んだように錯覚する。


 筆記試験の後、張り詰めていた緊張の糸を適度に緩めることができたのは果樹園のお陰だった。甘い香りにつられて空と緑を見た時、やっと息をつくことができたように思う。


 わたしはもう一度、その楽園を訪れてみたい気がした。


 となれば、どうやって果樹園を見て回る許可をいただこうか……と考えあぐねていたら、巡礼者を見守っている助祭と目が合った。


 礼拝の仕組みは先に説明した通り、入れかわり立ちかわり現れる巡礼者が側廊をぐるっと回遊し続けるもの。


 なので立ち止まっていると、少し目立ってしまう。


 もう巡礼者の波に流されて、軽く一周してしまった方が良さそうだ。時間はまだ、ありあまるほどある。


 巡礼堂の空気は静謐で、澄み切った小川の中のようだった。


 歩きつつ、陽が射す水面を見上げる気持ちで、女神像の奥にあるステンドグラスの模様に目を遊ばせる。


 すると、突如、とんでもないものがステンドグラスをすり抜けてきた。


 浮いている女の人だ。


 フワフワと宙にマーメイドラインのドレスを着た女の人が漂っている。


「ゆ……幽霊!?」


 わたしは小さな悲鳴をあげた。人々の頭上すれすれに浮遊する彼女のドレスの裾が、なんと祭儀を仕切る司教の身体をすり抜けたからだ。


 しかし、その司教は何事もなく祭儀を続けている。


 同様に、巡礼堂にいる人々には彼女が見えていないようで、逆に、急に声を出したわたしの方を訝しげに見る始末だった。


 遠目から見ても、彼女の容貌は美しく神々しい。


 それが、まるで人魚のようにドレスの裾を靡かせて飛んでいるのに、わたし以外誰も彼女に気が付いていないなんて。あんなにも目立ってて!


 好奇心に負け、わたしは彼女の向かう方向へと()いた。


 その女の人の幽霊は人々の頭上を悠々と泳ぎ抜けていった。


 女の人の幽霊は巡礼堂から出て、次に大教会の奥へと続く廊下の宙を泳いでいく。


 駆け足の速度は周囲の迷惑にならないよう抑えつつ、わたしは追いかけた。


 付かず離れずの距離を保ちながら進んでいく内に、いつのまにか女神たちを祀る礼拝堂近くまで奥に来てしまっていた。


 遂に止まったと思った時、彼女は振り向き、手招きをしながら口を何度か開いた。


「『お』……『あ』……『いー』?」


 遠すぎて、彼女の声は聞こえなかった。表情はにこやかな笑顔に見える。


 皇都の……それも神聖な教会での怪奇現象に言葉も出ない。怖くはないが、驚きで思考が停止する。


 確かなのは、彼女がわたしを呼んでいるように見えたこと。


 わたしは彼女の方へ駆け寄り、廊下の交差に差し掛かった。


 幽霊の手招きに誘われるがまま……。


 それがわたしの不注意を招いてしまった。


 目の前の怪奇現象に思考を囚われ、右の曲がり角から来る気配を察知できなかったのだ。


「ヴェルザンディ! 貴女は何処まで逃げ――っ!」


 声よりも先に、白い枢機卿の服を着た青年が曲がり角の死角から目の前に飛び出してきた。


 目を瞑ってぶつかる、と思った瞬間にはドンッと突き飛ばされていて、地面にわたしは倒れる――。


 ――前に、誰かが腕を伸ばしてわたしを抱き留めた。


 身体に鈍い衝撃が響く。思ったより痛くない。


 おそるおそる目を開けて、横転した視界を瞬かせる。


 微かな呻き声と衣擦れの音が聴こえた。


 気付けば、わたしは涼やかな大理石ではなく、温もりのある身体を下敷きにしていた。


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