第7話 トラウマなワケ
数日か数週間か数ヶ月後かもよくわからないが、とにかく苦行のような窓口行脚に明け暮れ、ようやく書類の提出がひと段落したころになってから、ヤツは現れた。
「ミドリさぁん、どぉもでぇーす」
ブォンという風切り音と共に繰り出された私の右ストレートが、ムクロの左頬に吸い込まれる。
現世であればありえない、漫画のような勢いでムクロの体が吹き飛んでいった。
殴った私の方がポカンとしてしまうほどだ。
天高く吹き飛んだムクロの体が落ちて来て、べちゃっと頭から落ちる。
一瞬死んだのではと思ったが、そこは人外。
すぐに起き上がって頬を抑え、涙目で「痛いです」と訴える。
「そういう嘘はいりませんから」
左頬を殴ったのに、抑えていたのは右頬だったので、亡者同様死神にも実際は痛覚などないのだろう。
嘘泣きもその場のノリかなにかに違いない。
こういう小芝居を入れてくるところも、それで許されると思われていることにも無性に腹がたつ。
一発ぶん殴って、幾分か気分がスカッとする感は否めないが。
「まずは書類提出、お疲れ様でぇーした」
案の定ケロッとした様子で、ムクロがいけしゃあしゃあと労いの言葉を発する。
「提出いただいた書類はほぼほぼ問題なく受理されまして、転生に必要な手続きは整いました」
「どうも」
「あとは、一番時間がかかっている前世関連のオプション手続きですが……」
ムクロがパンと胸の前で手を叩くと、空中から巻物が一巻出現する。
「ひどく時間がかかり、お待たせしましたが開示していただいた全前世謄本を元に調査をさせていただき、ようやく先ほど診断結果が届きましたぁー! ぱちぱちぱちー」
口でぱちぱち言いながら、ぶりっ子気質の女性がするように顔の横で拍手するおっさん。
ムクロは細身でまだイケメンの部類だから許せる範囲だが、それでもちょっと……いや、やっぱり見るに耐えない。
あと診断結果っていうと健康診断受けてるみたいだからやめてほしい。
ムクロは巻物をキャッチすると、紐を外して空中に広げた。
ずらりと書かれた前世の一覧。
日本語でかかれているっぽいが、正直自分で読む気にはなれない。
ただこれが全部自分の前世かと思うと、感慨深いというか、気持ちが高ぶるというか、もうぶっちゃけめっちゃテンション上がる。
「おお……これが私の前世の系譜っ……。モフ禁人生の謎がついに……!! で、なんなんですか、諸悪の根源は!?」
「そんなぁ、急かさないでくださぁいよ。ちょっと先に失礼しまぁすね」
ムクロもまだ読んでいないらしく、懐からメガネを取り出して目を通し始める。
人外ゆえか死神ゆえかわからないが、彼ら職員は巻物を端から端までスーッと横目で流し見しただけで、書類を読んだことになるらしい。
ムクロが長い巻物を読み終わるのに30秒もかからなかった。
読み終わったムクロは一瞬額に手を当て何か考え込んだあと、ふーと長いため息をつく。
いつもの薄笑いすら消えて、眉根にはシワが刻まれ、見たこともない深刻な表情になっている。
そういう顔をすると年相応に老けて見えるな、この死神。
「あのぉ……そういう反応されると、すごぉく怖いんですが……」
沈黙に耐えられず、私はムクロに声をかける。
若干青い顔で何事か考え込んでいたムクロは、ようやく顔をあげて私を見る。
「すぅー……いません。アタシが予想してたよりちょっとぉー……ああー、いやぁ、なんといいうかぁ……まぁ、その、かなり酷い経歴でぇして……」
「はい!? どういうことですか?」
ムクロのそばに駆け寄り、私は巻物を見ようとする。
そんなこと言われ方したら、全部読めなくたってめっちゃ気になる。
だがムクロは私の行動を察知するとするりと巻物を丸めて閉じてしまった。
「あ、ちょっと!」
なので巻物を奪おうとしたが、私より断然背の高いムクロがひょいと巻物を奪って高く掲げる。
手を伸ばしてぴょんぴょん跳んだが、巻物に届きそうで届かない。
意図せずおもちゃをとりあげられた子供みたいなことをさせられた私。
「……ちょっと? 何するんですか」
「あの、いやぁ思わず」
私は跳ねるのをやめて、ムクロの黒衣の胸元をひっつかんで締め上げることにした。
ムクロは変な汗をかきながら、あからさまに私から目を逸らして明後日を見る。
「思わずってなんです? 私が調査依頼した、私の前世書類ですよね!?」
「いや、あのぅ……ちょっと詳細にというか、かなり克明に前世での出来事や状況がかかれていますので、あまり気持ちのいいものではないとゆぅーか、直接読むことはオススメできないとゆぅーか……。……かなりショッキングな感じです、はい」
「そんなにもっ!?」
若手とは言え、この道数百年の死神のセリフとは思えないしどろもどろっぷり。
かろうじて口元にいつもの笑みを浮かべながらも、目は死んだ魚の様になっている。
なんだか気の毒になってきて、私は掴んでいた胸ぐらを手放した。
なんか私の前世がごめんなさい。
「ざっくり言いますと……原因の根本は、魂魄完成初期の前世の死因のほとんどが動物によるものだということでぇす」
「動物に殺されているということですか?」
「そうでぇすね。転生してはその時代その時代で、様々な動物による様々な殺されかたをしています。それが魂に刻まれてしまったせいか、ミドリさんを含める後世勢はかなり極端に動物に執着してしまう傾向にあったようで……」
「極端とは?」
「ミドリさんは動物を好んでいただけで済んでいますが、そうではなく極端な動物との接し方をしてしまわれた方が過去複数名いらっしゃいまして、その……悪くねじ曲がった方向で。……少しだけ具体的に申し上げますと……まあ、極端に嫌悪されて終生動物を虐待して過ごされた方がいたり、あとは極端に動物を愛した結果として死体をアート作品に消化されたり、殺すことに性的な快感や興奮を覚えるようなちょっと特殊な病持ちの方も……」
「ふぁっ!?」
予想だにしない方向からやってきた事実に、思わず変な声が口から漏れた。
「要は、結構な数の動物を意味なく殺して遺棄しちゃった方の魂魄から転生されたのが、ミドリさん、というわけなんですが……ご納得いただけました?」
絶句だ。
納得以前に受け入れられない。
っていうか、ムクロはそんな映画ならR指定されそうな内容を丹念に記した巻物を一部始終読んだのか。
そりゃ死んだ魚の目にもなるよね!
胸ぐら掴んでごめんなさい!
むしろ私を止めてくれてありがとう!
「……納得は……できないですが、自分が動物に嫌われてる理由はわかりました。動物って、そういう霊的なパワーとかに敏感だっていいますよね」
「そうですねぇ。基本的に危機察知能力に長けているので、これはもうどうしようもないでぇす。ミドリさんを見た瞬間、魂レベルでのトラウマが発動してしまうみたいでぇすねぇ」
言ってから気がついたように、「動物だけにトラ、ウマ、なんつって」と照れ笑いしながら付け加えるムクロ。
おっさん黙って。
上手くないから。
「とにかく、今の魂魄のまま転生しても、まず間違いなく動物には逃げられまぁすね」
でしょうね。
嫌われないわけがない。
なんなら当人の私自身ですら、もはや自分の前世に嫌悪感しかない。
「魂魄線更新課ってとこに申請すれば、前世に関わらない転生ができるって聞きました」
「はい、もちろん可能でぇす。ただこちらとしては出来るだけ沿うものを探しますが、転生先はほんとうに限られていますので、一つも希望が通らない転生先になってしまうこともざらでぇす。日本人の方は日本に再転生される方が割と多いですが、そういう転生先の環境すらも選べないと思ってくださぁい。そこだけご了承頂きたいでぇーす」
「わかりました!」
即答した。
この世の終わりまでずっとモフモフ出来ないより百倍マシだ。
ある程度の希望が叶って転生しても、このままモフモフできないままなら、私にとってそこは地獄同然なのだ。