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第31話 獅子の暴走

「クロイツ殿も、大事ないか」


ジハイルが問うたが、クロイツはその片目でジハイルを見つめ返しただけ。

そして首を少しだけかしげる。

いつもジハイルを見るときには、殺気にも似た刺すような眼光があったが、今はそれもない。


「クロイツ殿……?」


その奇妙な感覚はジハイルにしかわからない。

殺気がなければ返って安心しそうなものだが、ジハイルの表情は逆にこわばっていた。

感情のない知恵なき獰猛な獣が、ただ目の前にいるような感覚。


雄々しい鬣の向こうで、まるでそうするのが当然とように、鋭い刃のついた尻尾がしゅるりと持ち上がったのが見えた。

クロイツが歯をむき出し、シューとまるで蛇のように喉を鳴らす。


「ちょっと待ってくれ、怒ったのか……?」

『クロイツ?』


ようやくエルメルが異変に気が付き、顔を上げて振り返る。

直後、クロイツの尻尾がしなり、エルメルごとジハイルを薙ぎ払った。

強い衝撃を受けて吹き飛ばされた二人は受け身も取れずに、地面を転がる。

不幸中の幸いと言うべきか、刃の部分は当たらなかった。


ジハイルが咄嗟にかばってくれたおかげて直撃を免れたエルメルは、慌てて立ち上がる。

だが直撃を受けたジハイルはすぐに立ち上がれない。

その転がったまま顔を上げたジハイルの脳天めがけて、クロイツの尻尾がまたしなった。


『クロイツ! やめろ!』


尻尾も先の毒刃がジハイルの頭を狙うのを見て、エルメルは咄嗟に飛び出した。

全身の毛が逆立ったかと思うと、自分でも驚くようなパワーとスピードで体が動く。

気がつくと、飛びかかったクロイツの懐に突撃し、その黒い巨体をふっとばしていた。


ジハイルの鼻先で、間一髪刃が空を切る。


クロイツを吹き飛ばしたことに自分で驚き、エルメルは自分の体を見下ろした。

なんと翼と尻尾が戻っている。


「前っ!」


だが、久しぶりの感覚に喜ぶ間はない。

ジハイルの叫び声で我に返り、体勢を立て直したクロイツの鋭い爪を避ける。

避けられて怒り咆哮するクロイツ。エルメルにすら敵意を剥き出しにしている。

なんだか様子がおかしい。


『クロイツ? お前、どういうつもりだ』


念話で声をかけるが返答がない。


クロイツが唸り声を上げながら再び尻尾を振り回したので、エルメルも仕方なく応戦する。

バチンバチンという激しい音をたてて、両者一歩も引かずに尻尾を何度か打ち合う。

いつものじゃれ合いのような力加減ではない。

自分のより長く太いジハイルの尾は、ただ振り下ろされるだけでも脅威的だ。

エルメルにできるのは、自分の尻尾で相手の尾を叩きつけて、力づくで振り下ろしの角度を変えるくらい。

防戦一方だ。

しかしそれでも、エルメルの後ろにはジハイルがいる。


『じぃじ! 逃げて!』


言ったが、ジハイルはまだ立ち上がることもできていない。

白い光を放つ手の平を右足・左腰に当てている様子を見るに、魔法で応急処置をしているらしい。

思い返すと初撃を背中で受けて、数メートル飛ばされた。

人の体だ。あちこち骨が折れて、動けなくなっていたって不思議ではない。


『くそ……バカクロ!』


エルメルは僅かなスキを選んで、口から容赦なく大量の炎を吐き出した。

顔面を焼かれ鬣燃え移り、黒い獅子が頭を振り振り交代する。

正気がなくてもやはり鬣は燃やされたくないらしい。

条件反射のようなものかもしれない。


とにかく、尻尾による連続攻撃が止んだ。

この機を逃さず、エルメルは羽を畳んで助走をつけ、一気にクロイツの懐に滑り込む。


『そっちがその気なら、こうだぞ!』


鋭い牙の下、顎の付け根の部分にある鬣めがけて、エルメルは下からズッと手を差し込んだ

その途端、暴れていたクロイツの体が呆気なくバランスを失い、端的に言うならズッコケた。

ドサッと体分の大きい音を立てて巨体が倒れ伏す。

すぐ下にいたエルメルも巻き込まれ、クロイツの体に押しつぶされるように、姿が見えなくなった。


しん、と静寂が訪れる。


「エル!」


ジハイルは慌てて回復を中断し、手の平をクロイツに向けるが、


「じぃじ、だいちょんぷ!」


モゴモゴとくぐもった声がそれを制した。

遅れて伏したクロイツの頭の下からひょこりとエルメルが顔を出す。


「だいちょーんぷ!」


片手で親指を立てたエルが「どやあ」と言いたげな顔で言う。

ジハイルは安堵のため息をとともに攻撃用の魔法陣を霧散させた。

クロイツは唸り声に似た低い音で、だが確かに喉をゴロゴロと鳴らしていた。


「うりゃうりゃうりゃうりゃ〜!」


顎の下の鬣部分を多少乱暴な手付きでわしゃわしゃと撫でくる。

するともっと上の方を撫でてほしいらしくぐっと大きな頭を傾げて押し付けてくるので、エルメルはクロイツの顔面に潰されそうになりながら、腕を伸ばしてわしゃわしゃ撫でる。

先程までの敵意はどこへやら、まるででかい猫のようになっている。


「だ、大丈夫なのかね……?」


ぽかんとしてジハイルが問うと、クロイツがはっと顔をもたげる。

無意識に柄に手を伸ばし身構えるジハイルだったが、クロイツはとろんと寝起きのような顔をしている。

だが急にはっとまた覚醒したように頭をあげ、頭と鬣をブンブン振って何度か目をしばたかせる。

ようやく目がさめたのか、改めて歯をむき出しギロリと老父を睨んだ。


「お前何をした」


聞き慣れたような聞き慣れないような声音が、そう言った。


「ふぁっ!?」


驚いたのはジハイルだけでなく、クロイツの懐に埋まっているエルメルも同じようだった。

頭上のクロイツの顔を見上げて奇声を発した。


「枯れ枝ごときが、クロに何をした!?」


二度目の言葉はもう見間違えようがない。

クロイツがエルメルよりも遥かに流暢な言葉遣いで、獣の口から声を発している。

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