第30話 地面の下の空
巨大な木が生い茂る森を見渡せる巨大な崖を、翼のある黒い影が一迅急降下していく。
崖の岩肌を伝うように降りていくので、まるで落ちているような角度である。
風圧をもろに受け、ジハイルとエルメルの服がバサバサと激しくはためいた。
エルメルの簡易に作った腰巻きなど、今にもばらばらになってしまいそうな風圧だ。
『屈辱だ! なぜクロがこんな!』
念話しつつ、クロイツが苛立ったように咆哮する。
『まあまあ、いいじゃないか。僕のことだっていつも乗せてくれるじゃない』
『お前は毎回飯を食ってその場で寝るから仕方なくだろうが! 枯れた老木に誇り高いマンティの背を貸す義理はない!』
『まあまあまあまあ、結界出るまで。すぐだから。地面ついたら、ちょっといってピャッと結界抜けるだけだから』
ジハイルが提案したのは、結界の中でさらに結界を張るというよくわからない提案だった。
正確にはわからないが、体の周囲にもう1枚膜のような結界を張って魔素を閉じ込めるとか。
エルメルが「卵みたいだな」というと、ジハイルはそのようなものだと苦笑した。
しかしそれには条件が二つ、第一にジハイルの体に全員が触れていないといけない。
第二に相当無理やりな結界になるので、最初に張った結界以上に不安定とのことで時間もない。
故にクロイツに乗っかって崖を一気に降り、全力疾走で結界へ向かうしかないということになった。
不満が爆発するクロイツを口八丁に宥めるエルメルの後ろで、ジハイルはじっと目を閉じて結界の維持に集中している。
『結界を抜けたら喰い殺してやる!』
『あらやだ物騒! ほらもう、地面だよ。じーじ、着地するからね! いくよ! 3、2、いっ……』
目を閉じたままのジハイルに、声で着地の瞬間を伝えようとしてエルメルは最後まで言えなかった。
『なん……なんだこれは!』
珍しく上擦ったクロイツの声が聞こえて、それでエルメルと同じものを見ているらしいということに気がつく。
人二人を背に乗せたまま、クロイツは地面に着地と同時に地面に吸い込まれ、未だ落ちていた。
吸い込まれたというよりは、もともとそこに地面がなかったという風に通り抜けたというのが正しい気もする。
異常事態を察したジハイルが『どうした』と珍しく念話で声をかけてきたが、それに答える間はない。
直後、土色の濁った霧の中から飛び出すような感覚があり、次の瞬間ーー。
空だ。
青い空の中にポツンと二人と一匹はいた。
「は?」
地面の下に空?
ぽかんと空を見つめた直後、体を真横に引っ張られる感覚に襲われた。
クロイツの体制が崩れ、エルメルとジハイルは空中に放り出される。
「なんだっ!?」
『うわぁあああ! クロイツ! じーじ!!』
また落ちた。今度はさっきと違う方向に落ちている。
重力の方向が急に変わったのだと気がつくまでに、大分時間を要した。
背中から落ちていることに気がつくまでにさらに数秒。
体を反転するまでに、また数秒。
その間に、地面が間近に迫っていた。
『落ちるっ!』
翼のないエルメルでは激突必至。
例え翼があっても間に合うようなタイミングではなかったかもしれない。
衝撃を覚悟して、腕で頭をかばいギュッと目を閉じる。
『エル!』
短く鋭く、ジハイルの声が頭の中に鳴り響いたかと思うと、地面から巻き上がるような爆風が起こる。
エルメルの体が落下をやめた。
それどころか、跳ねるようにもう一度上空に飛ばされる。
エルメルは風にもみくちゃにされながらも猫のように空中で素早く体勢を整え、今度は難なく地面に着地した。
振り返って空を見ると、ジハイルも続いて降りてくるところだった。
着地したが、勢い余って数歩よろめいて膝を着く。
クロイツはなんとか空中で体勢を立て直せたらしい。
翼を羽ばたかせながら、遅れてゆっくり降りてきた。
『し……死ぬかと思った……』
呆然としながら、あたりを見回す。
先程の暴風のせいか地面はえぐり取られ、巻き上げられた木の葉っぱやら枝やらが続々と落ちてくる。
今なお視界は砂埃に覆われ、一瞬咽そうになる。
それがひとしきり落ち着くのを待って、ようやくエルメルはジハイルを見る。
『……死ぬかと思ったぁ!!』
腰が抜けているので、四つん這いのまま詰め寄る。
へたり込んだままのジハイルが「お、落ち着け」と手で制したが、構わずに突撃。
鳩尾のいいところに少年の頭があたったのか、ぉぐふっというくぐもった声が聞こえた。
「……怪我はないかね」
痛そうにしながら、だがジハイルは振りほどこうとはしない。
震える少年の頭を優しくなでながら、かすれた声で尋ねた。
「……ない」
ずびっと鼻水をすすりながら、答えて見上げる。
今更恐怖が襲ってきて、なんだか涙がこみ上げてきたのだ。
ドスッと音を立てて、クロイツがようやく地面に降り立つ。
のそのそとジハイルとエルメルのそばにやってきて、無事を確かめるつもりかすんすんと匂いを嗅いだ。
「クロイツ殿も、大事ないか」
ジハイルが問うたが、クロイツはその片目でジハイルを見つめ返しただけ。
そして首を少しだけかしげる。
いつもジハイルを見るときには、殺気にも似た刺すような眼光があったが、今はそれもない。
「クロイツ殿……?」




