第3話 化け物生に乾杯
生命息吹く緑の大地、生い茂る木々。
断崖の絶壁には豊富な水が猛々しい轟音とともに無限に流れ落ち、森のありとあらゆる生命に潤いをもたらす。
森に野に川に新しい命が生まれ、ざわめきとなって騒々しく森の音楽を奏でている。
季節は春。
大滝の上、さらにその上流の空にそびえ立つ雄々しい山々は未だに白い冬の装いだが、大地には暖かい日の光が降り注ぎ、新緑が満ち満ちている。
と、その日の光が一瞬陰ったかと思うと、真っ黒な獣が二匹滝上から身を躍らせた。
一つは獅子のような体だが熊以上に大きな四足の獣。
サソリのように鋭利な攻殻に覆われた尾を持ち、黒い鬣の間から覗く顔は獣よりも人に近い彫りの深い顔立ち。
一つは犬くらいのサイズの小さい獣。
同様に、短いながらも獅子のような黒い鬣とサソリの尻尾を持つ。
だが体の作りは大きい方と異なり、人の姿をした二本足の体躯であった。
二匹の獣は、滝壺へ真っ逆さまに落下していく。
そしてタイミングを見計らったかのように、水面ギリギリで二匹同時にその身に備わるコウモリのような翼を開いた。
大きい方の獣が羽ばたくと、その風圧で滝壺の水が大量に巻き上がる。
煽りを受けた小さな獣が体制を崩しながら吹き飛ばされる間に、大きな獣は鬣を振り乱しながらドスンと川沿いの緑地に着地した。
翼を素早くしまって我先にと木々が生い茂る森の中へと消えていく。
一方の小さな獣は空中で器用に体制を立て直すと、憤慨したように鋭い歯をむき出して唸る。
大きな獣よりかなり見劣りする翼を強く羽ばたかせ、急降下。
身を縮めて木と木の間をくるくると回転しながら猛スピードで通り抜け、生い茂る天然の障害物を次々とかわしながら森を飛行する。
そして、あっという間に大きな獣に追いつくと、彼が今まさに襲おうとしていた馬鹿でかい蜘蛛型の化け物を横から掻っ攫って高く舞い上がる。
自分の体の大きさを悠に超える蜘蛛を苦もなく上空に運んだ。
獲物を横取りされた大きな獅子はオオンと吠えて追ってきたが、小さい獣は意に介さない。
そのまま上空へ駆け上がりながら、獲物に食い込ませた爪を抜いて蜘蛛を宙に放り出す。
蜘蛛は八つある足をジタバタとよじらせるが、空中では為す術もない。
瞬く間に小さくなり、飛翔する二匹の獣のはるか下方で地面に叩きつけられ、動かなくなった。
それを見守り、小さな獣は空中で留まるように羽ばたきながら、短い両足を小さく正座するように折りたたむ。指の爪を引っ込めて、両手で合掌した。
「やしゃーか(安らか)に、めーり(眠り)ちゃまへ(給え)」
口を一生懸命に動かして舌足らずに声を発する。
目を閉じて南無南無と蜘蛛の冥福をお祈りしていると、追いかけてきた獅子が怪訝そうな顔でこちらを見ているのがわかった。
『それは毎回やるが、何か意味あるのか』
耳の奥で声が聞こえて、小さな獣は目を開けて大きな獣に視線を向ける。
『マンティは獲物をとったら雄叫びをあげるものだ』
手本を見せてやるとばかりに、大きな獣は獅子らしい咆哮を放つ。
『うるさいなー。意味はなくても理由はあるのさ』
本当は意味もあるのかもしれないけど、実のところよく知らない。
前世ミドリの祖母なるふっくらとした白髪の老婆が、手を合わせて南無南無唱えていたのを覚えているので同じようにしているだけである。
『大体、今回は僕の勝ちじゃないか。自分の手柄のように雄叫ばないで』
『馬鹿者。森の中を飛行するなど非常識極まりない。翼を傷つけて飛べなくなったらどうするつもりだ』
堅物まるだしの台詞に、小さな獣はゲンナリと疲れた顔になる。
『飛べなくなったら人間になるよ』
『また馬鹿なことを。馬鹿者が』
『馬鹿馬鹿言い過ぎだから』
これを言うといつも馬鹿にされる。
前世では元人間なのだから、ない選択肢ではないと思うのだが、やはり見た目が獣では難しいのだろうか。
二匹はやいのやいのと口喧嘩をしながら、仕留めた獲物の元へと降下していく。
体の大きさだけでは二匹より大きい蜘蛛の死骸は、落下の衝撃で足がもげたらしく、攻殻の隙間から中の白い肉がはみ出して見えた。
大獅子は蜘蛛が死んでいるのを確かめると、口から青い火球を放って蜘蛛を業火で黒焦げにする。
この蜘蛛は淡白ながらも味わい深い味で、この森に生息する獲物の中では、まあまあ美味しい方だ。前足で器用に外側の殻を剥がして中の白い身だけを食べるのだ。
前世で例えるとカニのような味。
前世名ミドリこと、小獅子も千切れた蜘蛛の足を拾って中身をモグモグと食べ始める。
『あー、日本酒飲みたい』
うっかり本音がだだ漏れた。
蜘蛛の背中に顔を埋めるようにかぶりついている大獅子がチラとこっちを一瞥して首を振り振り、食事を続ける。
あれは「また訳のわからんことを」と思っている顔だ。
しょうがないのだ。
前世のミドリは動物園の次に飲み屋が好きな人間の女だったのだから。
だったと過去形で話してはいるが、知識として知っていると言うだけで自分の過去のように覚えているわけではない。
ミドリと言う名も、正直自分の名前としてはしっくりこない。
おそらくそれが、生まれ変わりという感覚なのだろう。
ただ最初からそうだった訳ではない。
物心つき初めのころまでは、少なくともミドリとして喋っていたし行動していた気がする。
年齢を隔てるにつれ、記憶が遠ざかって知識に近くなったという感じだ。
ただ、前世の忌まわしい記憶は未だに綺麗に残ったままなので、少し困るのだが。
物心がついた頃から、自分の見た目と体感で逆算しているので正確な年数ではないが、今からおよそ10年前にミドリは日本の動物園で死んだ。
ムクロという変な死神につれられて黄泉の国に入り、そしてこのジャングルの一角にマンティとかいう謎のモンスターとして生を受けたのだ。
はっきり言って、なんじゃそりゃと自分で言いたくなるあんまりな化け物転生だ。
今でも夢に見る。
あの、黄泉の国での出来事を。