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第27話 悪い癖

獣道に沿ってひたすら歩き続けてさらに数日が経過した。

だが、エルメルが

そうしてやっとことで森を抜けると、自分たちが随分高い場所にいることがわかった。

森が途切れた先は崖になっており、はるか眼下に鬱蒼とした森が彼方までなおも広がっている。


「これは絶景よの」


ふぅと長いため息をついて、ジハイルがのんびりと宣う。


「のんき!!」


ぜぇぜぇと荒い息を立てながら、覚えたての言葉でエルメルが罵る。


「さてさて、ワイバーンの血の臭いはどうかね」


エルメルの悪態など聞こえなかったらしい。

ジハイルは息は多少乱れているものの、薄い笑みさえ浮かべている。


じいさんの癖に、なんという体力だろう。


だがクロイツも息が乱れていないのを横目に見て、いや、自分の体力がないだけかもと思い直す。


『もう薄くてわからない。まだ遠くまで続いているような気もするけど、薄いだけでなんだか割りと近い気もする……」


「だけど」と少年は果てしなく緑の景色を、ずびしと指差した。


『この景色を見てよ。近くないことだけははっきりしたわけだ! もう一ヶ月くらい歩いたのにだよ!?』

「一週間も歩いとらんわ。たわけ」

『たわけでいい! もう歩くの飽きた!! もうこうなったら絶対飛んでいく! これからまだこんな距離をちまちま歩くなんて絶対に嫌だ!』


喚いてエルメルは、腕を組んでどかっとその場に座り込む。

ジハイルはあごの髭を撫でつつ、座り込んだ少年の背中に目をやる。


「飛ぶには羽が必要だと思うがなぁ」

『それは……! まぁ……そうなんだけども』


反り返っていたエルメルの背中は、あっという間に丸くなった。

マンティコアたる羽と尾はまだ戻ってはいない。


「幸いにして、ここまでの旅は順調ではないか。気長にいこうぞ」

『そんなこと言ってるうちに寿命が来ちゃっても知らないよ』


エルメルが膨れ面でいうと、ジハイルは豪快に笑う。


「笑い話にはなるかのう」


老い先短いじいさんは、自分の寿命に頓着がないものなのだろ

むぅと、益々頬を膨らませてジハイルから目をそらすエルメル。

眼下の広大な森を見下ろす。


切り立った崖の下 。

眼下の森を、赤とオレンジ色の鳥が悠々と飛んでいる。

「僕だって翼があれば」と、エルメルはため息をつきかけて、 はたとそれをやめる。

もう一度飛んでいる鳥に視線を合わせて、じっくりと見る。

遠すぎてよく見えない。

目にググッと力を入れると、一瞬ぶわっと全身が泡立つような心地がした。

唐突に、視界が今までとは段違いにクリアになる。

黒いくちばしに赤とオレンジのまだら模様、翼の先が黄色く燃える様まではっきり見えた。


鳥の正体をはっきりと見て、エルメルは小首を傾げる。

すっと視線を他所に向けると、今度は頭に翼が生えた白い鼠が視界の端を素早く横切った。

ジグザグと飛ぶそれを辛うじて目で追っていくと、今度は昆虫のような羽でブンブン飛び回るトカゲのような生き物がどこからともなく現れる。

それが白い飛鼠を捉えようと追いかけ回し始めた。


「何あれ……」


魂を抜かれたように呟くエルメル。


「何あれ……」


惚けた顔が次の瞬間にはふにゃりと歪んで、頬は赤くなる。

笑いたいような泣きたいような妙な表情。


「何あの可愛いの……」


三回目に呟いたときには、感動で声が震えていた

それもそのはず。

眼下にいる三種類の空飛ぶ生き物はエルメルが見たこともない生き物たちだった。

それに何年もこの森に住んでいるはずのエルメルでさえ、あのサイズの生き物をこの森で見かけたことはない。

知っている中で一番小型に分類されるビーゼルですら、後ろ足で立ち上がればエルメルの半分以上の背丈はあるというのに。

あれは何という小ささだろう。


見たい、近くで。


エルメルは憑かれたようにゆるゆると立ち上がり、崖から飛び降りる準備をする。

飛び出そうと腰をかがめた、その時だ。

背後から腕が伸びて、胴をがっしりと掴んで引き戻そうとする力があった。

勢い余って半分宙に飛んでいたエルメルは、掴まれた部分を支点に足だけ放り出すような姿勢になってひっくり返った。


「はにゃ?」


気の抜けた声が自分の口から漏れる。

すっ転んで尻もちをついた割に痛くないなと思っていたら、下にジハイルを敷いていた。

なんかデジャブ感。


「あ、あれぇ? じーじ、どったの?」


当然エルメルを捕まえにきた腕はジハイルのもので、勢いで二人一緒に転んでしまったらしい。

ジハイルは未だがっちりとエルメルの体を掴んだまま、無言でジーッと少年を見つめる。

ややあってエルメルを開放すると、ヨイショと立ち上がって長い溜息を一つ。

そして。


「どーしたもこーしたもない、この大馬鹿者!」

「み゛ゃ!」


ゴチンと脳天にジハイルの拳が落ちて、エルメルが轢かれた猫のような悲鳴を上げた。

実際痛みはそれほどではなかったものの、ドラのような声も相まって雷が頭に降ったのかというくらいの衝撃があった。

何より温厚なジハイルに、怒鳴り声付きの鉄拳制裁をくらったというショックの方が大きい。

エルメルは腰を抜かしながらもアワアワとジハイルから逃れ、クロイツを見つけると前足の間を抜けて懐に飛び込み身を隠した。


『なんで!? なんで、じぃじ怒ってる!?』


前足の間からクロイツを見上げて問う。

だが、クロイツまでが先程ジハイルがしたと同じ長い溜息を吐く。

呆れた顔で複雑そうに笑んだ。


『……悪い癖が出てしまったな』

『何、癖!? 僕の!?』


半ばパニックになって叫ぶ。

ジハイルがゆっくりとこちらに歩いてくるのを見て、エルメルはひっと息を吸い込んでクロイツの懐に引っ込む。


『お前、今自分が飛べないのを忘れたな』


言われてはたとエルメルは我に還る。


そうだ、飛べないんだった。

そしてその体でさっき、何をした?


エルメルは急激に自分の顔が耳まで熱くなるのを感じた。

別の意味でクロイツの懐から出られなくなり、縮こまる。

ジハイルがクロイツの前で膝をおって覗き込むのが気配でわかったが、とても顔を挙げられない。


「エル……すまんかった、つい、手が出てしもうた」


挙げ句、先に謝らせてしまった。

その声に先程の怒気はなく、どちらかというと安堵のこもった声だった。


「ご……めん、しゃい」


蚊の鳴くような声だったが、ようやく声に出せた。

真っ赤に紅潮した顔を伏せたまま、もぞもぞとクロイツの前足の間から這い出す。


「ごめ、ね。じぃじ」


ぽんと、自分が殴った小さな頭に手を置くジハイル。


「口から心臓が出るかと思ったぞ。心配の方で寿命が尽きてしまう……」


撫でているのか、擦っているのか、ジハイルが頭の毛をくしゃくしゃにする。


「もうしないな?」


優しく問われてようやくエルメルは顔を上げ、泣きそうになりながら一つ頷いた。


なんだかこうして誰かに心配されるということが、ひどく久しぶりな気がする。

それを不幸と感じたことはないが、弱肉強食の野生の中にあれば生きるも死ぬも自己責任。

エルメルは頑丈なので、もしかしたら落ちても死ななかったかもしれない、途中で羽の出し方を思い出して飛べたかもしれない。

あるいは、クロイツが途中で助けに来たかもしれない。

だが、それでも死ぬほど心配してくれたのが顔を見てわかる。

不謹慎極まりないと自分でもわかっているが、それがなんだか泣けてくるほど嬉しかったのだ。

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