第26話 森の賢者?
「おはいお、おはおー、おはいよ、んー、おぅはよう」
「最後のはよかった」
「おぅはよう、おはよう」
「お、言えた」
「やった」
木の実と山菜を、昨夜食べた器のような木の実の器で煮たスープと、焚き火でしっかり炙ったビーゼルの肉で朝食を取ったあと、ジハイルとエルメル、そしてクロイツは出発した。
木の根っこがびっしり地面に張り巡らされて、ゴツゴツ歩きにくい地帯を抜け、ようやく土の上を歩けるようになったのはその日の午後になってからだった。
ジハイルが木と木の間を縫うような獣道を見つけて、それでずっと歩きやすくなったのだ。
エルメルは今まで森を歩いていて疲れたと思うことは一度もなかった。
歩きでそれほど遠くまで出かけたことはなかったし、今思えば獲物を捕まえるために結構な距離を走っても息切れすらしたことがなかったのだ。
それが今、はじめて息があがっている。
慣れない人の体ーーというのもあるが、前世の記憶があるせいか、正直そっちはすぐに慣れてしまった。
問題は地面に折り重なるように蔓延る巨木の根を越えるのに、爪も翼も尾が使えないということだった。
「たんちーぷ……たんちょーぷ。たいてーふ……うーん」
「大丈夫」
「たいちぷう」
「大丈夫」
「たいちょーぷ、だいちょんぷ、だいちょぷ」
「まあ、近いな」
巨木の群生地帯では常にジャンプして森を進まなくてはならなかった。
そんなわけで獣道に入り多少歩きやすくなると、エルメルはほっとすると同時に、疲れもどっと感じる羽目になったのだった。
黙々と歩いていると疲れを感じてしまうので、ジハイルの言葉を真似て日常使いの単語を練習している。
前世の日本語とは全然違う言語なので何度も声に出して、ようやく単語を一つ覚えられる。
今までは、当てずっぽうに単語を拾って声に出していただけだった。
エルメルが前世の頃から密かに得意としている動物の鳴き真似の要領で、なんとなく聞きとって、なんとなく音にしていたに過ぎない。
だが、いざキチンと発音しようとすると単語だけでも結構難しいことがわかった。
『じぃじ、大丈夫、難しい。もっと簡単なやつやりたい』
「そうさのう……。なら、ありがとうはどうじゃな?」
「ありやとー」
「ありが、とう」
「ありあとー、ありあ……ありか……ありが、と」
「おお、それじゃな、合格」
「ありがとーありがとー」
エルメルはグッと拳を握って、笑顔になる。
新しい言葉を覚えるのは大変だが、言えると素直に嬉しい。
それにただ黙々と歩くより、疲れを忘れられそうだ。
ジハイルもそう思っているのか、エルメルに付き合ってくれている。
『ぴーちく、ぱーちくと喧しいな。言葉は通じるだろうに、人語を練習する意味あるか?』
クロイツだけは、エルメルの斜め後ろでつまらなそうな顔をしているが。
『えー、あるでしょ。だって、じぃじとは契約してるから通じるだけで、他の人とはしゃべれないんだよ? それに口を動かさないでこうやって喋るのは、普通じゃないんだよ。ね、じぃじ』
話題を振ると、ジハイルもなんとなくクロイツの言った事を察したように肩を竦める。
「まあ念話に頼る種族もいるにはいるが……まあ、人同士ならばそれが普通かのぅ」
『ほら』
『何がほらか。お前は人じゃないだろうが』
唸り声付きで言われて、少年は苦笑する。
思った以上に、クロイツはエルメルが人の真似事をすることに抵抗があるらしい。
クロイツはマンティ至上主義みたいな所がある。
どこからデータを得たのか知らないが、クロイツ的にマンティらしい行動規範というものがあるらしい。
このままでは口喧嘩になってしまいそうなので、エルメルは少し黙って思案する。
思案しながら少し歩みを遅めてクロイツに並び、ややあって、口を開いた。
『でも僕、少なくとも今は人っぽいじゃん?』
言うと、クロイツはエルメルとジハイルの後ろ姿を見比べる。
そして「初めて気が付いた」と言わんばかりの衝撃を受けたような顔で、エルメルを見た。
『はっ……! 確かに、そう言われてみれば……! 似ている気がする。羽ないし、毛がないし、二本足で歩くところもな』
まあ、概ね思った通りの反応である。
似ているの判定基準がやけにざっくりしすぎているが、エルメルの知っているマンティコアは正直皆こんな感じなので、今さら気になりもしない。
『でしょー? だから少なくとも今は人っぽくあってしかるべきだと思うんだよね』
『ほぉ、なるほどな。人としても世界の見聞を広げたいということだな』
『世……見聞……? あーうんうんうん、そうそうそう、そういうこと!』
かなりパワープレイの屁理屈だったのに、めっちゃ壮大に、しかも明後日の方向に解釈された。
『相変わらず、面白いことを考えるものだな』
ラッキーだけど、純粋すぎるクロイツの反応を直視することができない。
誉められているのに照れるでもなく、ただ半目になって目を背けるエルメルであった。
見てくれはともかく、多少なり前世の記憶がある分、精神年齢的には自分の方が年上なのではと思う時がある。
クロイツは基本しっかりしてるので、ごくたまに感じるだけだが。
『なら、歩き方の改善もすべきだ。二本足は、あの枯れ枝のように背筋を伸ばして歩くのが見映がいいと思うぞ。今のままではあれといい勝負だ』
クロイツが言葉を向けた先を見ると、チンパンジーに似た六つ目の野獣が遥か樹上で背中を丸めて寝ている。
こちらが地面を歩いていると見て油断しきっているのか、六つある目のうち四つも白目を向いて、ぐーすかとだらしなく寝ている。
『パンジと一緒にしてほしくはないなー』
エルメルはむすっと答えつつ、少し姿勢を正した。
言われてみると、猫背気味だった気がする。
「パンジ? 」と言って振り返ったジハイルも、エルメルの視線を追って、木の上の野獣を見た。
『そうだ。パンジは、ジハイルのとこでは何て言うの?』
「ああ、あれはエティコルと。ありがたい森の守り神として崇められておる地方もあるな」
『え、うそ。あのぐうたらが? 』
思わず本音を漏らすと、ジハイルはキョトンとする。
「あまり目立った害のない魔獣じゃし、エティコルは警戒心が強く危険の少ない安全地帯に好んで住むので、冒険者たちの休憩の目安になる。それに嘘か誠がエティコルの住まう森は豊かになる傾向があるので、あの六つ目で森を見守っておると言われておるが……何が不服かね、君たち」
説明を聞く間に、エルメルとクロイツが顔を見合わせて顔がひしゃげるほどしかめ面をしたので、ジハイルが困ったような居心地悪そうな顔になる。
『あ、うん、……パ……エテコウのいるとこが安全っていうのは、たぶん間違いない』
「なんだ?」と答えを急かされて、エルメルは答えにならない返事をする。
「いや、エテコウではなくエティコルと……」
『あ、エティコルね。エティコル。まあちょっと……少し……たぶん少し、問題がないと言えば嘘になるかなぁ』
これは果たしてはっきり言ってしまってもいいことなんだろうかと、エルメルはもごもごと言いながら心の中で自答する。
一部には森の守り神とも言われていると聞いたが、そこに信仰や畏怖があるんだろうか。
あるとしたら、あんまりイメージを壊すようなことをズバズバとは言うべきではないのかもしれない。
エティコルがエルメルやクロイツにとっていかに忌々しい存在であったとしても、ジハイルたち人間にとってはありがたい存在なのだろうし。
勝手に「サンタクロースはパパでした」と子供に伝える前の親の気分になる。
相手は、おじいちゃんだけど。
「そうか、問題は少しか」
『少しって言うか……些細な。そう、些細なね、問題が少しあるようなないような』
目を反らして言うエルメル。
自分でもわかる。嘘が下手だと。
今や立ち止まってこちらを見ているジハイルの視線が頗る痛いと。
「なるほど、些細な問題がね……。まあ、せっかくエティコルを見つけたことだし、今日はエティコルのいる木の下で野営でもするかね」
言って荷物を下ろそうとするジハイル。
『あ、いや、ちょ……それはあのぅ……』
オロオロとしていると、後ろでクロイツがバサァと両翼を広げた。
『好きにしろ。クロは別行動だ』
『まままま待って!! それはないだろ、ブルータス!』
『誰だそれは。離せこの!』
『いーやーでーすっ!!』
絶賛空の飛べないエルメルは、ちょっと泣きそうな顔でクロイツの片翼にしがみつく。
翼を組み敷かれたクロイツが、迷惑そうに唸り声を上げた。
「そんなにかね、君たち」
一人と一匹の大袈裟な反応に、軽くからかったつもりのジハイルは肩をすくめる。
「ほれほれ、歩かんと本当にここで日が暮れてしまうぞ」
言ってジハイルが荷物を担ぎ直して歩き出したので、エルメルとクロイツは顔を見合わせる。
すぐに冗談を言われたのだとわかって、ほっと胸を撫で下ろし、慌てて遠ざかるジハイルを小走りに追いかけた。
「君たちが恐れるほどの獣には見えないがなぁ」
そう、別に恐ろしくはない。
生理的に無理ってだけだ。




