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第23話 魔獣の一家と皮毛布

「彼はなんといったかな……」


思いの外無防備に寝ているマンティコアを見ながら、ジハイルはポツリと呟く。


『クロイツだよ。勝手にそう呼んでるだけだけど』

「そうか。この三日間付かず離れずずっとついてきておったので、相当警戒されておるのかと思っていたが……意外にすんなり近くに来てくれるのだな」


ジハイルにそう言われて、エルメルは「へぇ」と関心する。

滝裏の住処を出た最初の日から気が付いていたとは。

話題にも出さなかったのでエルメルもてっきり気づいていないものと思っていた。


『……警戒し飽きたんじゃないかなぁ。そろそろ』

「そ、そういうものかね」

『割と適当……大らかなんだ。見た目あんなんだけど』


ニッシッシと笑うエルメル。

ジハイルが「お前さんが言える立場かね」とでも言いたげに、ははと乾いた笑い声を返したのだった。


「エル、ちなみに彼とは意思疎通ができるようだが、お前さんとはどういう間柄なのかな?」

『兄ちゃんだ』


間髪入れずにきっぱりと答えると、ジハイルは笑んだまま顔をわずかに強張らせる。


「すまない、今なんて?」

『兄ちゃんだ。二番目のな』


ジハイルは一瞬何か言いたそうにしたが、ぐっと飲み込んだようだ。

一旦開けた口を閉じ、ややあって「そうか」とわずかに掠れた声を唇から漏らす。

眉間に手をあて、うーむと悩ましげに唸る。


まあ、ジハイルが真っ当な生活ーー少なくともエルメルが思い描けるレベルで最低限文化的な人間の営みの中で育ってきた人間とすれば、驚くだろうなとは考えていた。

だがそれはエルメルが人間か人間に近い存在と仮定すればこそ成立し得る驚愕であり、マンティコアの亜種と考えるなら特別驚くような発言ではないとも思う。

ジハイルもその考えに至ったのだろうか、程なく唸るのをやめて顔を上げた。


「失礼ながら、君は幼体……つまり幼い子供のように見える。親や兄弟たちとは一緒に暮らしていないのかね。住まいでは見ていないし、留守という感じもしなかったのだが」

『んー……基本的にみんな自由だからねぇ。割とみんな趣向がバラバラで、狩りの仕方とか食べ物の好みとか結構。だからまぁ、みんな好きなところで好きなようにやってるんじゃないかな。クロイツはお節……過保……面倒見がいいから、末っ子の僕にくっついてくれてるけど』


お節介、過保護と言おうとすると、途中で背後で度々がううぅと唸る声が聞こえたので、慌てて言い直す。

眠ったようにしてたのに、しっかり話を聞いていたらしい。


ジハイルが興味深げに「ほぉ」と声を出す。


「マンティコアとは皆、そういうものなのかね」


言われたエルメルは、目を瞬く。

そういうものだと思っていたので、あまり考えたことがなかったのだ。


『うーん、わからない。僕もクロイツも家族以外のマンティには会ったことがないし……むしろ……じぃじは知らないの? じぃじのとこだと、僕たちのことマンティコアって呼ぶんでしょ?』

「何しろ数えるほどにしか遭遇例のない稀有な魔獣なのでな。生体も生息地もよくわかっていないのだよ。……尾に毒を持つ有翼の人面獅子。文献で読んだマンティコアに当てはまるという気はしているが」


ジハイルは肩をすくめる。


「少なくとも、彼ーークロイツ殿は我々がマンティコアと呼ぶ魔獣に相応しいであろうな。君はともかくとして」


末尾に聞き捨てならない言葉がくっついたので、むむとエルメルは引き結んだ唇を歪める。


『なんだそんなの、僕にだって当てはまるじゃないか。毒の尻尾に、羽のある人面獅子なんでしょ?』


拗ねたように言う少年を見て、やっとジハイルは白い髭の下で頰を緩めた。


「往々にして人とは、おおよそ人とは程遠い獣の形をしているものが、その実人によく似た顔をしていることを恐れて"人面"と形容するものよ」


ジハイルはジロジロとエルメルを眺め、ニヤリと笑った。


「私なら、"人面"ではなく"人型"と辞書に書こうぞ」


なるほど確かに。

エルメルは小柄で小さく、基本的に二本足で歩くーー言われてみれば、獣より人に近いのかもしれない。

ぽんと、思わず手を叩いて納得してしまうエルメルだ。


「エルメルの親や兄弟に、自分と同じ格好の者はおらなんだのかね?」

『うーん、いなかったかなぁ。みんな大きくて四つ足だったと思うけど』

「そうか……」


そう言って、ちょっと黙り込むジハイル。

「何か得体の知れない生き物を、故郷に向けて連れて行こうとしているのかもしれない」と、ジハイルが不安を感じているような気がした。

年齢を刻んだジハイルの顔の皺が、さらに深くなるようだった。


「……ちなみに……この毛皮の事を聞いても良いのかな……?」


ややあって思い出したように、ジハイルが問うた。

ジハイルは防寒具として、巣にあった例の皮毛布を自らの身体に巻きつけていたのだ。

巣を出立する前に、エルメルから借り受けたものだった。


『ああ、それは兄ちゃんの。あ、一番目の方のね』


なんだか眠くなってきた。

うとうとしながらエルメルが答えると、ジハイルが僅かに驚いて少し目を見開く。


『本当は父ちゃんのもあったから2枚作ろうと思ったんだけど、兄ちゃんのをやってる間に腐っちゃったんだよね』

「そうか……それは……なるほど。大切に使わせてもらおう」

『雑でいいよ』


なんでもないようにエルメルが言う。

皮毛布と言っていたが、実は仕上がりはゴワゴワのチクチクの失敗作だ。

本当はもっと柔らかくなめしたかったのだが、自らの唾液でなめすという前世の聞き齧りでやった方法ではこれが限度だった。

顎が痛くなる程、ずーっと喰んでいたのにあんまりな仕上がりでガッカリしたのをよく覚えている。


「さあ、そろそろ寝よう。明日も早い」


大きな欠伸をしたエルメルに、ジハイルが優しく言う。

焚き火に薪を何本か新たに焚べると、ジハイルは左手を差し向ける。

すると炎の中に渦を巻くように魔法陣が展開され、一瞬黄色く光って掻き消えた。


ジハイルは昨日も寝る時にはこれをやっていた。

聞いたら「火が長持ちするおまじないじゃ。他にもちょいと細工はしてあるがね」 とかなんとか言っていた。

結局なんなのだろう。


エルメルはさらに欠伸をして眠気に耐えきれなくなり、クロイツ同様に居心地の良さそうな場所を探した。

地面が見えないほどびっしりと折り重なった巨木の根と根の間に心地良さそうな凹みを見つけて、横になる。

と、すぐそばにジハイルがやってきてエルメルに先ほどの皮毛布を被せた。

慌ててエルメルはそれをジハイルに押し返す。


『いらない。じぃじが使っていい』

「昨日借りたからの、今日は不要じゃ」

『だめ! じぃじが使え。毛がないし、お年寄りでしょう?』

「お年寄りにしては毛があるほうだと思うがのぅ」

『体に毛がないでしょ』

「私は、君と違って服は着て寝る主義ゆえ」


頑固かよ!

眠たいのに、この言い合い必要かな。

昨日同じように寝たときは、別に何も言わなかったじゃないか。


何やら気を回してくれているとは感じたが、エルメルの方は眠気でちょっとイライラしてしまった。


『じゃあ一緒』

「あいたっ。これこれ……」


ジハイルの白くて長いヒゲをぐいと引っ張り、毛布の中に巻き込みながらジハイルに背中を向ける。

何か抗議する声が聞こえた気がしたが、エルメルは目を閉じたまま知らん顔。

やがて諦めたように、エルメルが握りしめたヒゲのつっぱりが緩む。

背中に人肌の温もりを感じた途端、エルメルはストンと意識が遠のくのを感じたのだった。

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