第15話 マンティの巣
ドドドドという地鳴りのような音とともに、老人は目を薄く開いて、ゴツゴツとした岩の天井を見る。
見慣れない天井だったが、寝ぼけて頭が働いていないのと、妙に寝心地のよいベッドに寝かされていたために、あまり起きようという気概が湧いてこない。
考えてみれば、こうしてゆっくり眠るのも久しぶり……。
そこまで考えたところで寝返りを打ったジハイルだったが、突如足に走った激痛でくぐもったうめき声を発し、今度こそ覚醒した。
そうだ、私は空飛ぶ不思議な少年に助けられ、その後あの恐ろしい魔獣ーーマンティコアに遭遇したのだ。
意識を失う前の出来事が次々思い出され、ジハイルは痛みに堪えて上半身を起こす。
パサ、と音を立てて、 胸元までかけられていた布が落ちた。
布?
不審に思って目を落とし、ジハイルは目を剥いた。
気を失う前に見た黒い鬣の獅子の頭が一つ、膝に乗っているーーように見えた。
一瞬にして全身の毛が総毛立った老人だったが、次の瞬間にはそれが生きている獅子でなく、死んで革だけになった存在であることがわかった。
「……毛皮か」
おっかなびっくりその革をいじってみれば、何のことはない。
鬣の下から覗く布が顔っぽく丸まっているだけで、別に毛皮に獅子の頭がついているわけでもなかった。
ただ毛皮の質感や真っ黒な鬣は、気を失う前に見た獅子の化け物ーー彼の国ではマンティコアと呼ばれる魔物のそれに酷似している。
マンティコアの毛皮。
老人の脳裏にそのような安易な単語が過ったが、それだけで目眩を起こしそうな気分になる。
魔物の毛皮というだけでも信じがたいのに、それがマンティコアとなると、これはもうわけがわからない。
老人の常識では、そもそも硬く強靭な魔物の毛皮は希少でかなり市場価値が高く、物によっては手の平ほどの大きさで、一般市民級の成人男性の一年分の生活費を賄える価値がある。
であれば、この老人とは言え比較的がっしりとした男の体をすっぽりと覆うほどに大きい革ーー仮にマンティコアのものだとしてーーその価値たるや。
答えがないので思考が前に進まない。
彼は大きくかぶりを振って、その考えを頭から追い出し、ジハイルはようやく顔を上げて周囲を見回した。
寝かされていた寝床は、どうやら滝の裏にできた洞を利用しているようで、少し離れた場所にある入口からはほのかな陽光が差し込み、しぶきを上げながら大量の水が流れ落ちる様が見える。
随分高い場所にあるらしく、わずかに空も見える。白んでいるところを見ると早朝だろうか。
なんにせよ外光のおかげで多少薄暗さはあるものの、自分の寝かされた場所の全容を見ることができた。
ただ、洞窟の中とはとても信じがたい風景だった。
ゴツゴツとした地面には荒削りだが木の板が平らに敷かれ、その上に何かしらの動物ーーおそらく別の魔獣のものらしい毛皮が絨毯のように何枚も敷き詰められていた。
側には保存食を作っているらしく、植物のツタを使って編まれたらしい大きなザルのようなものの上に、魚と肉と他にもなんだかよくわからないものが干されている。
多少歪んで不恰好ではあるが棚のような家具さえもいくつか置いてあり、そこには植物が干されていたり、木を削って作られたであろう食器がおかれていたり。
木の枝で作ったらしい簡易の物干しには、ジハイルの藍色のローブと上着が干してあり、木っ端の寄せ集めのような出来損ないの机の上には、ジハイルの鉄甲冑が血を拭った綺麗な状態で置いてある。
どれも手作り感溢れる無骨で歪な形をしているものの、ともすれば洞穴の中にいることを忘れてしまいそうになる人間的な基地がそこに形成されていたのだった。
異様な状況にジハイルは、唖然としてしまう。
そして「もっとよく見てみたい」と、骨の痛みに注意しながら立ち上がろうとして気がつく。
もともと完全に折れてしまっていた左足以外の体の痛みがほとんどない。
肌着をめくって見ると、傷跡に何か薬草を潰した軟膏のようなものが張り付いている。
どうやら手当てまでしてもらっていたらしい。
しかもーージハイルは自分の両手に目を落として、軽くそこへ集中を集めて見る。
開いた手の平が、ぼんやりとした青い光を帯びた。
まさか、魔力が回復している……?
ワイバーン戦闘時とマンティコア遭遇時に枯渇してしまったはずの魔力が、満ち満ちているのを感じる。
一度枯渇してしまった魔力は、経験上あまり早くは元に戻らない。
確か三日寝込んでようやく半分回復するような感覚だったはずだがーーそんなにもここで眠りこけてしまっていたということだろうか。
ジハイルは今度は手を白く発光させ、心で念じてその光を糸のように操り、手の平の上で魔法陣を描く。
履き古したズボンの裾をめくり上げると、出来上がった白い魔法陣を折れた左足の患部にあてがった。
最初にピリピリとした痛みを伴ったが、折れて紫色になっていた足から、スーッと痛みと熱が引いていくのがわかった。
肌の色もやがて元に戻る。
老人はよっこらせと立ち上がると、ぐっぐっと屈伸をしてみる。
曲げ伸ばしをしても足の痛みはない。
やはり不得意な回復魔法を使えるくらいに、魔力は十分回復しているらしい。
だがどうも妙だ。
そのまま柔軟して体を軽くほぐしてみるが、やはり六日も七日も眠っていたような感覚ではない。
不思議に思って寝床に戻って、その周りを観察してようやく気がつく。
よく見ると洞穴の壁に、いくつもの小さな青い鉱石が顔を出している。
これはと思って、その中の一つを指で弾くと、キンという甲高い音と共に内側から青く発光した。
「やはりか」
老人は驚きでつい独り言を呟く、エーテルの原料ともなる魔素の結晶体。
それが洞窟内の壁という壁に埋まっており、入口からの外光でそこかしこキラキラと輝いていた。
ここには魔法の源となる魔素が満ちている。
通りで魔力が回復するわけだ。




