第13話 名無しの野生児と魔法陣
「ところで……お前さんは誰じゃ。名前を聞いてもよいかな?」
名前……名前かぁ……。
困ったな、そんなものない。
少年は腕を組んで首を傾げる。
それにしてもこのジハイルという老父、さっきから変なことをいう。
冷静に考えてみれば多少人型に近いとはいっても、曲がりなりにも少年は獅子の子だ。
鬣もあれば翼も牙も尻尾もある。
そんな相手に自分の名前を名乗り、笑い、名前を求めるとは、贔屓目に見ても随分変わった御仁ではあるまいか。
それとも、実は少年のような生き物がスタンダードに生活を営んでいる世界なのか。
変わっているのでは、ジハイルか世界か。
少なくともミドリのいた日本の森で自分のような存在と出くわした場合、控えめに言っても怯えて動けなくなるとか脱兎の如く逃げるとか、他にもいろいろとやることがありそうなものなのに。
「どうした、名前はないか?」
再び問われて、少年は頷く。
動物なのだから当たり前だが、そもそもマンティに名前を付ける習慣はない。
クロイツに名前がついているのは、あくまでも少年がクロイツを他の兄弟たちと識別するためであり、親から貰う名というものはない。
クロイツも例外ではなく、自分につけられた名前自体は気に入っているようだが、少年に名前をつけて呼ぼうという発想はない。
ミドリと名乗ってもよかったのだがうまく発音できない気がするし、あんまり自分の名前という気もしない。
「名がない……? では、お前さんどこから……」
言いかけた老父の言葉は、突如吹き降りてきた強い風に遮られる。
見上げるとクロイツが羽ばたきながら降りてくるところだった。
警戒心むき出しで唸り声を上げながら。
ジハイルがサッと顔を青ざめさせる。
「こやつ、さっきの……」
ドスと音を立てて、地面へ降り立つクロイツ。
『おい、この状況はなんだ』
『クロ、見て、人間!』
ジハイルを指差してニッと笑う少年。
しかし、クロイツはジハイルには目もくれず、少年の方へ歩み寄る。
『お前、羽と尻尾どこにやった?』
くんくんと少年の匂いを嗅ぎながら、クロイツは怪訝そうに眉根を寄せた。
言われた少年はキョトンとして、自分の背中と尻に手をやる。
あるべきものがある場所へ手を伸ばしたつもりが、少年の手はどちらにおいても空をきる。
『……あれ? あるぇ!?』
あまりの混乱に、くるくると回ってしまう。
回ったところで、自分の背も尻も見えなかった。
『ない!』
よく見たら爪も鬣も、体毛もない。
余談だが、本来体毛で隠れていたあそこも丸出しになっていた。
裸だと思うと急に気恥ずかしくなって、さっとしゃがみこむ。
鏡がないのでわからないが、これはもう……人間体に近いんじゃ……。
ていうか、さっき降下中に落ちたのはこれが原因!?
『無防備が過ぎる。羽と尻尾は最低限出しておくべきだ』
『いやいやいや! 好きでこんなことになってるわけないだろ!?』
『……だったら、こいつに何かされたか?』
クロイツがこの場の異分子ーージハイルに敵意を向ける。
瞬間、待ち構えたようにジハイルが右手をかざす。
すると、かざした手の平の少し先に、白く輝く魔法陣が出現。
バチッと宙で音がしたかと思うと、魔法陣からカッと光が迸る。
空気を切り裂くようなバリバリという音とともに、クロイツが大きな電流の渦にのまれた。
目の前で突如起こった出来事に驚いて、少年はその場に尻餅をつく。
これは……魔法!?
何このファンタジーな状況!
「少年!」
鋭いジハイルの声が、轟音の中に響く。
「少年、大丈夫か! 今のうちに逃げなさい!」
ジハイルの言葉に、少年はようやく事態を察する。
突然ジハイルがクロイツを攻撃したのは、どうやら自分の命をかけて少年を逃すため。
それは即ち、ジハイルが少年をクロイツの同類としてみなしていないことを表していた。
羽も尻尾もない少年を、人間の子供だと思っているのだろう。
「こやつはおそらくマンティコアという、尾に猛毒を持つ危険な魔獣じゃ。私が押さえているうちにはよぅ……」
言っているそばから息が上がっているジハイル。
マンティコア?
なんだか前世で聞き馴染みがあるような……。
人間はマンティをそう呼ぶのだろうか。
それはともかく。
「誤解だ!このマンティコアは敵じゃない」と言えたらいいのに。
少年の中にはその語彙はない。
骨折と怪我でほとんど動けない満身創痍の状況で、勘違いとはいえ命を賭している老父。少年は徐々に申し訳ない気持ちになってくる。
どう説明をしたものか。
『小賢しい』
少年が考えをまとめるより先に、クロイツが咆哮と共に勢いよく雷の渦を破る。
直後、強い衝撃波がジハイルを襲い、体が吹き飛ばされる。
ぐはっという悲痛なうめき声が聞こえた。
『クロイツ、やめろよ』
少年は慌ててクロイツの前に立ちはだかり、追撃を阻止する。
それでも肩を怒らせているクロイツは、今にもジハイルに飛びかからんばかりだ。
『この人怪我してるんだ。死んじゃったらどうするの』
電撃を受けても焦げ目ひとつなく、ケロッとしているクロイツを少年が非難する。
『何ぃ? あいつが先にしかけたのではないか』
『クロの顔が怖いせいだろ』
『……』
クロイツは自覚があるのか、ぐぬぬと顔を歪めて、ようやく臨戦態勢を解いた。
剥き出しになっていた牙と爪をしまって、怒らせていた肩の力を抜く。
『まったく物好きな……』
文句を言いながら、少し離れた場所に移動して、乱れた鬣を前足でてしてしと直し始めた。
獣のくせに、髪の毛のセットを気にする女々しい男子高校生のようである。
大方さっきの怒りようも、電撃で髪が乱された苛立ちが大半で、魔法によって害されたことへの怒りはほとんどないだろう。
可愛い奴め。
あとで、ブラッシングしてあげよう。




