第12話 初めての人間語
少年の体重だけなら本来なんということもないだろう。
だが、相手は今まで飛びトカゲの足に思い切り握られて、満身創痍に足もポッキリいってしまっている老人だ。
そこに長々と座られていたら、子供体型の体重とは言え、それはもはや止めを刺すに近しい。
冷静に思い返し、少年は今更ながらダラダラと変な汗をかく。
『爺ちゃん、ごめんよぅ』
言ってみたが、聞こえはしないだろう。
せめてものお詫びにと背中を摩ったが、それすら老人の悲鳴に変わる。
「触るでないわ!」と、強く叱られてしまった。
少年はもうどうしていいかわからず、少し離れて正座待機することにする。
見ていると老人は腰につけているポーチを開けて、中から青い液体の入ったガラス瓶を取り出す。
手慣れた様子で瓶の栓を片手で開けると、中身の液体をぐいっと勢いよく飲み干した。
老人が不味そうに顔をしかめてしばらく。
血の気の引いていた老人の顔に少し赤みが戻ったかと思うと、顔や手足のあらゆる傷口が青白く光り出した。しばらく見ていると、傷口がだんだんと小さくなってゆき、流れていた血もピタリと止まった。
おお。
これはもしや、「ぽーしょん」という類のものではあるまいか。
前世ミドリが読んでいたゲームや漫画の知識を総動員させて、少年はその単語を思い出す。
確かファンタジーやRPGゲームで傷を直してくれる魔法のアイテム。
少年は正座しながらも前のめりになってその様子をマジマジと見守る。
傷が光っている間ーー修復中の老人は辛そうに息を詰めていたが、その光が弱まったころに、ようやく長い溜息をついた。
全身の傷が見える訳ではないのでどの程度かはわからないが、死に直結しない程度に回復したことは少年にもわかる。
目に見えて、老人の顔色が良くなっていた。
「さて困ったのう」
老人がようやく声を発した。
折れている足までは治りきらないのか、老人は左足をかばいながらやっとのことで身を起こす。
そしてしかめ面で、少年へ顔を向けた。
「……小僧っ子。お前は、なんじゃ」
老人が目を鋭利に細めて、少年に語りかけてきた。
警戒しているような、怪しんでいるような、そんな顔。
ただ、聞かれてもこっちの言葉が伝わらないので、答えようがないのだけれど。
そういえば言葉が通じないのに、こっちは何故か普通に言葉がわかる。
少年が転生後初めて聞く人間の言葉は、音にするとあきらかに前世などで聞き馴染んだことのない妙な異国の言葉だったが、ずっと昔から知っている言葉のように違和感なく聞き取れる。
あまりに普通に聞き取れていたので、今までそれが妙だとは思わなかったほどだ。
老人はしばらく顎に手を置いて、何事かを考え込む。
どうやら混乱しているのはお互い様のようだが、必死に頭を回転させているらしい。
ややあって顔をあげ、また少年を見る。
「私が言っている言葉、わかるかな? わかるなら、右手をあげてごらん」
ゆっくりとした口調に変わる老人。
実はそんなにゆっくりと喋らなくても通じるのだが、それを伝えるすべがない。
少年はとりあえず老人に指示された通り、ビシッと右手を上げた。
あまりに勢いよく上げすぎただろうか。
老人の体がビクッとなってしまった。
「……う、うむ。なるほど。言葉はわかると」
うんうんと頷いて肯定すると、老人は少しだけホッとしたような顔になる。
「こぉば、わかぅ」
ついでに、老人の使った単語を真似してちょっとだけ声に出してみる。
だが喉で発したその言葉は、自分の耳で聞くとやはり相当稚拙だ。
森生まれで獣生まれの少年の初発声にしては、上出来なのかもしれないが。
さすがに聞けるのと喋れるのは違う。
口や唇も、前世ほど細やかに動く感じしないしな。
口をあぐあぐと動かし、「ぁかぅ」「わかぁぅ」と何度か練習する。
この世界の人間語、発音が複雑で難しい。
なんどやってもうまく発音できず、少年は眉根を寄せて呻いた。
少年が老人に目を戻すと、彼は驚いたように目を見張っていた。
一瞬何か言いたげに口を開いたが、思い直すように一度口を閉じる。
そして、十分に間を置いてから、すっと背筋を伸ばして少年を見た。
「聞きたいことはいろいろとあるが、まずは助けて貰った礼を言わねばな。私はジハイルという名の爺じゃ」
おそらくわけのわからないことが一度に起きて混乱しているだろうに、老人ーージハイルはそう律儀に名乗って「感謝を」と言って頭を少し下げてみせた。
年の功だろうか。
きっと相手が若者だったら、こんな状況で落ち着いて名乗ったり、頭を下げたりはできないだろう。
ファーストコンタクトの相手としては、とても優秀だ。
「じはーぅ」
うーん、ダメか。
ジハイルの名をやはり上手く発音できない。
「じはーいう……じあいぅ?……じあーぅ……」
また練習モードに入った少年。
ぶふっと吐き出す音が聞こえて、少年は顔を上げる。
見るとジハイルが口元を手で隠し、さっとそっぽを向くところだった。
しかしこみ上げてくる笑いが抑えられてはおらず、肩が小刻みに震えている。
ややあって、こほんとジハイル爺が咳払いを一つ。
「いや、失礼。私の名は、お前さんには少し難しかったようじゃな」
さすがに名前を正しく発声できないのは失礼かと、気を使って努力をしていたというのに、笑ってくれるとはいい度胸だ。
まあ、ポーションのおかげで笑うくらい余裕ができたのはいいことだが、あまり釈然としない。
怒っていることを示すため、ちょっと大げさに唇をとがらせて膨れっ面になる少年。
老人にとってはそれさえ微笑ましく見えているようだ。
白いあご髭の奥で、口元が優しげに緩んでいる。




