第11話 トカゲ落とし
『やはりトカゲだな。やけに小さいし別の森の匂いがする。迷い込んだか』
少年と獅子の頭上を悠々と飛んでいる羽のあるトカゲ。
逆光に目を細めながら、少年は良く観察する。
なるほど、クロイツの言う通り、大きいのは翼だけであまり本体は大きくないようにも見える。
『羽のあるトカゲは見るの初めてだな。……ねぇ、あれもしかしてドラゴンとか言わない?』
『ドラン?』
クロイツには聞き覚えのない言葉だったらしい。
まあ、そうでしょうとも。
少年は苦笑して「なんでもないです」と答える。
太い木の枝上にいる二人は、しばらくじっと飛んでいるトカゲを見守っていたが、やがてクロイツの羽がゆっくりと開かれる。
『行く?』
『このままだと縄張りに入られるからな……。少し脅かしてみる』
『了解』
少年を背に乗せたまま、クロイツが枝を蹴って離陸する。
トカゲまでは距離がある。
低空で少し飛び慣らし、羽で十分に風を掴むと一気にクロイツは上昇した。
急上昇しながら、飛びトカゲの尻尾めがけて突っ込んで行く。
クロイツは相手の尻尾すれすれに体をかすめながら、トカゲの上空に飛び抜ける。
すれ違いざま、刃のついたよくしなる尾っぽでトカゲの背中に一撃。
飛びトカゲが甲高い悲鳴をあげる。
吹っ飛ばされてクルクルと宙を飛び、あわや墜落というところで体制を立て直した。
クロイツがトカゲの背後から爆音で咆哮する中で、少年は目をぱちくりと瞬く。
トカゲが盛大に吹っ飛ばされたとき、何かちらと見えた。
足に何か。
思うが早く、少年は乗っていた獅子の鬣を手放し、ポンと身を投げる。
羽を広げて急降下。
クロイツから逃げようと必死な飛びトカゲの腹下に回り込んだ。
強い風圧の中目を凝らして、ようやくそれが何かわかる。
少年は思わず「あっ」と声に出した。
最初はトカゲの足に引っかかっただけのボロ布に見えたそれは、よくよく見ると人の形をしていたのだ。
トカゲの足に掴まれてぐったりとしているが、身につけた甲冑が動くたびにチカチカと輝き、まだ生きているのか手足が動いているのが見える。
「人だ!」と思ったのはつかの間。
再びクロイツの尾がしなり、先端の刃がトカゲの片翼をスッパリと切り取ってしまった。
『あ』
クロイツの間抜けな声が上空から聞こえたが、時すでに遅し。
飛ぶ力を失ったトカゲのその下で、足に掴まれていた人間が放り出されて落ちて行く。
このままでは落下死するだけでなく、墜落するトカゲの下敷きになる。
『バカクロ!』
威嚇で相手の羽を切り落とすとはどういうことだ。
少年は悪態をつきながら急降下し、落ちて行く人間を捕まえる。
慌てたために顔面を胸の甲冑に押し付けることになってしまい、前が見えなくなる。
それでも間一髪のところで、トカゲの落下に巻き込まれずにすんだらしい。
ずっと下の方から墜落音が聞こえた。
「危なかった」と思いながら、もぞもぞと頭を動かしてどうにか顔をあげる。
と、白髪白髭の老人と目があった。
老人は明らかに驚いたようすでこちらを見ている。
「き……君は……」
すごい、しゃべった。
本当に人間だ。
驚いたが、思わず顔がほころぶ。
何せ少年がこの世界に転生して十年あまり、記憶の中にあった人間と言う存在を一度も確認したことがなかったのだ。
幼い頃からこっそりと縄張りを出て、いろんなところに足を伸ばした少年だが、人や人家を見つけることはおろか、切り株や焚き火の跡といった存在を感じる場面にすら出会ったことがない。
いっそ、この世界は人間のいない世界なのだろう思っていたところに、なんという奇跡。
空からお爺ちゃんが降ってくるとは。
「君は……なん……」
老人の言葉は最後まで発せられずに咳に変わる。
どうやら、喉をやられているらしい。
『大丈夫? 今下ろすからね』
クロイツと話すように、耳の奥で話しかけてみたが反応がない。
おかしいなと思いながら、暴れる様子もないのでゆっくり降下する。
『爺ちゃん、大丈夫?』
老人の咳が落ち着いてから再度話しかけたが、やはり反応がない。
ただ、お互いの目を見つめ合うだけになってしまう。
これはもうあれだ。全然聞こえてないやつだ。
さっき唇を動かして喋ったみたいだったし、たぶんマンティとはそもそも発声方法が違うのだろう。
転生前の世界と同様、人間は思考で会話できないのかもしれない。
羽を器用に羽ばたかせ、少年はほとんど垂直降下で老人をゆっくりと地面まで連れて行く。
ぐったりとした老人の体を慎重に下ろさないといけない。
落っことしたらそれだけで死んでしまいそうだ。
そう、思っていたはずなのに。
地面まであとちょっとというところにきて、少年は急に体の力が抜けるような感覚に見舞われた。
羽ばたいていた羽の感覚までも消え、途端に少年の体は老人ごと落下する。
地面まであとほんのちょっとというところだったので、高さはなんということはない。
ただ自身の三倍はあろうかという老人を抱えたままの少年が、受け身をとれるような距離でもなかった。
これは思い切り落ちる。
身構えて体を強張らせた瞬間、老人がその少年の体をガシッと掴んで体勢を変えた。
ドシン、という痛い音と衝撃。
次いで、勢いの余剰分ごろごろとその場で転がった。
だが、少年に覚悟したほどの痛みはない。
落ちる直前、老人が少年をかばうように自ら体勢を変えて落ちたからだ。
少年の方は、転がったとき少し背中を擦りむいたくらい。
『……くっ……爺ちゃん!?』
少年はすぐに起き上がり、老人の様子を確認する。
今ので死んだんじゃと慌てたが、老人は痛みでうんうんと唸ってはいるものの、どうやらちゃんと生きている。
結構頑丈なんだな、人間。
顔が真っ青で、今にも死んじゃいそうだけど。
『爺ちゃん、大丈夫か! 気をしっかり持て!』
ペチペチと老人の頰を手で叩く少年。
ぜえぜえと苦しそうに息を吐きながら、老人が何かうわごとのようなことを言っている。
今際の言葉かと思い、少年が耳を近づけると、
「はよぅ……そこを、どかんか……小僧……」
歯を食いしばったまま、鬼気迫る表情で老人がそう呻く。
死にそうだったのは、少年が未だ老人の腹の上に乗っかっていたせいらしい。
慌てて少年が老人の上からどくと、ようやく老人は思い切り息を吸い込み、反動で盛大に咳き込んだ。
危ない。
せっかく助けたのに、もうちょっとで圧殺してしまうところだった。




