第1話 うっかり寝落ちたら、魂も落としました
「……モトさーん。根元緑さぁーん。起きてくださぁーい」
嫌に間延びする男性の声が、私、根元 緑に覚醒を促した。
あまり起こす気は感じられない、知らない人の声だ。
病院で名前呼ばれるときみたいだなと思いながら、私は目をうっすらと開ける。
ぼんやりとした視界の中で、至近距離で白い手が左右に振られていることがわかった。
なんだか随分寝てしまった感覚がある。
目をこすりながら、目の前で振られる手の主を見る。
ベンチに座ったまま寝ていたらしい私の目の前で、こちらに手の平を向けていたのは、黒ローブを来て小さくしゃがみこんだ骸骨だった。
「あ、どもども。おはようございまぁーす」
私が完全に覚醒したことを認識したからか、骸骨は至近距離で振っていた白い手を引っ込める。
そして今度は挨拶のためか、顔の横で小さく手をひらひらと振って見せた。
よく見ると、単に白いと思っていた手は、肌が白いという以前に肉のない白骨のそれである。
「おはようござ……はい?」
起きたら目の前に白骨死体がいた。
なんだろうこの状況。
どういう状況なの。
ていうかこの人誰。
そもそも人なの。
変質者? 変質者なの?
お巡りさーん!
頭の整理が追いつかない。それでもぐるぐるぐるぐる考えに考えて、私はようやく声を出す。
「ハッピーハロウィン!」
「あ、違いまぁす」
即答で答える骸骨。何この骸骨、超生意気。
それにしてもこの骸骨、頭蓋骨が喋るたびに歯をカタカタ鳴らす。
しかもなんだか妙に質感が本物っぽいというか、仮装にしても随分クオリティが……。
「ええまぁ、本物の髑髏なんで」
「え、本も……ふぁあっしょい!?」
変な声出た。
しかし目の前で骸骨が頭をポキッと外して、こちらに放ってきたのだから、変な声も出て然るべきだ。
まあ女子的には黄色い声の一つでも出した方がよかった場面なのかもしれないが。
とにかく私は座っていたベンチから転がり落ちるように、骨の頭を避けた。
「急に何するんですか!」
体を起こして、すぐさま抗議する。だがそこには頭のない体があるだけだ。
頭のない黒い体がカチャカチャと軽快な音を立てて動き、肉のない手で転がった頭を拾う。
「あっはっはー、これアタシの鉄板ネタでして。驚きました?」
ケタケタカタカタと、首なしの体に拾われながら髑髏が笑う。
その様を見て、私はようやく相手が人間などではなく、自分が異常事態に見舞われているということを悟る。
「というわけで、どうも初めまして。死神と申しまぁーす」
気の抜けたやる気の感じられない挨拶。
私はただポカンと口を開けて地面にへたり込んだまま、死神と名乗ったその骸骨を見上げていた。
そして同時に、私の視界に飛び込んで来たものがある。
死神の隣に見える、さっきまで私が座っていたベンチの上。
そこに25年間見慣れた顔の女が、横になって寝ているのが見えてしまったのだ。
首からゴツい双眼鏡を下げた、黒縁メガネの女の体はぴくりとも動かない。
何時間そのままだったのか、白い粉雪が全身に満遍なく積もっていた。
「あれ? 私、死んでる!?」
「おお。理解早いっすね」
言いながら、死神は合掌する。
「ご臨終様でぇーす」
「臨死体験とかでは……」
「残念ながら」
「ですよね」
やばい。なんか私、骸骨と普通に喋ってる。
わけわかんなくなりすぎると、人間って逆に落ち着くのね。知らなかった。
「そっか、私、死んじゃったんだ……」
自分の死体を見つめてポツリと独り言を言う。
これまで生きてきた25年間の思い出が一気に押し寄せて……
「はぁーい、ということでですねぇ。さっそく黄泉の国に向かって、出っぱぁつ進こぉーう」
「ごめん、10秒でいいから黙っててくれないかな?」
自分の死を噛みしめる暇もないのかな?
鉄道の車掌アナウンスよろしく、ちょっと鼻声っぽくなっているあたり、強烈に虫酸が走る。
ちょっとこの髑髏殴りたくなってきた。
「いやいや、実際しんみりする必要は無いと思いますよ。だぁって、風邪を引いて朝から熱あったのにマフラーも巻かずに2月の人気のない動物園に早朝からのこのこやってきて、体を温めるためと称してお酒を飲みながら、一日中双眼鏡で動物を見て歩いた挙句、具合が悪くなってベンチで横になったら、寝てる間に雪が降ってきて凍死したんでしょ? 完全に自業自得……」
「第三者視点からの冷静な分析やめてぇ! 聞きたくないからぁ!!」
殴りたいのに、正論すぎてその場で耳を塞いで喚くことしかできない私。
「まあまあ、そんなに悲観するほどレアな死に方ではないですよぉきっと。まあ少なくともアタシが歴代担当した死者さんの中では初なので、まあ今んとこ八千人に一人くらいのもんでしょうよ」
「リアルな数字もやめてぇ! それ下手したらダーウィン賞モノだから!!」
「いやいや、アタシはこう見えても死神でも若手の部類なんで、推定の話ですよ?」
そういう問題じゃないし、カケラも慰めになってない。
ていうか、耳を塞いでるのに聞こえてくるのなんでだ!
もう嫌だ、この骸骨嫌いだ。
「まあまあ。ともかく状況が整理できたところで、黄泉の国にごあんなぁーい」
言い終わりに死神がパチンと指を鳴らす。
ふわりと浮遊感を感じたかと思うと、唐突に周りが真っ暗になる。
「何っ!? ここ、どこ?」
「こちらは黄泉の国への道でございまぁーす」
気の抜ける死神の声が上から降って聞こえてきた。
あ、しゃくだけどなんか安心する。
骸骨だけど。
しかし闇の中、僅かに発光しながらゆっくりと黒衣をはためかせて降りてくる死神を見て、はたと目を丸くする。
「誰!?」
黒衣に包まれているのは、よくよく見れば髑髏ではない。
色白には違いないが、目鼻があれば耳もある。
細身で頭は坊主、40代くらいの男性……だろうか。中性的な容姿だ。
黒衣を纏った姿は、死神というよりは寺のお坊さんに近いような。
ニコニコしながらふわりふわりと降りてくる。
「いやぁ、いちいち驚いていただけて嬉しいでぇーす。ナぁーイスリアクショぉン」
口調はこれだが。
「改めまして、アタシは根本緑さん担当死神のムクロと申しまぁす。どぉぞよろしく。現世の姿は担当死者様のイメージしやすい姿に変えたものなのでぇす」
私のイメージする死神に合わせて化けたってことかな。
確かに、白骨に黒衣ってわかりやすい死神像だよね。
「まあ、そんな感じでぇーす」
化けるし、なんか今もさっきもしれっと心を読まれた気がするし、本当に人外なのね。
人に見えるけど。
「それでここが、黄泉の国? 何にもないですけど」
「こちらは黄泉の国への道でぇす。黄泉の国はこの先でぇーす」
「この先って……そう言えば、さっきからゆっくり下に降りて行っているような感覚が……」
なんか、不思議の国のアリスにそんな場面あったな。
「まあ所謂ひとつの黄泉比良坂というやつでして」
坂というよりは、なんだか冷たくない水の中を沈んでいくような感覚だが。
ちょっと怖い。
「まあまあ、ゆっくり降りていくだけなので」
死神がさっきから、ちょいちょい人の心を読んで話かけてきているような気がする。
声に出して言っていないのに、回答を返されているような。
びっくりするのでやめてもらいたい。
「よく勘違いされる方がいらっしゃいますけど、黄泉の国って別に地獄とかそういうんじゃないで、その点はご安心くださぁいですよ。寝てても着くので、良ければお休みくださぁい」
「そういうもの?」
そういえば周りが暗いせいか、落ちていく浮遊感のせいか、なんだかまぶたが重くなってきているのを感じる。
今すぐ何かが起きるというわけでないのなら、このまどろみに身を任せてしまってもいいのかもしれない。
「わかった。じゃあ、着いたら起こして」
「あら? 意外と順応早いっすね」
「順応というか、もう諦めました。いろいろと」
「なるほどぉー」
ムクロの苦笑を聞きながら、私は目をゆっくりと閉じる。
開けても閉じても暗いので、あまり大差はなかったが。
考えてみれば、最近ストレスのせいかあんまり寝てなかった。
直接の死因ではないが、体調不良もたぶんそれが原因だし。
短大卒業時から続けてきた事務仕事。
鈍臭い性分なりに一生懸命働いてきたつもりだったが、仕事ができない上にあまり人付き合いが得意ではなかった。
唯一の癒しは動物園にいるときだったが、まさかそれが原因で死ぬとは。
あんなに冷たいベンチの上で死ぬなんて。
魂だけなのにおかしな話だが、なんだか考えだすと疲れてしまった。
もういいや。今はただただゆっくりと眠りたい。
闇に溶けていくような感覚に身を委ね、私は意識を手放した。