6.なくしたものが存在する世界
「遥、おかえり」
玄関を開けて息を飲んだ。予想していたことだ。でも、――母がキッチンに立っている。
若い。15年前ということは、まだ35歳くらいではないだろうか。10代の終わりに私を産んだから、今の私より少し年上なだけで、参観日ではみんなに「かわいいママ」と言われて照れていたのを思い出す。
そしてその容貌は、髪の長さを除けば、鏡を見ているのかと思うくらい、今の私の素顔に似ていた。母はもともと天然パーマで、コテで巻いたようにふわっとしたカールがあった。それを後ろでゆるく1つに結わえて、自分で縫ったシュシュをつけている。花柄のエプロンも自作だ。
「おねえちゃんったら帰り遅すぎ。高校デビューして調子乗ってるんじゃないの?」
妹の絢が口を尖らせた。見慣れた派手な顔立ちではなく、化粧っ気がないことに驚く。まだあどけない顔立ちながら、薄く色がつくリップクリームを縫っていることや、校則で髪の結い方まで指定されている中でピンの留め方を変えていることなんかが彼女らしい。
ふと彼女が纏う中学のジャージに目がとまる。裾を広げたジャージを腰穿きにしていて、懐かしくなる。このマゼンタピンクの悪趣味なジャージは、地元でも一番評判が悪かった。着るのがいやでしかたなかったことも思い出して苦笑する。
小さな薔薇模様のミトンをつけた母が、グラタン皿を運んできた。湯気がふわっと立ち登る。
食卓にはうずらの卵やオリーブ、トマト、セロリ、レタスなど彩りよく作られたサラダがすでに並んでいた。グラタンはきっと、いつものあれだろう。マカロニと鶏肉、玉ねぎ、それから確かきのこが入っていたはず。
最後に食べたのはいったい何年前だろうか。
「今日は母さん特製のマカロニグラタンです。――変な顔してどうしたの。あんたのはこれから焼くからね。早く手を洗って、着替えな」
花の刺繍が入ったタオルで手を拭く。洗面所は、母の趣味で可愛らしく整えられていた。ピンクの小さな薔薇が好きで、母が集める雑貨は、たいていそういう柄をしていたのだ。鏡の中の私は、赤い目をしていた。目尻に浮かんだ涙の珠を、手の甲でぐっと拭った。
母は6年前に死んだ。まだ50歳にもなっていなかった。孫たちの顔を見せることも叶わず、ある日突然、事故に巻き込まれて死んだのだ。
この夢は辛い。なくしたものや、いなくなった人たちが存在する世界だ。着替えようと自室に戻った。