12.知りたくなかった現実
4話の「自転車屋に連れて行ってもらわなければ」から「父に」を削除しています。
目を覚ましたのは、空が少しずつ白んでくるころだった。身体が軽い。ここのところ下の子の夜泣きに悩まされていたので、まとまった睡眠を取ったのも久しぶりだ。
ふと寝返りを打って、――普通にごろりと転がれたことに落胆する。ひんやりと冷たいシーツに、広いベッド。昨夜と何も変わっていない。目尻から涙がほろりとこぼれた。胸に嫌なものがせり上がってくる。私は勢いをつけて、ベッドに起き上がった。
昨夜、ブラインドを開けたまま眠ってしまったので、窓の向こうには朝の静かな町並みが見えた。奥のほうにぼうっと浮かび上がるのは海だ。この風景をもう一度見ることになるとは思っても見なかった。家を出てから、私の部屋は物置になっていたからだ。
私は手の甲で涙を乱暴に拭うと、とりあえずベッドを下りた。片づいた床が、ひんやりと足を刺す。うーんと伸びをして、身体をほぐすように立ったままストレッチをする。
パジャマの上に、昨日発掘した子どものころ気に入っていたカーディガンを羽織って下に下りた。太めの毛糸で作られた白いカーディガンには、複雑な模様が編み込まれていて、飾りとしてさくらんぼやその葉が縫いつけられている。祖母の手製のものだ。
キッチンに降りると、すでに祖父母も母も起きていた。三人とも私の姿をみとめて目を見張る。
「遥、こんな朝早くにどうしたの?」
「――目が覚めちゃって」
私は苦笑する。このころの私が早起きするなんて、ありえないことだ。驚かれるのも無理はない。寝つくまでに時間がかかるのが嫌で、自然と夜型生活になっていたからだ。昼食前まで眠り込んでしまって、祖父がドアを蹴破りそうな勢いで怒鳴り込んできたことも何度もった。
身体は変わっても、長年の習慣は抜けなかったらしい。
「なにか飲む?」
母が訊くので、私は白湯をお願いした。彼女は怪訝な顔をしたが、それでもキッチンへ向かった。やかんに水を入れる音が聞こえてくる。
ふと視線に気がつくと、祖父がじとっと私を睨みつけていた。
「早く着替えなさい。昨日の格好もだらしなかったが、寝間着のまま人前に出るものではない」
祖父がぴしゃりと言う。祖母も眉根を寄せている。祖父母は古風で厳格な人だった。口ごたえすると長いので、私は「はい」と返事をして部屋に戻った。ところが、箪笥の中にめぼしいものはなく、クローゼットはまだ開ける勇気が出ない。
そういえば、と、母が干してくれていた洗濯ものの中から、すでに乾いていたワンピースを一枚選んで袖を通した。
ふたたび階下に降りると、ダイニングテーブルの私の席には、ほかほかと湯気を立てるマグカップが置かれていた。
「おかあさん」
口に出すとき、ぴりりと緊張が走った。こうして呼びかけるのは6年ぶりだった。
「レモンを入れたいの。自分で切るけど、ある?」
レモンの輪切りを浮かべたレモン白湯は、ほんのり酸味があって、頭が冴えてくる。あたたかい白湯が喉を潤していき、やがて、冷えた手足もぽかぽかしてくるのを感じた。
「今日は学校休みだけど、どうするの?」
母が訊く。私は自転車を買いに行きたいと告げた。進藤とこれ以上関わらないためだ。それに、偏食で、お菓子が大好きで、その上運動が苦手だったこの頃の私は、太っているわけではないが、少しぽっちゃりとしている。栄養バランスを考えながら食事をして、適度に運動していきたい。
祖父母は普段とは異なるだろう私の様子に目配せをしていたものの、午前中のうちに、無事に自転車を買いに行けたのだった。
レモン白湯は、昔教えてもらったもの。国産のレモンを洗って、輪切りにして入れています。毎回切るのが嫌いなので、輪切りにしたあとは冷凍にしています。