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帰りたかった未来  作者: 三條 凛花
序章
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ソーダ色の春空

 目を覚ますと春だった。


 この季節独特の空の色がある。強いて名前をつけるならソーダ色。しゅわしゅわと爽やかな炭酸水のような色をしているのだ。それから、光の感じも他の季節とは違う。春の午前中に差し込むのは、透明感のある、すっきりとした金色の光だ。今朝の気候はまさに、毎年「春だなあ」と実感するときのそれだった。


 春になるたびに、訳のわからない幸せな気持ちで満たされる。そして同時に、それを失う不安が胸を突き上げる。


 身体の両側に子どもたちがくっついていて、身動きが取れない。枕元の携帯電話をたぐり寄せると、すでに9時を過ぎていた。こんな遅い時間に目を覚ますのは久しぶりだ。

 子どもたちが起きるまで、携帯で小説を読むことにした。




 ピクニックへ行こうと言い出したのは5歳になる息子だった。

 朝食を終え、後片づけやかんたんな掃除を終えたあと、2人でお弁当を用意した。

 まずはスープを作る。野菜を小さく切って、ベーコンと一緒にバターで炒め、小麦粉をまぶす。水と牛乳を混ぜたスープにコンソメを加えて煮る。


 野菜がやわらかく煮えるまでしばらく時間がかかるので、その間にサンドイッチを用意。ダイニングテーブルに大きめのラップを敷いて作業場を作る。私が具材を作り、息子がそれを挟んでいく流れ作業だ。


 細かく刻んだハムを入れた厚焼き玉子とレタスを挟んだもの。飴色に炒めた玉ねぎとパン粉とツナとマヨネーズを混ぜたツナサンド。スライスしたトマトと、チーズとハムのサンドイッチは、トマトが苦手な夫には不評だ。それからコッペパンにフリルレタスと冷凍のエビカツを挟み、刻んだゆで卵とマヨネーズを混ぜたものをソースのように添えたエビカツサンド。


 おやつ代わりの甘いサンドイッチも2種類用意する。1つはマーガリンを塗って砂糖をまぶしただけのもの。もう1つはいちごジャム。甘いサンドイッチは、挟むのではなくて、1枚をくるくる巻いてロールサンドにする。



 夫がのそのそと階段を降りてきたのは、サンドイッチができあがる頃だった。髪の毛は寝癖で立ち上がって、アニメのキャラクターみたいだ。息子とふたりで笑う。


 夫が長い身じたくをしている間に、家じゅうの換気をして、子どもたちが出したおもちゃを拾い集めていく。魚にえさをやり、庭に水を撒く。真新しい白い壁を振り返る。――念願のマイホームが建ったのも、憧れの新車を買ったのも去年のこと。これからは財布の紐を締めて、より堅実にやっていかなければいけない。


 シンクをざっと掃除し、排水溝ネットに溜まったゴミをまとめる。受け皿をきれいにして、新しいネットに交換する。

 夫の身じたくが終わったようだ。手拭き用に2枚、子どもようと大人用で分けているタオルを外す。濡らして固く絞ったタオルでさっと磨く。除菌効果もあるスプレーを振り、それから乾いたタオルで水気を拭き取る。2枚のタオルはそのまま洗濯機へ。


 私は早めに朝食を終えて、すぐにメイクをし、髪の毛を巻いて、まとめておいたので、あとはお出かけ用のワンピースに着替えればすぐに出かけられる。娘の授乳を済ませたら、サンドイッチを詰めたピクニックバスケットや、去年買ってから一度もお目見えしていなかったポップアップテントなどを車に積み込み、子どもたちを乗せ、エンジンをかけて夫を待つ。




 高速道路に乗って、隣の県の、山間にある広大な公園までやってきた。みんな思い思いにテントを貼って、楽しんでいる。

 7ヵ月になったばかりの娘は、テントの中をはいはいで動き回っている。私は横にころがりながら、その様子を見ている。入口はメッシュ素材になっていて、向こうが透けて見えるのだけれど、そこでは5歳になった息子と夫がフリスビーを投げて遊んでいる。



 ――ああ、幸せだな。去年よりも、今の私のほうがずっと幸せ。今の私のほうがずっと好き。毎年そんなふうに思っている。


 昨夜、夫と観ていた映画は、別な誰かに成り代わるというものだった。


 私は違う誰かになりたいなんてちっとも思わない。人生のやり直しとかもしたくはない。もちろん、後悔していることもあるし、今の自分だったらもっとうまくやれると思う。いいことばかりの人生ではなかったけれど、そういうのも全部含めて今の私だし、この家族だ。なにか一つでもかけ違えていたら、今、この瞬間はないのだ。

 これからもそうやって、幸せを上書きしていきたい。


 テントの中でごろごろしながら、そう祈った。





 いつのまにかうたた寝をしていたらしい。いつの間にか夕方になっている。どうして起こしてくれなかったの、と夫に言おうとして違和感に気がついた。ここはテントじゃない。テーブルかなにかに突っ伏して寝ていたようなのだ。


「――かわいい」


 懐かしい声にはっと顔を上げる。

 日焼けした精悍な顔立ちの少年が、私の顔を覗き込んでいる。学生服の襟元を少しくつろげ、髪の毛をワックスでしっかりと固めたその人は、妖艶なほほ笑みを浮かべながら私に言う。


「俺と付き合ってほしいんだ」

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