第1話「ごきげんよう、前世の記憶」
思い付きをしたためたので初投稿です。
この国は、腐っている。
あまり豊かとはいない……かつての活気を失いかけている港町の風景を、綺麗に飾られた馬車の窓越しに眺めながら少女は物憂げに考えていた。
街道の両脇には住民が並び、道を空けている。
あまりキレイとは言えない装いの彼らから向けられている視線を、私は、憧れと受け取ることはできなかった。
――――
私はどうやら、転生をしたようだった。前世の記憶がしっかりと私の中に在る。
この記憶に目覚めたのは、つい一週間前に見舞われた海難事故がきっかけだった。
前世……ありふれたOLだった『須藤 美咲』の死因も、そうだった。
波にもまれ海に投げ出された私は、強い既視感と共に、前世の記憶をすべて取り戻した。
ただ、私はあくまで私である。
フォルブルク辺境伯の三女、アカシア=ラナ=フォルブルク。10歳。
後にデビュタントで社交界デビューをし、有力貴族の子息に見初められ、婚約を結び、派閥のつながりを確かなものにすべく、嫁ぐ。
その『役目』は当たり前のもので、誇りあるものだと思って――――いた。
ほんの一週間前までの私の『当たり前』が、前世の記憶、知識によって揺さぶられ、過去形になってしまっている。
「――アカシア? どうしたの? そんな、難しい顔をして」
不意にかけられた柔らかい声に、意識が現実に引き戻された。
「申し訳ありません、お姉様。……海が見えてしまうと、つい」
対面に座る姉へ視線と声を返しながら、私は小さな謝罪を込めて視線を伏せた。
彼女は長女ソフィーティア=ラナ=フォルブルク。世界中の太陽の光を集めたような輝くブロンドに、透き通るような白い肌。「美」とはまさにこの姿を現すための言葉なのだと、身内ながら、同性ながら感じてしまう。私の自慢の姉だ。
そんな姉から、ハープを撫でるような声が続いた。
「そう……。でも、本当に、無事見つけることができて良かった。あのまま貴女を見つけられなかったら、こういった心配もできなかったのだから」
「お姉様……」
「顔を上げてちょうだい、アカシア。とてもかわいい妹の表情が、すでに過ぎ去った悪い思い出のせいで曇ってしまうのは悲しいわ。これから屋敷に帰るんですもの。みなに貴女の無事を見せてあげないと」
「そうですね。ありがとうございます、お姉様。また、みなに会えることを考えれば……これ以上の幸せはありません」
優しい言葉に手を添えられるように、姿勢を正して視線を上げ……ふわりと花のように微笑む姉に、心の中に生まれていた葛藤が解けていく。思わずつられて頬が緩むのを感じながら、改めて、姉の言葉に笑みを伴い頷いて返した。
姉は今年で18になり、デビュタント…いわゆる『お披露目会』を経て、社交界へデビューしていくことが決まっていた。その前の実家での思い出作りとして訪れた町で、大きなトラブルこそあったが、彼女の経歴に汚点を作ることがなく終わりそうだ。私は内心、大きな安堵に胸をなでおろしていた。
……大好きな姉にトラウマを植え付けることがなく、本当に良かった。
その思いを胸に、屋敷に戻る2日の馬車の旅は何事もなく過ぎていった。
――――
屋敷に戻って三日後の夜。侍女はすでに下がらせ、自室で日記をしたためながら私は自分との対話を試みていた。
フォルブルク辺境伯の三女、アカシア=ラナ=フォルブルク。それが私。
10年生きてきた記憶も、思いも、すべてしっかりと残っている。
だが、同時に『須藤 美咲』としての記憶も、あまりに違いすぎる知識も、たしかに私の中にあった。
これまでのありふれた景色が、大きく変わって見えていることは自覚していた。
10歳である子供の私に専属の侍女が付き、この屋敷全体でも20を超える使用人を抱え、王国内の調度品をそろえた我が家の装いは『アカシアにとっては当たり前』であり、同時に『美咲にとっては当たり前ではない』のだ。
フォルブルク家は辺境伯、貴族である。それも王国内でも上から数えた方が早い……少なくとも十番には入る権力を持つ家である。ゆえに、その生活は民の税で成り立っている。アカシアはそのことを知らなかったが、美咲の知識がそれを教え、侍女に聞き確認もした。
あの港町で感じたことは、正しかったのだ。彼らの生活の糧は少ない。我々が、それの大部分を取り立てているからだ。
――――貴族は、民を護るために在る。
そう、父は教えてくれた。だが同時に、民の生活を奪っているのも我々貴族だった。
正しく在れ。父も、母も、祖父も、曾祖父も、そう言葉を紡いできた。
しかし、実際はどうだろう? 我々貴族こそが、民を害してはいないだろうか?
家族の教えと、『美咲』の記憶と、私の記憶の全てが曖昧に混ざり合い、ぶつかり合い、朧気ながら一つの形を作っていくように感じる。
「……正しく在る、ために」
書机のランプの灯を消してから静かにゆっくりと立ち上がり、全身を映すことが出来る姿見の前へ歩く。全ての照明を消した、月明りの差し込む窓辺。月に照らされ半身が浮き上がるように映る――――他の誰でもない私自身――――アカシア=ラナ=フォルブルクの姿を見ながら、私は、自分に言い聞かせるように小さくつぶやく。
姉のような美しさは無い。腰まで伸びた、大好きな父譲りの赤髪。大好きな母、姉と同じ太陽色の瞳。とても力があるとは言い難い腕は細く、なんとも頼りない。
だが。私はフォルブルク家の一人。貴族なのだ。
だから私は、アカシア=ラナ=フォルブルクは、『美咲』に助けてもらい正しく在るのだ。
一人では難しいかもしれないが、きっと『美咲』は、『美咲』の知識が、私を助けてくれる。
そんな思いを抱いた夏の夜は、いつもよりも少し涼しい風が通り過ぎて行った。
2019.06.02
誤字報告ありがとうございます。ちゃんとした書き方ってこんな感じなんですね。
全件反映しています。なんだか恐縮です。