Dear My Brother(12)
「フラット、どうにかならねぇのか……!?」
『ち、ちょっとまって! えーと、えーと……』
フラットは頼りない声を上げながら、壁に沿うようにふらふらと飛び回っている。歯噛みしながら様子を見守ること暫し、フラットは空中のある一点を指差しながら、高い声で蒼真を呼んだ。
『ここ! ジュツの中心! ノウリョクぶつければこわせるかも!』
蒼真はすぐさま床を蹴ると、フラットの示した場所の前に立った。拳に雷を纏わせて、見えない壁を突こうとする。
「やっぱり約束破る気なんだ?」
壁に手が届く寸前、背後から聞こえた声に思わず動作を止める。右手に集めた力が発散し、大気に融けて消えていく。振り向かず、そのままの体勢で固まった蒼真に、蒼司は冷たい声音で続けた。
「俺より友達を取るんだね? そうだよね、俺に構ってたら兄貴、自分のこと何にもできないもんね? 忘れたいよね? 俺なんかいなかったことにして、自分の人生生きたいよね?」
「……蒼司……!!」
そんなことあるわけがない。
毎日病院に通って、今日こそは目を覚ましてくれるかもと期待して、その度に裏切られ続けてきた。それでも、もう嫌だなんて思ったことは一度もない。蒼司を取り戻せるのならどんなことだってする。自分がこのまま夢の世界に留まることで蒼司が目を覚ましてくれるのなら、喜んでそうする。だが、それでは蒼司は助からないのだ。この夢の中にいる限り、進む先には絶望しかないのだ。
「きゃあぁぁぁっ!?」
「綾藤!?」
悲鳴の方に目をやれば、床に倒れた陽千香の姿がある。悪魔に吹き飛ばされでもしたのか、取り零した剣が少し先に転がっている。それを蹴り飛ばして近付くのは、以前にも彼女を追い詰めた狼達。攻撃に向いた能力を持たない陽千香にとって、素早い連携攻撃を主とするあの悪魔は相性が悪い。
誰か援護に入れる奴は。そう思って周囲を見るが、手の回りそうな者はいなかった。いずれも陽千香の方に意識を向けていながら、別の悪魔に進路を阻まれて動けずにいる。あやめが遠隔で風を飛ばそうとするも、立ちはだかった水の悪魔が風を捕らえて潰してしまった。
狼の赤い牙が、ぬらりと不気味な光を放つ。
蒼真は奥歯を食いしばり――雷を纏った拳で、蒼司の術の中心を撃った。
硝子の砕けるような音が、体育館中に響き渡った。すぐ目の前まで迫った赤い牙に陽千香が両目を瞑った瞬間、瞼の向こうに閃光が走る。獣の悲鳴に薄目を開ければ、悪魔から自分を庇うように立つ蒼真の背中が視界に入った。
「志筑くん……!」
蒼真は一瞬だけ肩越しに振り返ると、すぐさま地を蹴って悪魔に肉迫した。あれだけ陽千香を苦しめた狼達を瞬く間に蹴散らすと、次いで人魚の方へと向かう。彼を捕らえるべく洪水に姿を変じた悪魔に、しかし蒼真は迷うことなく突っ込んで行く。水の塊が蒼真を呑み込み、次の瞬間内側から炸裂した雷撃に、人魚はひとたまりもなく蒸発した。
「すごい……」
「……って、あやめちゃん、見とれてる場合じゃないってば!!」
あやめの風を邪魔していた水が消えた。圭介の声と同時、今度こそ陽千香の元へ届いた風が、防壁となって陽千香を護る。
「やれやれ、これで巻き返せそうかな?」
「綾藤さんっ、こっちは任せて圭介君達の援護を!」
反対側の壁際にいる先輩二人の声を聞きながら、陽千香は転がっていた自分の剣に手を伸ばした。その向こうで殺気を飛ばしているのは、この世界に来て初めて倒したのと同じ蛇型の悪魔。あの時怖くて仕方なかった相手を前に、自分の心は凪のようだ。いや、凪とは少し違うのだろう。全く負ける気がしないのだから。
鋭い威嚇音に合わせて走り出した陽千香は、うねる蛇体を利用して、上空高くに舞い上がった。昏い口を大きく開いて待ち受ける悪魔を眼下に、陽千香は身体を捻って回転する。重力と腕力、そして全体重を乗せた一撃が、蛇の口から脇腹までを貫通する。
既に一度倒してきた相手だ。みんなと一緒なら絶対に負けない。光の粒子と消える蛇を横目に、陽千香は圭介達と対峙する悪魔の方へ足を踏み出し――刹那、寒気のするような気配を背中に感じて立ち止まった。
「みんな、ストーップ」
どこか投げ遣りな調子で響いた声に、悪魔を含めたその場の全員が動きを止めた。声の主に視線を寄せる仲間達の目の前から、悪魔が霧のように消えていく。呆然とその様子を見送った面々は、ただ一つ残った気配の方へ武器を構えた。
「俺のこと後悔してくれてるなら、俺の頼みも聞いてくれるだろうと思ってたけど……とんだ思い違いだったね。残念だよ……兄貴」
「蒼司……」
舞台上から見下ろしながら淡々と述べる蒼司に、蒼真は苦しげな声を漏らす。睨み合う二人を交互に見ながら、陽千香は構えた剣を下ろせずにいる。蒼司は自分達が助けたい対象であって、武器を向けるべき相手ではない。だというのに、彼の全身から放たれる殺気は、支配格もかくやというほど鋭く神経に突き刺さってくる。構えを解いた瞬間に心臓を貫かれてしまうのではないか、そんな錯覚を覚えるほどに。
陽千香はごくりと唾を飲むと、冷たい表情の蒼司に向かって一歩踏み出した。
「お願い蒼司くん……もうやめて。私達の……志筑くんの話を聞いて」
ゆらり、と。蒼司の目線がこちらを向いた。瞳の奥に静かな怒りがたぎって見える。彼は舞台の端から跳び下りてこちらの方へ歩き出しながら、底冷えのするような声で言った。
「そういえば……お姉さんだったよね? 最初に兄貴に近付いたのは」




